『タキシードを着た犬』(童話)
ボストンテリアという犬をしっていますか。
ピョコンと立った耳に、はれぼったい眼、潰れたように短い鼻を持ち、体は白と黒で、まるでタキシードを着ているような小柄な犬です。
その店に飼われていた犬もボストンテリアでした。名前をトウフと言います。トウフはその店の若い夫婦が可愛がっている犬です。
お散歩とボール遊びが大好きで、それ以外のときは、ずっと店の片隅でじっとしているどこにでもいる普通の犬でした。
しかし、決定的に他の犬と違うところがありました。なんと、トウフは一度も吠えたことがないんです。
どんなときも絶対に吠えません。お散歩で他の犬に吠えられても、絶対に吠えません。お腹がへったときでさえ声を出さない犬でした。
トウフがその店に来て数年後、若い夫婦に男の子が生まれました。名前はフジと言います。フジ君は生まれたときこそ、小さかったものの、すくすくと元気に育ちました。
お店をやっている夫婦が忙しいため、フジ君の遊び相手はもっぱらトウフの役目でした。
まあ、遊ぶといってもトウフはフジ君に一方的に連れ回されるだけでしたが……
ある日、フジ君が公園でトウフと遊んでいると、真っ白な長い髭をはやした老人がやってきました。
「この犬は君が飼っているのかね」
老人がフジ君に聞きました。
「そうだよ。トウフって言うんだ」
フジ君は答えます。
老人は坐り込むとトウフの頭をなでました。
「いい犬だ。大事にしなさい」
「うん。大事にしているよ。でもトウフはかわった犬なんだ。一度も鳴いたことがないんだ」
「それにはわけがあるんだよ」
老人はトウフを見つめながらいいました。
「そうだ。こんな話をしてやろう」
老人はフジ君とトウフに話をし始めました。
昔むかし、ある王国に一人の美しい声の持ち主がいました。彼の名をルドルフと言いました。
ルドルフは王様のお気に入りのオペラ歌手でした。宮殿で晩餐会が開かれるときには、かならずルドルフがその美しい歌声を披露していました。
あまりにもルドルフの声が美しいので、他の国の王様たちもその歌を聞きに来るほどでした。
隣の国の王様はルドルフの声を一度で気に入りました。
「ルドルフをわしに譲ってくれないか」
隣の国の王様は、その国の王様に言いました。もちろんその国の王様はルドルフを譲る気はありません。
「わしの馬をやろう。一晩に千里を走る名馬だ」
隣の国の王様は諦めようとしません。
「どんな素晴らしい贈りものをもらっても、ルドルフを手放す気はない」
この国の王様はきっぱりと、はねつけました。
どんなに拒否されても、隣の国の王様はルドルフを諦めることができませんでした。そこで、夜の闇にまぎれてルドルフを誘拐することにしました。
隣の国の兵士は、大きな箱にルドルフを隠すと、夜のうちに自分の国へと運び出してしまいました。
ルドルフが誘拐されたのを聞いて、その国の王様は激しく怒りました。たくさんの兵隊を連れて隣の国になだれ込みました。戦争が始まったのです。
ルドルフをめぐる戦争は何年も続きました。たくさんの兵士が死に、たくさんの家族が嘆き悲しみました。
それを見ていたルドルフは心が痛みました。そこで神様にこんなお願いをしました。
「神様、私の歌声がいけないのです。私はどうなってもかまいません。戦争を終わらせるために、私から声を奪ってください」
「二度と声が出せなくなってもいいのかね?」
神様がルドルフに聞きました。
「戦争が終わるならかまいません」
すると、ルドルフの喉が金色に輝きました。
その後はどんなに声を出そうにも、ルドルフは歌うどころか、話すこともできなくなりました。
ルドルフが声を失ったことを知ると、両国の王様はがっかりして戦争を止めてしまいました。そして歌えなくなったルドルフは、宮殿から追い出されてしまいました。
歌うことしか知らないルドルフは、行き場がありませんでした。それどころか、それぞれの王国の人々は、戦争のきっかけになったルドルフを憎んでいました。
食べ物を恵んでもらうこともなく、お腹をすかせてルドルフは王国中をさまよい歩きました。そしてついに行き倒れてしまったのです。人々は誰もルドルフを助けようとしませんでした。
その時、若い夫婦がルドルフをかわいそうに思い、連れて帰りました。
「ルドルフさん、お腹がすいているでしょう。このスープを飲んでください。遠慮しなくても大丈夫ですよ。あなたは最後のお客さんですから」
若い夫婦は、お客さんが来てくれないので、その日で店をやめようと思っていたのです。
感謝を述べようにもルドルフは声がでません。スープを飲んで涙を流すしかありませんでした。
すると不思議なことが起こりました。店に次から次にお客さんが入ってきたのです。
若い夫婦は喜びで何杯もおいしいスープを作りました。
「きっとこれはルドルフさんのおかげに違いない」
若い夫婦の店が繁盛するのを見て、隣のパン屋の主人もルドルフを自分の店に招待しました。すると今度はパンが飛ぶように売れ出しました。
他の店の主人たちも、ルドルフが自分の店に来てくれるようにと、ルドルフの取り合いが始まりました。
もうルドルフは、争いごとはまっぴらでした。そこで神様にもう一度心の中でお願いしました。
(神様助けてください。私のせいで誰かが争うのを見たくありません。どうか別の姿にしてください)
「よかろう。どのような姿がいいかね?」
神様が聞きました。
(どんな姿でもかまいませんが、このタキシードだけはなくしたくありません。このタキシードは亡くなった母が作ってくれたものですから)
「いいだろう」
神様がそう言うと、ルドルフの姿が黄金に輝き、犬の姿に変わりました。その犬の体は黒と白に分かれ、まるでタキシードを着ているようでした。
王国の人々はルドルフを探しましたが、犬の姿になったルドルフを誰も見つけ出せませんでした。
ただしタキシードを着た犬は、他の犬と違うところがありました。それは吠えることができなかったのです。
その後、吠えることのできないタキシードを着た犬がどこへ行ったのか、誰も知りません……
老人が話し終わると、フジ君の顔が輝きました。
「もしかして、トウフはルドルフなの?」
老人はほほえみながら、トウフの頭をなでるだけでした。
「ねえ、そうなんでしょ」
フジ君はもう一度、老人に聞きました。
それでも老人は何も答えてくれません。
「うん。この犬はいい犬だ」
老人は立ち上がると、公園の外へと歩いて行きました。
公園に一人残されたフジ君は、トウフを見つめました。
「ねえ、トウフ、お前はルドルフなの?」
トウフは首をかしげるばかりで何もいいません。
「そうだよね。吠えない犬なんてトウフ以外いないもの」
フジ君は飛び上がって喜びました。
「行こう!」
フジ君は急いでお父さんとお母さんが待つ店に向かいました。トウフと一緒に。
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