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二次創作好き陰キャオタク、おしゃれファッション雑誌を作る。

※この記事は「デジタルハリウッドで変わった私の人生」に参加しています。

中学生の頃から、二次創作が好きだった。絵を描いて缶バッジやシールやラミカといった簡単なものを作っては、オタク友達に配っていた。
そこから派生して、グッズの制作に関わる仕事がしたくてデジタルハリウッド大学に入ったのだけど、卒業後少ししてから働き始めたのは、ファッション雑誌の編集部。
今までの人生で1秒たりとも考えたことのなかった、もはや思い浮かびすらしなかった業種につくなんて、人生って何があるかわからないなぁとしみじみ思う。

グッズ制作に関わる仕事がしたいとぼんやり思い始めたのは、2016年、高校2年生の冬。
アナログ+スマホのアプリで絵を描くくらいのスキルしかなく、どこでどんな勉強をすればいいのかも全くわからなかった私に、デジタルハリウッド大学を薦めてくれたのは父だった。私が生まれる前にApple社に勤めていた父は、杉山学長を一方的に知っているらしかった。
高校2年生の終わり頃、両親に連れられてデジタルハリウッド大学の卒展に行った。グラフィックデザインの藤巻ゼミや、アートディレクションの南雲ゼミの展示作品を見て、自分の“グッズ作り”がグラフィックデザインに通じていることに気が付いた。
数学や社会や理科などの勉強が絶望的だった私は、ポートフォリオと面接と課題で選考されるAO入試のサマートライアウトを受験することにした。
入試説明会では、学長が「一般的な受験生は、受験勉強のためにゲームを禁止されたりするけど、ゲームを作りたいと思っている人はたくさんゲームをして研究してください」みたいなことを話していた。高校で先生や卒業生から受験の話をされるたび、「毎日13時間勉強」「つらい」「苦しい」というイメージを植え付けられた私は、とにかく勉強がしたくなかったから、分野が違えば勉強のベクトルも違うのかと気付かされて印象に残っている。
受けたのは特待生枠だったけれど、一般枠で無事に合格し、周りの同級生よりも一足早く受験から解放された。

私の人生の転機は、デジタルハリウッド大学に入学してからふたつあった。
ひとつは、大学が秋葉原の隣にあったこと。
もうひとつは、キャリアデザインを教えている尾方先生との出会い。

1.デジタルハリウッド大学が秋葉原の隣にあったことで、メイドカフェの虜になる。そして卒制の話。

なぜメイドカフェの話が転機になるかというと、卒業制作でメイドカフェを題材に作品を作ったから。

高校3年生の春、中学生の頃からずっと気になっていたメイドカフェ・あっとほぉーむカフェに、オタク友達が連れて行ってくれた。そのときは、「また行きたいな」とは思ったけど、お小遣いで別ジャンルのオタクをしていた私には出費がキツくてなかなか行けなかった。

人生初ご帰宅のときのぴぴよぴよぴよひよこさんライス。お皿が今と違う!!!

その1年後の夏ごろ。大学に入学してしばらくしたとき、あっとほぉーむカフェのメイドさん3人が大学の中を歩いていた(!?!?)。オープンキャンパスのときに聞いた話で、hitomiさん(あっとほぉーむカフェのレジェンドメイド)が現代文化の講義にいらっしゃることがあるとは聞いていたけど、なぜ豪華に3人も!?!?!? まだ履修登録の前だったからその講義は受けていなかったけど、しれっとお写真を撮っていただいた。

しれっと撮ったお写真。左からみづきんさん、私、hitomiさん、ちあきゃんさん

それから少しすると、別のオタク友達からご帰宅(メイドカフェに行くこと)に付き合って欲しいと誘われた。バイトができるようになったのに、推していたグループのメンバーが脱退して熱中するものがなくなってしまったこともあり、このタイミングでメイドカフェの世界にどっぷり浸かった。運命だったのかもしれない。
デジハリからお屋敷(メイドカフェ)へは、早歩きで5分くらい。こんな好立地で通わないわけがなくない?????? 大学終わりのファミレス感覚で、多いときは週3回ご帰宅していた。

2つ上の先輩方の卒制を見て、自分の卒制で何を作るかをぼんやりと考え始めた。入るゼミもちゃんと考え始めた。その頃は、レベルが高い人たちに囲まれて自分の作品に自信が持てず、将来何をしたいのかも見失っていて、デジタルハリウッドに入った理由も忘れていた。

ふと、AO入試の面接のためにスマホにメモしていた志望動機を何となく読み直して、自分はグッズデザインの仕事がしたくてここに来たことを思い出した。ならば卒制ではグッズを作ろう。
最初は架空のアイドルグループを作って、それを元にグッズをデザインしようと思っていたけど、うすっぺらくて面白みがないなと思った。
そこからどうしてメイドカフェを題材にすることに行きついたのかは忘れてしまったけど、「気になってるけど行く勇気がない」という人たちが結構いたから、その後押しになればと思ったんだと思う。
あと、本当はメイドになって働きたかったけど、親に猛反対されたのと、いかがわしいイメージがあったのかめちゃめちゃ否定されたことで火がついた。多分。行ったこともなければ見たこともないのに、そんな頭ごなしに否定されたらさ〜〜〜〜〜そういうの良くないよね。本当に良くないよそういうの。

卒制に着手し始めたのは、3年生の秋頃。メイドカフェのことを伝えるにしても、架空のメイドカフェを題材にしちゃあ信憑性がないなと思って、大好きなあっとほぉーむカフェの世界観や、お屋敷での過ごし方を絵本にしよう!となった。
メイド服のデザインとかメニューのビジュアルとか、モデルにするならあっとほぉーむカフェに許可を取らねばと思い、本気で企画書を作った。現代文化を教えられている、ご帰宅仲間の(馴れ馴れしくてすみません)梅本先生にご協力いただいて、あっとほぉーむカフェの大妖精さん(めちゃえらい人)に快く承諾していただくことができた。
アンケートで、メイドカフェのイメージや、不安な点、わからないことなどを聞いて、実際に届いた回答をどう解決するかも考えつつ、本格的に卒制に取り掛かかった。

卒業制作展のブース

制作期間中はコロナ禍だったこともあり、仲間と集まってワイワイ制作……なんてこともなく、ゼミ長の仕事もやりながら、ただひたすら黙々と作業していた。
卒展当日は、目標としていたゼミの最優秀賞を受賞することができたし、メイドカフェに行きたい人の気持ちを実際に後押しできるものになった。
メイドカフェに偏見を持っていた母も、私が作った絵本を読んで「楽しそうじゃん」みたいな考えに変わった。自分の代表作にもなった。悪意の有無はわからないけど、メイドカフェオタクの掲示板に晒されたこともあった(笑)

コロナ禍での開催だったこともあり、毎年3日間開催されていた卒展が2日間だけだったのはすごく悔しかったけど、ご協力いただいた大妖精さんとhitomiさんにも足を運んでいただけて、少し報われた気持ちになりました。

会場内からhitomiさんのお声が聞こえてきたとき震えました。
絵本
コロナ禍でぶくぶくに肥えたので、メイド服を着るために2ヶ月で5キロ痩せた
メイドのチェキとか、ティーセットとか、シャカシャカキーホルダーとか
メイド服と相性が良すぎるフリルトート

大学生活の中盤まで自分の作品に自信がなかったけど、メイドカフェオタクが本気を出した作品を通して、卒業時には胸を張れる自分になれたことが、人生の転機その1だと思う。

2.キャリアデザインの尾方先生との出会いと、人生が変わる瞬間

デジタルハリウッド大学では、素晴らしい先生との出会いがたくさんあった。
特に強く印象に残っている先生のうち1人は、グラフィックデザインの益子先生。コロナ禍のオンライン授業で、まだ一度もお会いしたことがないのに、私の作品を見て私の特性を理解してくださった先生の言葉が、心の奥底にずっとあったわだかまりを解いた。一気に先生のことが大好きになった。
他にも素晴らしい先生方と出会い、学習していく上で良い影響をたくさん受けたけど、私の人生を一番大きく変えた出会いは、キャリアデザインの尾方先生だと思う。まさか、お互いの好きなゲームのイベントに一緒に行ったり、日本刀を鑑賞しに博物館に行ったりするほどの仲になるとは。

キャリアデザインの授業は、1年生の必修だった。そのときの尾方先生は、厳しくて怖い印象だった。まあこの授業以外では関わることもないだろ〜と思いながら時が過ぎた。
しかし3年生の冬。先輩からの紹介で、尾方先生から漫画制作の依頼を受けることになった!!!!
内容は、尾方先生自身が体験した、コロナ禍でオンライン授業が始まったときの苦労話。
コロナ禍で環境が変わった学生側が苦労している話はSNSでよく見かけたけど、そういえば先生側の話は見たことがなかった。
コロナなんて世界で初めての経験だから、みんな大変なのはそう。
漫画を描いた経験は、中学生の頃に友達と1冊のノートに交代で話を描いていくお遊び程度のものだったが、時短営業や休業でバイト代があまりない私にはめちゃめちゃありがたく、二つ返事で依頼を受けた。
Zoomで尾方先生の苦労話を聞いて、文字起こしして、構成を練って脚本にした。
それでできたものがこれ。

Buzz Feed Japanにも取り上げられたので、尾方先生の詳しいインタビュー等も読みたければこちらもどうぞ。

二次創作で4桁の反応をもらったことはあれど、オリジナルの創作活動をまともにしたことがなかった私には、賛否両論どちらの意見も見られるくらい、予想外に大きな反響でとても嬉しかった。
漫画をアップしたときは、これから卒業制作と並行して就活もしなければいけない私には、ESのネタも増えて万々歳だった。
しかし、なかなかうまくいかない就活。
コロナ真っ只中で、新卒採用を行なっている企業が少なかった。私が重い腰をあげたのが3年生の2月だったから、スタートが遅かったのもある。企業のリサーチが下手くそすぎたのも大いにある。その中でちゃんと就職できている人もいるから、怠慢といえば怠慢なのだが。
尾方先生と他数人の学生たちでZoomに集まり、夜中までESの書き方や面接の練習をしたこともあったけど、結局内定はもらえなかった。企業見る目ねーなと悪態をつきながらフリーランスになることを決め、大学卒業を迎えた。

卒業後3ヶ月間は、超グローバルな広告代理店のインターンで、SNS用の画像や動画を作成していた。日本人も数名いたけど、ミーティングが9割英語でほぼ何もわからなかった。
インターンを終えた後は、地元の学童でアルバイトを始めた。絵が描けたので、女子にめちゃめちゃ囲まれた。漫画を読むことが好きで、絵が上手な女の子と仲良くなって、とりあえずデザフェスと同人誌即売会をオススメしておいた。あの子元気かな。
そして夏、私の人生を変える連絡が尾方先生から届いた。
それは、とあるファッション誌のインターン募集の話だった。編集部がある出版社にいる尾方先生の知り合いから紹介されたものらしい。上手くいけば、編集部員として正式に採用される。「雑誌のテイストもハナに合いそうだし、どう?」とすすめられた。
さて、お分かりだろうか。私のファッションセンスが割と最近まで終わっていたことを!!!!(一番最初のメイドさんたちとの写真参照。パジャマみたいな格好で大学に行っておしゃれ男子に笑われたこともある)
特にファッションにこだわりがなかった私が、自分の好きなテイストとブランドを見つけたのも、正しいメイクのやり方を学んだのも大学2年生のときだ!!!! 下地も塗らずにチークとアイシャドウを直塗りしていたのが恐ろしい。そんな私がおしゃれトレンドを若者たちに発信できるのだろうか。
そもそも、業務内容の「編集業務全般」がふわっとしすぎて何を指すのかもわからないから、本当に未知の世界。不安が大きすぎるけど、せっかくだし挑戦してみるか〜と思い、応募してみた。とりあえずやってみる精神、私の良いところだと思う。
面接では、雑誌でやりたい企画を1つ考えていかなければならず、一番最初に思い浮かんだのが専属モデルのメイドカフェご帰宅体験企画だった。尾方先生に「こんなのどうでしょう?」と相談してみると、自己PRにもポートフォリオにも卒制の話を入れていたために「あまりにもメイドカフェすぎる」と言われたので、保身でキャラクターのバウンドコーデ企画も一応考えておいた。
ドキドキの面接当日。考えてきた企画をプレゼンするとき、まず最初に出したのがバウンドコーデ企画。ありきたりすぎて、面接官3人の反応は可もなく不可もなくといった感じだった。そして、最後の切り札、メイドカフェご帰宅体験企画を出した。びっくりするほど盛り上がった。
面接翌日、合格の連絡が来た。多分メイドカフェ企画とポートフォリオが強かったんだろうと思う。
3ヶ月のインターンを経て、正式に編集部員として採用されることになった。
これが、私の人生が変わった瞬間だ。


最後に、編集部での仕事のことを書こうと思う。
編集部での仕事は、本当に「編集業務全般」だった。
1.毎号の企画立案
2.誌面のラフを描く
3.撮影日を決める
4.モデル・スタッフのスケジュールをおさえる
6.カメラマンさんやスタイリストさんと打ち合わせ
5.物紹介企画であれば、企業に声かけをして物を集める
6.撮影用の小道具の準備
7.撮影の現場監督をする(かわいいモデルに会えることを原動力に朝4時起きを頑張っている)
8.撮影した写真のセレクトをする
9.誌面の原寸ラフを描く
10.ラフと写真をデザイナーさんに渡す
11.テキストを書く(これ、ライターさんがやると思っていたので本当にびっくりした)
12.入稿
13.スタイリストさん、企業の校正確認・校閲に提出
14.校了
これが、毎号やっている基本的な行程。
プラスアルファで、読者プレゼントの当選者決めとプレゼントの発送もある。
ちなみに、応募ハガキをデコると当たりやすい、みたいな噂があるけど、割と“ある”と思う。情熱を感じると嬉しいもので、当ててあげたい気持ちになる。
その他にも、SNS用の画像を作ったり、雑誌のイベントのグッズ一覧表を作ったり、デザイン面で頼られることも。
専属モデルの中には、中高で推していたグループの後輩がいて、その子と仕事をすることもある。過去の自分に教えたら本当にびっくりしそう。最近、好きな作品の舞台挨拶に取材で行けたこともとても嬉しかった。まさか仕事で行ける日が来るなんて。あと、リリースで新作のコスメをもらえるのも嬉しい☺️
何よりも感動するのは、自分が作ったものが全国の書店に並んでいること。そして、読者の反応をSNSで見られること。初めて誌面の中のたった3ページを任されたときは、発売日が楽しみで仕方なかった。
締め切りとの戦いなので、だいぶ規模が大きい同人誌を作っているような気持ちになるときもあるけど、イベントで実際に読者に会って、キラキラした笑顔を見ると嬉しくなるし、何よりも仕事が楽しい(大変なこともたくさんあるけどね)。

私は同じことばかりをすると飽きてくるし、バイトが1年以上続くのも稀だから、企画内容によってやるべきことが変わったり、いろんな人とかわいいものが作れたり、誌面を作る作業だけに留まらないこの仕事が天職なんじゃないかと思う。
この仕事に出会うために就活もダメダメだったんでは?とすら思う。
だから、超頑張ったのに望む結果が得られなかったとしても、別の道がより良いものだったりすることも十二分にあり得るから、やるべきことをしっかりやった上で、流れに身を任せてみなよ。
煮詰まりすぎずに、気楽に行こうぜ〜!

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