さざんか

庭の地面からふきのとうがひと粒でていて、こっそり食べる。残りものの寄せ集めの謎のエスニック料理に刻んで入れて。
お隣の庭から伸びてくる梅のつぼみもごろごろと膨らんできて、黄緑色とピンクのミックスがかわいい。
さざんかの花も咲いた。前に住んでいた人の植え残しの「毛虫の木」と呼んでいたが、だんだん好きになってきた。
1月なのに、紅葉がまだ見れたり、春みたいにあたたかい日があったり、雪が降ったり、さこちゃんの冬毛がなかなか生えてこなかったり。
お得というかなんというか、これが今の自然なのだろうから、私も適応していこう。さこちゃんのまだ生えない毛みたいに。

生理で弱り気味のこもり気味のタイミングで、ばななさんの小説「カロンテ」を読む。
しじみちゃんの心に映しだされたイタリアの色彩や真っ暗いコントラストがこっちの心にまで映しだされて、記憶して、ふと思い出すだけで涙がにじむ。湯船につかっているときは特に。底にある悲しみが洗われていくみたい。
どんなにとんちんかんでも、生きている愛する人たちに悔いを残させない死に方を私もしたいものだと思った。
そのためにもあんまりいつまでも悲しみを溜めておきすぎないようにしないと。小説の中の人たちみたいに。美味しいものもたくさん食べて。

芸術とは無縁だった時代より、今のほうが繊細になった気がする。繊細でいても守ってくれる作品があるから安心して弱れるようになったともいう。
よかったのかはわからないけど、静かなのはいい。あと「別に私はなんでもいい。いつ死んでもいい。」とはとても思えなくなったのもきっといい。
スポーツとかなんにもやってない、言葉もまだよく知らない頃のひんやりした部屋に、わけもなくお花をもち帰ってきたみたいな感じ。