『イノシシを撃て!』狩猟同行記
友人の狩猟に同行することになった。都会育ちで軟弱な私は、命をいただくことの意味を少しずつだが、理解しようとしていた。
弾丸が池の水面を跳ね上げると、銃声が雪の散らつく重い空にこだました。鳥たちが逃げていく。
耳が痛い。次の瞬間、あたりに一面に広がった火薬の匂いが鼻をつく。懐かしい。子供の頃に遊んだ癇癪玉と同じ匂いだ。
だが、これは遊びではない。本物の散弾銃から放たれたのだ。
こんなところで撃っていることが信じられなかった。すぐ三百メートル後方には大きな通りがあり、車が行き交っている。そして五百メートルほど向こうには民家もあった。
二ヶ月ほど前から、一度狩猟を見に来ませんか、と誘われていた。いつも狩猟の話を興味深く聞いていた私に、そんなに興味があるなら、とIさんが誘ってくれたのだ。
「言葉ではどうしても伝わらないんですよ。ぜひ一緒に来て、感じてほしいんです」とIさんは言った。
だが、狩猟に同行することに躊躇がないといえば嘘になる。害獣とはいえ、目の前で命が断たれるのを見るのは正直忍びなかった。
「狩猟というのは、実際に賛否があるものです。ですから、誰も彼も誘えるものではないんです」とIさんは言う。
一番の友人である私に、どうしてもわかってほしいことがあるのだろう。そして何かを書き残してほしいに違いない。
「うん。わかった。この狩猟期間に一度、一緒に行かせてもらうよ」
そう言ったものの、心が決まらないから日程も決まらなかった。狩猟の期間は意外に短い。十一月に始まり、二月の中程で終わってしまうのだ。
「冬以外の季節は、ハイキングや山菜採りに入る人がいますからね、危なくて撃てないんですよ。たぶんそれもあって、狩猟期間は冬の寒いときなんだと思います」
Iさんの話は知らないことばかりだ。
日程は二転三転した。一度は十二月中に行こうとしたのだが、Iさんの仕事が忙しくて中止になり、一月に入ってからはこちらの方が忙しくてキャンセルしてしまった。そしてようやく狩猟期間が終わりを迎えるまじかになって、やっと決まったのだ。
だが二日前、東京にも雪が降り、その日も朝から雪が散らついていた。また中止になるのだろうか。せっかく心も決まったと言うのに、このままだと来年まで同行することは出来ないかもしれないと諦めかけていた。
「どうする?」と訊ねると「とりあえず行ってみませんか、現地に行って様子を見ようと思ってます」とIさんは言った。
本当は午前四時半の出発だったが、路上凍結も考えて午前七時の出発に変更した。事故があってはいけないからだ。Iさんの本業は事故車をレッカーする仕事だったので、このあたりは慎重だ。
そして午前八時過ぎに千葉の奥地までやってきた。雪はチラついているものの、積もってはいない。少しずつ天気は回復傾向だと天気予報でも言っていた。
「ここで、鴨を撃ちます」とlさんは車を止めた。
降りるとそこには小さな池があった。イノシシや鹿を撃つ前に、鴨猟を見せてくれるとのことだ。
「ええ、ここで!」
先ほども言ったように、遠くには民家も見えるのだ。
「撃つ方向が決まっているんです。もちろん道路や民家に向かって撃ってはいけません。もし通報が入れば、すぐに警察が来ますから」とIさんは派手なオレンジ色のベストを着て、散弾銃を大事そうに抱えた。
「そのベストは絶対に着なくちゃならないの?」
「そうですね。もし何かあったときに、着ていないと保険がおりなくなります」
Iさんは言葉にしなかったが、もし何か、と言うのはきっと、誰かを撃ったり撃たれたりしたときのことだろう。
「今日は鴨はいないみたいだね」
「そうですね。狩猟期間も終わりに近づくと鳥も獣も賢くなってますから、どんどん奥の方、人のいない撃たれない場所に逃げ込むんです」
Iさんの話では、撃てる方向も撃てる場所もかなり限られているらしい。先ほど聞いたように人がいる方向へは撃てないのだ。
「鳥たちは賢いですから、撃ってこない場所をちゃんと把握してますよ」
そう言うと、散弾銃を折り曲げ、弾丸を二つ入れた。上下に弾丸を入れる二連銃だ。以前、聞いた話では、この銃は重くて使いづらく一般のハンターは嫌うそうだ。もっと軽くて取り扱いが簡単な、法律で決まっている上限である三発まで装填できる銃を使うらしい。
ちなみにIさん、弾丸を自分で作っている。何から何まで自分でやらないと気が済まないのだ。
みんなが使わないなら、俺が使ってやろう。みんなが弾丸を自分で作らないのなら、自分で作ってやろう。そこには、Iさんの物に対する特別なこだわりがあった。
もしかすると、みんなが使わない銃にIさんは自分を重ねているのかもしれない。ふとそう思った。Iさんは人と群れるのが本当に苦手な人だ。みんなから理解されないからだ。物事を損得でも便利不便でも考えないからだろう。友達も少ないと言う。
だが、一度心を開くとIさんほど付き合いやすい人はいない。今回もIさんに誘われたから、やってきたのだ。もし他の人だったら断っていただろう。同行とはいえ、狩猟には危険がつきものだ。だが、危険を察知する能力が人一倍高いIさんなら、と信頼していた。
そしてそれは銃の扱いにも出ていた。銃をとにかく大切に扱うのだ。撃たないときは何度も弾丸を抜き、そのたびに腰につけた専用のポーチの中に丁寧にしまうのだ。
突然、無線で連絡が入った。Iさんの父親からのものだ。弟さんと一緒に日の出からこのあたりに来て猟をしているらしい。
「わかった。すぐに合流する」とIさんは無線で返事をした。
車に乗り込み、別の場所に移動した。入り組んだ道を進み、また別の池に出る。そこにはIさんのお父さんと弟さんがいた。
「俺たちはもっと奥に入るから、ここで待機してくれ」とIさんのお父さんが言った。
お父さんは、鳥撃ちが専門で、鹿やイノシシなどは撃たない。だが、この道何十年のベテランだ。
Iさんが、すぐに撃てる準備をして池の側の藪に隠れたので、その背後にそっと身を潜めることにした。
お父さんから無線の連絡が入る。どうやら鴨の姿は見えないようだ。
「この前に来たとき、川の奥に何羽かいたから、そこに行こう」とIさんがお父さんに提案し「奥に藪があるけど、そこに地元の人がイノシシの罠を仕掛けているから注意して」と付け加えた。
撃つ前には細心の注意が必要だ。ハンターになるのは、相当な覚悟が必要だと思った。
鴨撃ちは、この様に連携プレーで行われていく。というか猟そのものが単独では至難の技なのだ。何人かで連携しても、そう簡単に撃てるものではないらしい。
三つ目の場所でも、鳥が民家の方に向かって飛んでしまい。撃つことができなかった。
せっかく発見しても、このようなことが多くある。
「わざと鳥たちはそっちに逃げてるんですよ。本当に頭がいい。猟師の乗っている車さえ見分けますからね」
鳥たちは車の動きを見ているのだろう。猟に来ている車は場所を探してゆっくりと動くからだ。たしかに地元の車とは動きが違う。
その後、二時間ほど鴨猟をしたが、命中させることはできなかった。
「そろそろ俺たちは森に入るから行くよ」とIさんが無線に言った。
「ああ、気をつけてな」とお父さんが言う。
鴨撃ちを諦めて、イノシシと鹿を撃つために森の奥深くに入っていくのだ。ここからが本番だった。
Iさんは今日のために他のハンターが入っていない場所を探してくれていた。
山道の途中に舗装されていない横道があった。その前にIさんは車をゆっくりと止めた。
「ここです。ここが今日のポイントになります」
その脇道は山の中へと進んで消えていた。
「まずは腹ごしらえしましょう」
Iさんからおにぎりを貰う。Iさんのお手製だ。大きい。拳ほどの大きさのおにぎりだ。五穀米に塩だけをふった物だが、これが思った以上に美味しい。
「ちょっとしょっぱいですか?」
「ちょうどいいよ、これ美味しいね」
五穀米は噛めば噛むほど、その味が増す。もともと赤飯が好きなのでぴったりの味だ。
美味しいので一気に大きなおにぎりを二つ食べた。残りは山の中で食べることにする。水筒もIさんが用意してくれていた。中には変わった味の暖かいお茶が入っていた。
何から何まで全部Iさんに任せっきりだ。迷彩服の着替えもリュックも用意されていた。もちろんリュックの中も完璧だ。雨用の帽子と山の中で座るときのシート、それから何より嬉しかったのはチョコバーやカロリーメイトなどの携帯食が入っていたことだ。
「山の中は体力勝負ですからね。好きなときに食べてください」
装備を済ませ、山の中に入って行く。ここからは無駄に声を発してはいけない。Iさんの身振り手振りに従うのみだ。ゆっくり慎重に足音もたててはいけない。
十メートルほどに五分ほどかけて進む。少し進んでは止まり、そしてまた進む。
森に入るとすぐに異変が起きた。今まで鳴いていた鳥たちが急に鳴き止んだのだ。きっとこちらに気がついたのだろう。山は人間を歓迎してはいないようだ。耳には風の音だけが響いた。
しばらく進むとIさんが近くに来るようにと手招きする。忍んで行くと、Iさんが地面を指差す。そこには動物の足跡があった。こんなところにもうあるのか、と驚くが、すぐにそれが普通のことだと考え直した。
里山ではイノシシや鹿によって農作物が食べられる被害が出ていた。そのことはここまでの道すがら嫌でも理解できた。すべての田畑が柵で取り囲まれていたからだ。中には電気を通した柵もあった。Iさんの話では、獣たちは夜中に田畑へやってくるために、昼間はこの様な近くの山裾に潜んでいるのだそうだ。
足跡やイノシシのフンを確かめていると、十メートルほど離れた藪がガサゴソと動いた。
いる!
直感的にそう思った。次の瞬間、八十キロはありそう大きな黒い物体が横に走り出した。
イノシシだ!それもかなりデカイ!
Iさんが散弾銃を撃つ。仕留めたか?だがイノシシは止まらない。走って逃げる。その背中に向かって、二発目を撃つ。またも外した!イノシシは一目散に逃げて行った。
「見ました?」
「見た、見たよ!」と興奮して言った。
まさかこんなすぐ近くに潜んでいるとは思わなかった。それにしても大きい。真っ黒な体だった。
Iさんはゆっくりとイノシシが逃げた道を追う。血の跡を探しているのだ。だが、弾は当たっていないらしい。跡はなかった。
「逃しましたね」とIさんは言った。
あまりにも入り口付近だったために、撃つのに躊躇したらしい。もしかすると人や犬が潜んでいる可能性もあるからだ。常に撃つのには慎重さが必要だ。Iさんは完璧に姿が見えたときにしか撃たない。だが、すっかり姿が見えたときには、もうイノシシは動きだしてしまい、撃つのは難しくなるそうだ。単独猟の困難を目の前で見せられた。
またゆっくりと進んで行く。どうやらIさんは獣道を的確に辿っているようだ。足跡やフンがずっと続いている。そう思って森を見ると、不思議なことに藪の中に線が引かれた様に獣道が見えてくる。
ああ!これがそうなんだ。森が違って見えてきたことに驚く。まるで急にだまし絵の種が見えたようだ。
だが、声を発してはいけない。さっきのように、どこかに獣が潜んでいるかもしれないからだ。
しばらくすると小川があった。ここは獣たちの水飲み場なのだろう。そして近くの土は泥でぬかるんでいた。
後で聞いたのだが、イノシシはこの泥で体についた寄生虫をとるのだそうだ。自然の泥パックで虫を窒息させる。先ほど見たイノシシも真っ黒だったが、もしかすると体じゅうに泥をつけていたのかもしれない。
そのとき、またも藪が揺れる。もしかしているのか。Iさんは地面に転がった石を拾い、藪の中に投げる。だが何も動かない。風の仕業だったようだ。
緊張感が凄い。森に入ってすぐに大きなイノシシに遭遇したために、次には何が出てくるのだろうかと、気がきではなかった。
それにしても歩きづらい。音を立ててはいけないが、足元には無数の小枝が落ちているのだ。それを踏むと、ペキと音がして森中に響く。
三歩ほど進み、しばらく様子を伺い、そしてまた三歩進んで止まる。そんなリズムでどんどん森の中に入って行く。
しばらくするとIさんが森の斜面を登って行く。ついに山登りが始まったのだ。しかしこちらは山に慣れていないので、ついつい音を立ててしまう。
そこは人が通る道ではない。獣道なのだ。四つん這いになって必死に進むしかない。Iさんはさすがに慣れているようで、銃をかついでずんずんと登って行く。
獣道を歩くのは初めてのことだった。上がって行くのはまだなんとかなった。だが、斜面を横に進むのは本当に難しい。ほとんど足場がないのだ。こんな道をイノシシは歩いているのだと思うと感心する。よく見るとほんの少しだけ斜面が水平になっている場所があり、そこには小さなイノシシの足跡があった。
ジグザグに進みながら、五十メートルほどの高さを一時間ほど歩いただろうか。
「ここでしばらく待ちましょう」
Iさんは斜面に腰を下ろした。
「つかれましたか?」
緊張感でクタクタだった。さっき大きなおにぎりを二個食べたというのに、もうお腹が減っていた。リュックからチョコバーを取り出して食べた。美味しい。これほどチョコバーが美味しく感じたことはない。暖かいお茶を飲むとほっとしてため息が出た。
だが気を引き締めなければいけない。これは休憩ではない。獣たちがやってくるのを待っているのだ。
リュックからクッションのついたシートを取り出し、お尻に敷いた。これでしばらくの間じっとしていても我慢できる。
Iさんが目を閉じてじっとしているので、それを見習うことにした。止まっていると体が動きたがっているのがわかった。体の位置を直すと、ガサガサと音が出てしまう。ダメだ。これでは獣たちに気がつかれてしまう。
目を閉じて、木になるのだと念じる。すると不思議なことが起こった。ある瞬間をこえると、今度は体を動かすことに嫌悪感を感じるようになってきた。自然と同化したい、ただそれだけの気持ちになってくる。
どのくらい自然と同化していただろうか。天気が回復したらしく、木々の間から陽の光が入ってきた。なんと心地よい時間なんだろうか。
自分が猟に同行していることさえ忘れてしまっていた。まったくの無心と言っていい。まるで座禅を組んでいるような心境だ。
すると鳥たちの声が聞こえてきた。森に入ったときには、止んでいたはずだ。どうやら森に認められたらしい。
今度は山の上部で、何かが鳴いた。どうやら鹿らしい。
Iさんは身構えたが、姿は見えない。
「そろそろ行きましょう」撃てないのを悟るとまた銃を肩にかけた。
少しぼぉ〜としながら獣道を進んで行く。
「ここからはイノシシではなく鹿がいるゾーンですよ」とIさんが教えてくれた。
どうやら山裾にはイノシシが生息していて、上の方には鹿がいるらしい。こうやって住処を分けていることさえ知らなかった。
登るに従って道が困難になった。急な斜面を這って進んで行く。そのとき足が滑った。
その瞬間である。一匹の鹿がすぐ横を駆け抜けていった。Iさんも一瞬のことで撃つことができない。どうやら潜んでいて逃げる瞬間を待っていたようだ。
足を滑らせた音に反応したのかもしれない。
「もし相手が銃を持っていたら、俺たちは簡単に殺されていますね」とIさんが言った。
まさにその通りだった。こちらは一方的に追う立場だからいいものの、たとえば熊だったら一撃で殺されているだろう。
そう思うと自然の中では、いかに人間が弱い存在であるかがわかる。
二百メートルほど登ってくると山の尾根の部分に出た。そこは今まで以上に鹿のフンが落ちていた。
「ここは、鹿たちの寝床ですよ」
「こんな見晴らしいの良い場所にいるの?」
信じられないことだった。もっと見えない場所に潜んでいると思っていたからだ。
「ここならどちら側からでも匂いがわかりますからね」
確かにそうだった。尾根にいれば、誰かがやってきたとき、風が吹き抜けるので匂いがわかる。それに反対側が逃げ道にもなる。
「賢いんだな」
次の瞬間、登ってきた側の反対の斜面で何かが鳴く。今までで一番甲高い鳴き声だ。
「鹿の子供ですね。仲間を呼んでいるんですよ。俺たちのことを警戒しているんでしょう」
Iさんの話では、あのような鳴き声を出されたら、もうハンターには勝ち目はないそうだ。特に単独の猟では難しい。
五十メートルほど尾根を進んだ。先は行き止まりになっている。だが、それは人間の目線にすぎない。Iさんは確実に獣道を辿っていく。どう見ても崖にしか見えない場所がどうやらその獣道らしい。
ここを降りていくのか、少し躊躇するところがあった。落ちたら下まで真っ逆さまだ。だが行くしかない。覚悟を決めてゆっくりと降りて行くことにした。
何度か足を滑らせながら、なんとか木にしがみついて山の斜面を降りてきた。
小川が見える。ここは通った道だ。すると、ほっと気を緩めた瞬間、Iさんの猟銃が火を吹いた。ドン!ドン!と山に音がこだまする。前方十メートル程先に鹿が逃げて行った。
Iさんは鹿の気配を感じてしっかり用意していたのだ。
残念ながら、これもとり逃がしたらしい。単独での猟は本当に難しい。
川を飛び越え、泥だらけの湿地帯を越えると車が置いてある道が見えた。なんとか無事に帰ってこられたようだ。
「今日は残念でしたが、なんとか三びき見られてよかったです」とIさんが言った。
狩猟期間も終わりが近いために、獣たちはもっと山の奥に逃げ込んでいると想定していたようだ。それを考えると、あの大きなイノシシに遭遇できたことは幸運だったと言えた。
「いやぁ、いろいろ考えさせられたよ」
正直な感想だった。実際に獣たちが殺されるのを見ることはなかったが、命のやりとりだけは見ることができた。
獣たちの逃げる後ろ姿を三度見たが、その必死さには考えさせられるところがあった。獣たちは、自分の力を最大限に発揮して生きているのだ。
あれほど必死に人間は生きているだろうか。もちろん否だ。
Iさんはどうだろうか。趣味とはいえ、狩猟を楽しんいるとはいえなかった。まるで自分の生命力を試すかのように獣たちと対峙していた。
以前「なぜ狩猟をするの?」とIさんに尋ねたことがある。
そのとき、Iさんは、しばらく考えるとこう答えた。
「なぜするのか、正直わかりません。いや、むしろなぜするのかを知るために、やっているのかもしれませんね」
まるで禅問答のような答えだが、言葉や頭での理解よりも先に、肉体で感じたいというIさんそのものの答えだった。
イノシシや鹿は異常な早さで増え続け、里山に被害を及ぼしている。それは生態系の頂点であるニホンオオカミが絶滅してしまったせいだろう。そのニホンオオカミの代わりをIさんはしているのかもしれない。
孤独な一匹狼、そう思わせるところが、Iさんにはあった。腕っ節が強く、タフな男。泣き言は言わず、他人と群れることが苦手だ。だが心優しいロンリーウルフでもある。
「今日の中で一番好きだった時間は、山の中でじっと潜んでいたときだな」と私が言うと「やっぱりわかってくれましたか、そうなんです。俺もその時間が一番好きなんです」とIさんは嬉しそうに微笑んだ。
その嬉しそうな顔は、十分にこちらを和ませる力をもっていた。
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