個猫情報

陽の沈みかけたバイトからの帰り道、一台の乗用車の下に潜り込んで寝ている猫を見つけた。疲れていた俺は一抹の癒しを得るため、スマホのカメラでその猫を撮影した。
カシャ。
シャッター音と同時に猫の耳がピクリと動き、ゆっくりと目を開けてこちらを見た。車の下の暗がりでらんらんと輝くその瞳に向かって
「起こしちゃってごめんな」
と一言詫びて、俺はその場を後にした。
二階建てのアパートの206号室に帰った俺は、SNSに先ほど撮った写真を投稿した。
「猫がいた」とかそんな適当な文章と共にアップロードされたその写真には
「可愛い〜」
とか、そんなコメントが数件ついた。
三日後、バイトへ行くためにアパートを出て一階へ向かおうとした階段で、この間と同じ猫を見た。三段目辺りでくつろいでいるそいつにスマホを向けると、俺の方を一瞥してどこかへ歩いて行った。気づかずに踏んづけなくて良かった。猫ふんじゃったは曲だけで充分だ。そんなことを考えながら俺はSNSを開き、今しがた撮影した猫の写真を投稿した。
「この間の猫がまたいた」
アップロードされた写真にコメントがつく。
「もう飼っちゃえよ〜」
「猫にストーカーされてるじゃん」
その二日後、バイトから帰宅しアパートの階段を上った俺は驚いた。またあの猫だ、あの猫が今度は俺の部屋の玄関の前にいる。慌ててスマホを取り出してカメラアプリを開き猫に向かって構えると、画面の中の猫はこちらを見て一声鳴き、俺の足下をすり抜けて走り去って行った。
「またあの猫がいた。今度は玄関の前」
SNSに投稿した写真には相変わらず呑気なコメントが送られてくる。
「めっちゃ懐かれててウケる」
「愛されてるね〜羨ましい」

翌朝、息苦しさで目を覚ました俺は文字通り飛び起きた。俺の腹の上にあの猫が乗っていたのだ。玄関も窓も閉めてあるはずなのに、一体どこから入ったんだ! 慌てて上体を起こすと同時に猫は俺の体の上から飛び降り、ベッドの横に着地した。俺の方をじっと見ている。俺はまだはっきりしていない頭で、枕元にあるスマホを手に取った。画面のロックを解除してカメラを起動しようとした瞬間、猫が素早い動きでベッドに飛び乗り、俺のスマホを奪い取った。
「あっ!?」
そのまま猫は俺の見ている前で、前足を使ってSNSを開き、白い毛に覆われた指で器用に画面をスワイプし、俺がこれまで投稿してきた「自分」の写真を肉球でタップして削除したのだ。
再びベッドから飛び降りた猫は呆気にとられている俺をひと睨みしてから、自力で窓を開けて部屋から出て行った。ようやくベッドから出た俺が開け放された窓を閉めようとした時、どこからか「カシャ」と音が聴こえた気がした。
その日以来、俺がバイトから帰ると、必ず数匹の猫が玄関の前にいた。特に害を及ぼしてくることはないのだが、俺にはどうもあいつらがニヤニヤしながらこっちを見ているように思えてならない。多分俺は今頃、猫の世界のSNSで晒されているのだろう。先に無断でアップロードしたのはこっちだから怒るに怒れない。今度あの猫を見かけたらちゃんと謝ろう。個人情報は大事だ。文字通り、猫も杓子もSNSをやる時代なのだから。

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