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平成、令和の時代ではすっかり姿を消してしまった貸本店。

最盛期の昭和30年代には、日本全国に30,000店もあったと言われています。

新刊書店は最も多かった1990年代でも、最大で26,000店舗でした。

貸本店がいかに、当時の日本に根付いていたかがよくわかります。

ちなみに、コンビニは日本全国に約60,000店あり、最も多いセブンイレブンで21,000店、2位のファミリーマートで17,000店です。

貸本店の30,000店ですが、実際は20,000店だったと書いてある本もあったりするので、定かではありません。

では、最も売れた貸本はどれぐらいの部数が刷られていたのか? についてです。

辰巳ヨシヒロさんの兄で劇画家でもあり、出版社「東考社」を経営していた桜井昌一さんが「幻の貸本マンガ大全集」(文春文庫)のあとがきの長井勝一さんとの対談で話しています。

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『最盛期の昭和三十一、二年ごろで、「影」が八千ぐらい、「街」が六千ぐらいでしょう』

「ガロ」を出版していた青林堂の長井勝一さんは同書でこう語っています。

「一万出たのはないでしょう。あれだけ騒がれた白土三平の「忍者武芸帳」でも六千です。」

この程度の部数なのか、とも思いますが、貸本なので、一冊の本を複数の人が読みます。

同書で桜井昌一さんはこうも言っています。「実際に読んでいる人というのは、売れてるものでその三十倍ぐらいになる。売れてないものでも、十人以上借りないと貸本屋さんがダメになっちゃいますから。ふつうは少なくとも三千部ぐらい刷ってたと思います。それが昭和三十年代後半になると、ジリジリと減っていくんです。」

6,000部の貸本が、それぞれの店で30人に読まれると、読者は18万人です。

水木しげるさんが貸本漫画家の時代の貧乏について書いていますが、これぐらいの発行部数だと、原稿料もたかがしれているということがわかります。



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