「恐怖ショー」 二話

 ボクンという嫌な音と共に、地面に叩きつけられた。全身を襲う激痛にのたうち回りたいが、背中を打って呼吸が出来ず、身体も動かない。かろうじて首を曲げると、軟体動物の死骸のようになっている自分の左腕が見えた。ひどい耳鳴りの中、微かに客席から上がる歓声が聴こえる。ペンの尻拭いは無事に果たせただろうか。そんな考えを巡らせていると、霞んだ視界にダグラスの足が映った。
「しぶてぇ野郎だ、お前の母親はこれでくたばったのによ」
頭上から吐き捨てられた奴の言葉に、俺は怒りを覚える間もなく、意識を失った。


 翌日、目を覚ました俺にビルは左肩の脱臼と左腕、左鎖骨の骨折を伝えた後「死に損ないが」と言い、控えテントから去って行った。すぐにリックが駆け寄ってきて「お前が生きてて良かった」と言ったきり、押し黙った。俺は未だ鈍く痛む上体を起こし、言葉を選びかねているリックに尋ねる。
「ペンとスミシーはどうなった?」
隠していたテスト用紙が親に見つかった子供のように、リックが身体をこわばらせたのがわかった。
「スミシーは、壊れちまった……誰が声をかけても、もう何の反応もない……あれだけの毒蜘蛛に噛まれて、アナフィラキシーを起こさなかったこと自体奇跡だ」
「そうか……それで、ペンは?」
「……ペンが昨晩メインテントから逃げ出した後、俺はビルに呼び出されてあいつを探し回った。あいつは……死んでた。テントから少し離れた森の中で、木の枝を両目に突き刺して、自殺してたよ」
 俺が何も言えずにいると、出入口の薄幕にビルの影が映った。
「リック、仕事だ。出てこい」
 リックは立ち上がり、俺に背を向けて言う。
「……ペンを埋めに行ってくる」
「俺にも手伝わせてくれ」
 膝を立てて立ち上がろうとした途端、全身の骨が軋み、うつ伏せに倒れてしまう。左半身に激痛が走り、思わずうめき声が漏れる。
「無理するな、寝てろよ」
 リックの静止をよそに、俺はふらつきながらもなんとか立ち上がる。
「大丈夫だ……行くぞ。ビルも人手が欲しいはずだ、許してくれるだろ」
「お前もペンと同レベルのお人好しだな」
 リックの肩を借りてテントから出てきた俺を見て、ビルは一瞬驚いたような表情を見せたが、何も言わず俺の右手にスコップを握らせた。
 二人でペンを埋めるための穴を掘る。関節を動かす度に鋭い痛みが全身を貫いたが、ペンに何もしてやれないよりは遥かにマシだった。両目を失ったペンの死骸に土をかけていた時、リックがぽつりと呟いた。
「そうか、ペンが死んで、次の団長は俺か……」

 今夜も三人の恐怖症患者たちが怯えた足取りで――一人はビルに引き摺られながら――控えテントを後にした。
 無理に動いたせいで一層酷くなった痛みを堪えつつ、俺は傍で寝ているリックにしか聴こえない声で話した。
「なあリック、俺はダグラスを殺して、このサーカス団を解散させようと思う。協力してくれるか?」
 飛び上がるようにして起き上がったリックは、愕然とした表情で俺を凝視する。
「無謀だ……お前忘れたのか、奴は拳銃を持ってる。集合体恐怖症のレンいただろ、あいつもそれで殺られたんだ、俺はレンの死体も埋めたから知ってる、額に穴が……」
「無謀でも良い、俺は団員の皆が死ぬのをこれ以上見たくない。このままだと次に死ぬのはスミシーか、団長になるお前だぞ、リック」
「もしダグラス殺しが失敗したら、死ぬのはフォールの方じゃねえか」
「何もしなくても誰かが死ぬ、失敗すれば俺が死ぬ。だからダグラス殺しを決行して、成功させるのが最善の手なんだ」
「……何か策はあるのか?」
「ダグラスを殺る前に、まず説き伏せないとならない相手がいる。そいつの協力があればもしかすれば……」
 そう言って俺がテントの出入口に視線をやると、リックもつられて振り返る。そこにはメインテントへ出演者たちを連行し終えた、ビルの影が映っている。
「冗談やめろよ、あのアル中の説得なんて無理に決まってる。無線機でダグラスに連絡されて撃ち殺されるのが関の山だ。悪いが犬死にはごめんだ」
「良いさ、俺一人で行ってくるよ。でももし成功の兆しが見えたら、その時は他の団員を連れて逃げてくれ」
「それが団長として、最初で最後の仕事になってくれるのを祈っとくよ」

 出入口を開けて顔を出すと、ビルは折りたたみ式の椅子に腰掛けて肉と酒にありついていた。
「ビル、ちょっといいか?」
「なんだ死に損ない、今日はやけに動きたがるじゃねえか」
「話し相手が欲しくてさ……あんた、このサーカス団に入って何年くらいだ?」
「もう三十年くらい経つな。ここへ来てからは死体を見た数だけが自慢だ。ああ、先代のフォールもそのうちの一体だったなあ!」
 不快な笑い声を上げるビルをよそに、俺は続ける。
「あんたは元々町医者だったんだろ。自分より若い奴が死んでいくのを見て、心は痛まなかったのか」
「昔の話はするんじゃねえ! 酒が不味くなるだろうが!」
「なあビル。あんたにしか頼めない話がある。その……俺を逃がして欲しいんだ」
 そう言うが早いか、ビルは血相を変えて立ち上がり、酒の瓶に手をかけ、俺を睨みつける。
「……テメェはケガ人だから今のは聞かなかったことにしてやる。だが次同じことを言ってみろ、これで頭をカチ割ってダグラスに引き渡してやるからな。話は終わりだ、とっととテントへ戻れ!」
「悪いがそれは出来ない。今は演目中だから、あんたもダグラスに連絡は出来ないだろ。もう一度言う、俺を逃がしてくれ……いや、俺に協力してくれ」
 言い終えると同時に、目を血走らせたビルが右手を強く振り下ろすのが見えた。突如脳天から鼓膜へ鈍い音が響き、視界が一瞬暗転する。直後に割れるような頭の痛み。顔や首筋に流れてきた温かいものは、俺の血だ。頭蓋の中の脳が激しく揺さぶられる。足の裏に出来るだけ力を込めて踏ん張り、倒れそうになるのを必死で堪える。不意に口の中に違和感を覚え、舌で確かめてみると、殴られた衝撃で強制的に噛み合わせられた奥歯が砕けていた。明滅する視界は流れ出る血でカーテンがかかったようにぼやけ、その奥に当惑した表情で俺を見るビルの姿があった。その手には無線機が握られている。もしビルが通信ボタンを押していたら、俺の声はダグラスに筒抜けだ。それでも俺は同じ言葉を吐き続ける。もう後戻りは出来ない。

「……頼む、協力してくれ。あんたもやり直せる」
「……なんだと?」
 気圧されたビルが俺の言葉に反応したのを見計らい、一気にまくし立てた。
「ダグラスを殺して団員を全員自由にする。ビル、あんたも例外じゃない。あんたはダグラスに弱みを握られてここへ来た、俺たちと同じ被害者だ。アルコール中毒は自由になった後で治療すれば良い。そうすれば、あんたはまた医者としてやり直せるはずだ」
 ビルは鼻で笑って尋ねる。
「お前は自由になってどうする?」
「俺は……人の恐怖症やトラウマを見世物にして弄ぶような連中を、一人残らず根絶やしにするつもりだ。こんなクソみたいなサーカス団が、二度と作られない世界にしたいんだ」
 ビルが息を呑む音が聴こえた。一瞬、明らかに狼狽した彼の表情は、無線機から聴こえてきたダグラスの声によってすぐ元に戻った。
「どうしたビル、さっき一瞬通信状態になったが、何かあったか?」
「……すみませんボス、俺の押し間違いです。問題ありません」
 応答を終えたビルは俺に背を向けた。捨て台詞と共に、簡易トイレの方へ歩き出す。
「ガキが絵空事言いやがって……」
 安堵から身体の力が抜け、その場に座り込む。分散されていた神経が徐々に頭の傷に集中し始め、明確となった痛みに叫び出しそうになる。漆黒の夜空を仰ぎながらテントに体を預けていると、皺だらけの手が伸びてきて視界を塞いだ。ビルが俺の頭に包帯を巻いている。
「何も言うんじゃねえぞ、黙って聞いてろ……。いいか、俺が町医者の立場を失ってここへ連れて来られた時、俺の中に分厚い大きな壁が出来た。誰も壊せねえと思っていたが、十数年前に一度、その壁にヒビを入れた奴がいた。あなたはやり直せる、こんなサーカス団が二度と作られない世の中にしたいって、全く同じことを言ってた奴がいたんだ。それが先代フォールだった、お前の母親だ。哀れな女の戯言だと一蹴したが、今思えばあの時、俺はここを立ち去る機会を一度逃したんだ。結局あいつは死んじまったが、お前が俺の壁を壊した。だからやり遂げろ。これが俺の最後の仕事だ」
 応急処置を終えたビルは再び俺に背を向け、今度は町の方角へ向かって歩き出す。
「そういえば便所に酒と煙草を忘れちまってたな……まぁ良いか。じゃあな、フォール」
 俺の顔を温かいものが流れていく。それが血ではないことは、自分が一番よくわかっていた。滲んだ視界に映るビルの後ろ姿は次第に小さくなり、やがて見えなくなった

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