私の性暴力被害・身体的暴力・精神的暴力(モラルハラスメント)被害について【家族】

【追記】2019年9月30日(月)に思い出したので、追記します。

それはいつだったか?確か、元夫の暴力から逃げて、子ども達と一緒に、戸籍上の母(実母)の家にお世話になってた日です。

戸籍上の母(実母)は、私に対して、何か気に喰わないことがあったんでしょう。

私が夜中に起きて、喉が渇いたから、お向かいの自販機に飲み物を買いに行った夜中(2時頃)、

何か音がすると思ったら、戸籍上の母(実母)が鬼の形相でドアを開けて、周りをギョロギョロと確認し、ドアを閉め、「ガチャッ!」と大きい音を出して、玄関の鍵を閉めたんです。

その時私は、変な空気を感じて、家から少し離れた茂みのような所に居ました。

私はビックリ!しました。

当時、私が履いてた靴は、たった一つです。

だから、その靴が玄関に無い時は、私が外に行ってる時です。

それなのに、戸籍上の母(実母)は、ギョロギョロと辺りを見渡して、玄関のドアを閉め、「ガチャッ!」と大きな音を出して、鍵を掛けたんです。

その時のこと、今でも忘れません!

私はたまたま、いつもは自販機に飲み物を買いに行く時は、鍵を持たないで出るのに、その夜中はなぜか、家の鍵を持って、自販機に飲み物を買いに行ったんです。

いつもと違う行動、それは私の若い頃から有る「野生の勘」です。

その「野生の勘」が働いたことで、私は助かりました!

恐ろしくて、震えが止まらなかったのを、憶えています。

しばらく、その自販機で買った飲み物を、震えてるから飲めなかったんです。


☆。.:*:・'゚★。.:*:・'゚☆。.:*:・'゚★


私の一番古い戸籍上の母(実母)との記憶は、戸籍上の母が買い物袋を腕に抱えて、

その赤い跡が痛々しくて、私は何かお母さんの手伝いをすることはできないのかと考えた記憶です。

まだ就学前の、私です。

家では毎日、酒に酔った戸籍上の父(実父)が、暴れてる時が多かったです。

戸籍上の母(実母)はよく、私と弟を連れて外に逃げました。

そして、私たちは、家の戸籍上の父(実父)の様子を伺いながら、いつ家に帰るのかを考えていました。

でも、それも短い期間でした。

戸籍上の母(実母)は、暴力を奮う夫【(私の戸籍上の父(実父)】から一人で逃げて、その逃げる先は、知人のおばあちゃんの家でした。

そして、その後、私はその知人のおばあちゃんのお孫さんとその友だちから、性暴力被害を受けるのです。それは、小学生の時の数年間でした。

この写真は、小学2年生

真智子・小学校2年生


これは、小学校高学年の私。写真が苦手で、うつむいてました。

真智子・小学校高学年


中学ぐらいの私。自宅にで、弟撮影。

真智子・中学生

「私の性暴力被害(就学前~高校)

話は飛びますが、この家の相続の話、つまり現在の話から始めます。

戸籍上の母(実母)と弟との顛末を、そして、戸籍上の母(実母)が死んだら、弟が家に帰って来るから、

普段から校区以外の生活保護が受けられるぐらいの家賃のアパートを探しておいて、

敷金礼金と2ヶ月分の家賃と、引っ越しの費用をコツコツと貯めておいて、

母が亡くなったらすぐに、アパートの契約をして、引っ越すようにと、

子ども達に話しました。

次男はいじめが原因のうつ病が悪化して、精神科病院に入院中なので、電話で説明して、長男には直接私の部屋に呼んで説明しました。

次男との話は、1時間半掛かり、

長男との話は4時間掛かりました。

いろいろと枝葉も説明しなければいけないので、時間が掛かるんです。

もしも長男に子どもが授からなかった時も、仏壇をどうするのかは、早目に檀家であるお寺のお上人さんに相談しておくことも、話しました。

弟が死んだ後、子ども達がこの土地を共同名義で相続するんですが、

その時は子ども達はオッサンになってるから、

子どもを授かっているのかいないのかは、既にわかってるはずです。

もしも子どもを授かってない時、長男の給与で家を建てられるかどうかの判断をしたり、

銀行とかに土地を担保にして、どれぐらいの家が建てられるのかを判断して、

それができない経済事情の時は、この土地を売るように言いました。

そして、そのこの土地を売った時のお金を、長男と次男で半分にすればスッキリするからです。

戸籍上の父(実父)から受けた身体的暴力で一番思い出されるのは、

戸籍上の父(実父)から木刀みたいなもので、弟と一緒に正座させられて、殴られたことですかね。

ハハハッ!

ただ、弟と一緒にお隣さんに遊びに行ったことが、戸籍上の父(実父)には気にいらない案件だったようです。

たったそれだけの理由で、その時、戸籍上の父(実父)は酔ってませんでした。

シラフで、私と弟を正座させて、「何で隣に行ったんだ!」と叫び、木刀みたいなもので、私と弟を殴ったんです。

木刀って、殴るですか?

何と表現するんですか?

チョッコシ検索してみます。

これって、結構ひどい身体的暴力でしょう?

私の認識は、間違ってないでしょう?


検索してたら、吐きそうになったんで、検索は止めました。

この戸籍上の父(実父)からの数々の身体的暴力も、私は「解離」が起きてたんです。

性暴力もひどかったな・・・

私が弟と夏に水浴びしてたら、私の裸を見て(私は小学生)、

そして、私が浴槽で水泳のクイックターンをすると、

私の裸の陰部を見て、戸籍上の父は、「ヒャッホウ!」と言ったんです。

とてもいやらしく、とてもうれしそうで、私は小学生ながら気持ち悪かったです。

その時の戸籍上の父(実父)は、シラフでした。


そして、小学生の私に、「ある女性が寝てる時、ヘビが女性の膣内に侵入して、子宮で丸まってた」という話をするんですよ。

その時は、戸籍上の父(実父)は酔っ払ってました。

でも、そんな話を、小学生の娘にしますか?

おかしいですよね?

その記憶も「解離」してました。

酔っ払ったら、身体的暴力も精神的暴力(モラルハラスメント)も、性暴力もしてもいいんですか?

いけないですよね?

酔っ払ってるレベルでは、罪に問えませんよね?

刑事裁判には問われないけど、社会的には問われますよね?

吐きそうです。


私はパジャマではなくて、ワンピースタイプの寝間着を、昔から寝る時は着てたんですが、

寝間着って、何となく体のラインが出ますよね。

戸籍上の父(実父)は、いつもワンピースタイプの寝間着を着てた時に、

その私の下半身をガン見してました。

私はとても不快でした。

気持ち悪かったです。

この記憶も「解離」が起きてました。

戸籍上の父(実父)と戸籍上の母を、私自身が「毒親」認定できるまで、長い長い時間が掛かりました。

私には「解離」起きてたからです。

今でも、戸籍上の父(実父)と戸籍上の母(実母)の悪口を言う時は、いつも非常にためらいがあります。

やはり、「両親には感謝しないといけない」という道徳観念みたいなものが、私を精神的に縛り続けてます。

私の心は、なかなか「自由」にはなりません。

今日も、今も、「死にたい」です。

まだ今日の薬を飲めてないのに、

ODをしたくなります。

安定剤は、ODできるぐらい、たくさん保管してるからです。

でも、私は安定剤の保管はし続けます。

それが、いつでも死ねると、何かあった時の「安心」となって、

私は「今」を生きられるからです。

しかし、ひき逃げ事件目撃とTwitter 攻撃による「精神的苦痛」で、飲み込みが痛いんです (>_<)

喉の違和感が、半端ないんです (>_<)

メンタルクリニックで飲み込みの悪さ、喉の違和感については、

「ツムラ16・半夏厚朴湯」が出てますが、漢方薬は効き目が遅いです。

漢方薬は効き始めるまで、数ヶ月掛かるんです。


それは「毒親」の戸籍上の母(実母)からの精神的暴力(モラルハラスメント)も関係しています。

弟のことです。

弟は統合失調症で性格も人格も変わったんです。

記憶のすり替えと忘却も起こってます。

「毒親」は、病院の弟と医師、精神保健福祉士、看護師数人との話し合い(看護師が数人居るのは、弟が病状的に暴れた時に、保護する為に、数人必要なんです)の時、

戸籍上の母(実母)は、ずっと黙ってました!

いつもそうです!

いつもいつもそうなんです!

そういう責任を取らなければならない時、「毒親」である戸籍上の母(実母)は、小さくなって自分の存在を隠し、

本来ならば親として言わなければならないことを、一切言いません。

そうやって、弟の統合失調症を認めず、薬も自宅では飲ませず、

弟が薬を捨ててても、知らんぷりしてました。

弟が、本来ならばできない放射線技師としての病院勤めを許し(私は大反対でした!)

誓約書にサインをして、大嘘をつき、

その後、弟が統合失調症の発作で病院の事務長から夜に電話があって、隣県まで迎えに行かなきゃならなくて、

私は久しぶりの車の運転で、非常にストレスフルで、しかも夜の車の運転で、

私はナビすら使えないから、「野生の勘」という若い頃からある能力をフル活用して、

隣県の大きい総合病院で、院長と事務長の逆鱗に触れた時も、「毒親」である戸籍上の母(実母)は、小さくなって存在を消してました。

何の責任も取らず、弟の世話は私の役目、「ありがとう」の感謝すら無い。

祖母と叔父の世話も、ずっと私がしてきたのに、「ありがとう」の感謝すら無い。

そして、病院の話し合いの時、「毒親」は何も言わない!

自宅の弟の部屋で窓を開けた状態での公然わいせつ案件で「保護」された時の病院での話し合いでも、

「毒親」である戸籍上の母(実母)は、何も言わなかった!

家では、「毒親」である戸籍上の母(実母)の息子(私の弟)に、「もう一緒に住めないと言うから」と言ってたのに、

私は、何度も何度も裏切られてます。

精神科病院との話し合いで、「毒親」である戸籍上の母(実母)は、最後まで黙ってました。

しょうがないから、私が言ったんです。

「〇〇ちゃん、どうすっとね?アンタ、何処にも住めなくなるとよ。どうすっとね?」

と言いました。

本来なら、「毒親」である戸籍上の母(実母)が「〇〇(弟の名前)、あんな事件を起こして警察に保護されたとだけん、もう家には帰って来られんよ。精神科病院が懇意にしてる不動産会社のアパートに住まわせてもらうしかないとよ。」

と、言わないといけなかったんです。

今でも、「毒親」である戸籍上の母(実母)は、弟にその旨を言ってません。

だから、精神科病院での話し合いで、弟は私に「土地の名義を勝手に変えたらいかんけんね!」と大声で暴言を吐いたんです。

私は唖然としました!

弟は本来、そういうことを言うような人間では無かったんです。

統合失調症になる前の弟は、大声とか上げたことは無く、おとなしく、静かで、真面目で、優しい人間でした。

いつも弟と二人で留守番をして、家庭を支えてました。

小さい頃の弟は、友だちが少なかったから、いつも私が面倒をみて、

私の友だちの家に遊びに行く時も、弟を一緒に連れて行ってました。

「毒親」である戸籍上の父(実父)と戸籍上の母(実母)の二人が共稼ぎで家に居なかったから、

弟一人だと弟は「寂しい」と言ってたから、私が弟を連れて、友だちのお誕生日にも弟と一緒に行ってました。

だから、友だちのお誕生日のお誘いが掛かった時は、友だちに弟と一緒になると、あらかじめ許可をもらってました。

そして、弟と一緒に参加してもいいと許可をもらえた友だちの所だけ、弟を連れて行ってました。

でも、私が弟を連れて行ってることは、私の友だちは全て知ってましたので、

いつも了承してくれました。

そして、弟が大きくなって、一人でも留守番ができるようになってから、私は単独行動してたんです。

だから、弟とは仲良しでした。

弟が統合失調症になって、性格と人格が変わってからは、いつも喧嘩でした。

そして、弟はとうとう、自分の公然わいせつ案件を、全て忘れました。

自宅での公然わいせつ案件も、「それを証明してみせなっせ!」「望遠鏡で見てたんですか?」「有り得ないでしょう!」と記憶のすり替えではなく、「忘却」が起きてたんです。

こうなると、家族との心の溝が深まります。

精神疾患の本人と、家族との記憶が全く違ってると、話ができなくなります。

公然わいせつの記憶を忘れてしまわれたら、家族は許せませんよ!

だって、弟が犯した公然わいせつは、中学校の近くのバス停や〇〇女学院高校のそば、自宅の窓から(うちは幹線道路で、車も人もいつも混雑しています)他にもいろいろと、弟は公然わいせつ案件を起こして、警察から私に電話があり、弟は警察に保護され、精神科病院へ入院して隔離の閉鎖病棟入院と、何度も何度もそういうことがありましたし、今も似たような問題行動を精神科病院で起こしたりしてます。

弟の裸や陰部を見た、中学生や高校生、小学生は、どれだけ傷ついているか!

もしかしたら、トラウマになってる人もいるかもしれない。

その性暴力被害者について、戸籍上の母(実母)も弟も、一切話しませんし、一切悪い事はしてないと思ってるようです。

家族とはいえ、信じられません!

そんなこんなで、弟は平成15年から入退院を繰り返し、警察や精神科病院にお世話になり、去年は、一年間のほとんどを、精神科病院に入院して過ごしてました。

公然わいせつの事実を忘却してしまったことを、

もし、それを許せる家族が居たとしたら、

それはものすごく統合失調症の病状を理解できてる人か、

家人の統合失調症を受け入れられない人か、

後者が大多数ですがね。それに、戸籍上の母(実母)も含まれます。

今日も、弟に関する話は、「毒親」である戸籍上の母(実母)との話が噛み合わないので、

しかし、「毒親」戸籍上の母(実母)とはいえ、孫たち(私の子ども達)にはこの家土地を譲りたいんです。

でも、それは無理です。

この家土地は、亡くなった「毒親」である戸籍上の父(実父)の名義のままです。

「毒親」である戸籍上の母(実母)は、市役所が「本当は名義変更をした方がいいが、しなくても固定資産税は「毒親」である戸籍上の母(実母)宛に送れるから」と、市役所からの説明があったので、

「毒親」である戸籍上の母(実母)は、そのまま放置。

でも、それの名義変更をしていないので、行政書士さんに頼む時に、お金が掛かるんです。

「毒親」である戸籍上の父(実父)から「毒親」である戸籍上の父(実父)にこの家土地の名義を変更して、

その後、「毒親」である戸籍上の母(実母)から、私と弟に名義変更しないといけません。

私は、私と弟の共同名義でいいと思ってます。

共同名義は、とても揉めるので、そうでなくても、不動産は相続で非常に揉めるので。

つまり、私が弟よりも先に死んだら、今の家族は崩壊するということです。

それを何度説明しても、「毒親」である戸籍上の母(実母)には理解できない。

弟の病気、統合失調症を「毒親」である戸籍上の母(実母)は受け入れてないからです。

「毒親」である戸籍上の母(実母)が何度も何度も説明を求めるから、何時間同じことを説明しても、わかってくれません。

「毒親」である戸籍上の母(実母)は、自分の息子(自分の『男』にした息子=性行為はありませんが、心理的には自分の『男』にしてます。

だから、その『共依存の鳥籠』の存在に無意識に気づいた弟は、その『支配』から逃れて、『毒親』である戸籍上の母(実母)を『支配する側』になろうとして、

「毒親」である戸籍上の母(実母)を、自分の意のままに操ってたんです。

あのクレジットカードを「毒親」である戸籍上の母(実母)に作らせる案件は、まさにその『支配する側になった「毒親」の息子』の症状を表してます。

そして、戸籍上の母(実母)と弟は、数百万円の借金をしてました。


そして、親戚(父方の本家の長男のお嫁さん・母にとっては義理の姉に30万円、

父方の本家の叔父さんというか、私から見ると従兄弟に70万円。

それと、母方の叔母さん・つまり母の妹で、私の叔父のお金・50万円を盗ったと、私を裁判所に突き出そうとした人間に、私が戸籍上の母(実母)から家計を預かった時、叔母には30万円の借金が残ってました。)


「毒親」である戸籍上の母(実母)が、自分の息子を「自分の『男』にする」という事実。

それは、「毒親」のあるあるなんです。

自分の息子へ、身体的にも精神的にも性暴力を振るう人間は、結構多いです。

性暴力とは、例えば、息子が思春期になっても、一緒にお風呂に入りたがる母親が一定数います。

息子はもう思春期になってるから、母親が裸でお風呂に後から侵入して来た時、

息子は本当は嫌で、母親と一緒にはお風呂に入りたくないのに、

母親の裸を強引に見せられ、

その身を固くして、拒否を示してるのに、

母親は「毒親」だから、そして、自分の息子を自分の「男」にしてるから、

強引にお風呂に侵入して来るんです。

それって、「地獄」でしょう?

そう思うでしょう?

でもね、そのお風呂侵入案件は、結構多いのよ。

それは、私が思春期の頃から、問題になってる案件でした。

結構多いということ、おわかりになるでしょう?


父親から娘への性暴力は、身体に触る、性的な卑猥な話や言葉を言う、レイプするとか、いろいろあります。

「性的な卑猥な話や言葉を言う」←これは私の戸籍上の父(実父)からの性暴力被害でした。

それはそれは卑猥な話とか言葉とか、小さい頃からたくさん浴び続けました。

まだ小学生の私に、酔った戸籍上の父(実父)は、こんな話を何度もしました。

「ある女性が横になってると、ヘビがその女性の膣から侵入して、その女性の子宮の中でとぐろを巻いてた」という話を何度も何度も聞かせるんです。

私は小学生でしたが、戸籍上の父(実父)の話はちゃんと傾聴して、うなづいて聞かないといけないと、思ってました。

他の卑猥な話は、まだ思い出せません。

たくさん有り過ぎるから。


あの日、戸籍上の母(実母)が、酒に酔った戸籍上の父(実父)からいつもの暴力を受けて、包丁とか突きつけられて、

最初の頃は、戸籍上の母(実母)は、私と弟を逃げる時連れて行ってくれたのに、

いつからか、戸籍上の母(実母)は、一人で知人のおばあちゃんの家に逃げて、

私と弟を、暴力を奮う戸籍上の父(実父)がいる家に残しました。

それは、何度も何度もありました。

そして、あの日、戸籍上の母(実母)が「もうお父さんとは離婚するけん!どっちか残らなんたい!」と私に言った朝、

小学生だった私は、すぐに「私が残る」と言いました。

それは、戸籍上の母(実母)が、私がそう言うのを、案に強烈に求めてたからです。

私は「母に棄てられた」と、今でも思ってます。

そして、あの日、本当に離婚して、戸籍上の母(実母)が弟を連れて逃げてたら、

小学生だった私が中学生ぐらいになった時、

私は戸籍上の父(実父)からレイプされてたでしょう。

これは、簡単に想像できる案件です。

私はずっと、「そんなことは無い!いくらなんでも『父親』なんだから、

そんなレイプなんて、そんなことはしなかっただろう」と、

私は何度も何度も否定したけど、

私は上野海佑とFLOWER DEMO@熊本市のTwitter とFacebookのアカウントを作って、
性暴力被害についてカミングアウトした後、

いろいろと思い出して考えて、

私は戸籍上の父(実父)と戸籍上の母(実母)の離婚が成立した後、戸籍上の父からレイプされてたと、容易に想像できました。

戸籍上の父が、私に卑猥な話とかしてる時、私は戸籍上の父なのだから、傾聴しなくてはならないと思ってました。

戸籍上の父は、いつもお酒に酔ってました。

でも、酔ってるから、身体的暴力や精神的暴力、性暴力を振るっていいなんて、
そんなの、法律では無罪判決が出ても、社会的にはアウト!でしょう?

今の法律は、娘が「同意」してたら、父親と娘のセックスは問題ないという法律なんです。

でも、酔ってるから、身体的暴力や精神的暴力、性暴力を振るっていいなんて、

そんなの、法律では無罪判決が出ても、社会的にはアウト!でしょう?

今の法律は、娘が「同意」してたら、父親と娘のセックスは問題ないという法律なんです。

それは、昔の「家」制度、家督制度、男尊女卑、男性優位社会の中で、

女性が「子どもを産む道具」とされ、「物」として扱われてき続けた法律なんです。

その今の法律が作られた背景を議論しないと、ただ単に法律を作ればいいという考えで、2017年の法改正が110年ぶりにあっても、

ほぼ男性ばかりの検討委員会で、12人の内10人が、父親から娘へのレイプを、「レイプ」だと認めず、「冤罪ガー!」と訴え、論理のすり替えをし、

本来ならば、「冤罪ガー!」は、その冤罪の裁判で争えばいいだけの話なのに、

痴漢とかも、「冤罪ガー!」という「大きな声」が大量に湧いて来る!

そして、「フラワーデモは、大火の中に水を運ぶ小鳥のようなもの」と、専門家から評されて、私は「そんなに大変なことなんだ!」と絶望して、

それでも「小さな声」でも「声」を上げ続けなければいけない。

「小さな声」を上げるのをあきらめたら、

それは、「性暴力加害者の思うつぼ」だと思ったからです。

でも、当時の検討委員会では、その思想、「家」制度、家督制度、男尊女卑、男性優位社会のことについては、一切、話し合われてません!

性暴力被害者のことを、性暴力について性暴力被害者の「声」すら聴いてない人達(圧倒的に男性が多い検討委員会)によって、

法律が決められている現実!

それすら、理解しようとしない輩どもが、多く存在してる。


TVドラマ「これは経費で落ちません!」の中で出て来たセリフ

「覚えておいた方がいい。『裏切り者』はね、いつだって『そう見えない顔』をしているものよ。」

 ↑ 本当にそう思います。

それは、戸籍上の母(実母)にも当てはまります。

私の戸籍上の母(実母)を見た外部の人達は、戸籍上の母(実母)のことを「裏切り者」とは評価しませんからね。


「『裏切り者』はね、いつだって『そう見えない顔』をしているものよ。」


2017年当時、タクシー代が半端なかったです。

月に20万円以上掛かりました。

私が入院した翌日、私に弟のことで警察から電話。

弟は自分の部屋(幹線道路に面してます)で窓を開けて、

自慰行為を、通りかかりの女子児童・生徒に見せてたらしいです。

警察が弟を保護するには、そこに必ず弟が居ないといけないんです。

それは、たった一人では無理なので、数人の警察官が必要なので、他の事件もたくさん抱えてる警察官にとっては、

確実に保護できる状況への協力を、キーパーソンである私に求めてきたんです。

その弟に関する警察と病院の連携には、いつも私が関わっています。

その私が入院してた整形外科の病院から自宅までのタクシー代、自宅から精神科病院までのタクシー代、

そして、何度も私が入院してた整形外科の病院から自宅や弟が入院してる精神科病院までのタクシー代、

それが何度も何度も掛かりました。

その後、私が一週間で退院して(本当は1ヶ月入院予定でしたが、私が弟の世話とかあったので、退院を希望して、

主治医(その整形外科の病院ってか、今は総合病院になってるけど、その歴史ある整形外科の病院の理事長さん)が

その旨、理解してくれて、

私の自宅は狭いので、伝い歩きができるから、自宅療養と通院にさせて下さいという旨と、弟の世話が大変だからという、早く退院させて下さいという希望を、

主治医(理事長さん)は認めてくれて、一週間で退院させてくれました。

でも、私の次男が精神的にアップアップになってて、

でも当時の精神科病院(思春期外来あり)の主治医は次男の話を聞いてくれず、

5分診療をしてくれて、結局、ある案件で次男は入院となりました。

それは、私の次男が精神的にストレスフルで、精神的にいっぱいいっぱいになってて、

そのせいで、次男は私の戸籍上の母(実母)や弟に暴力を振るい、そして、私の顔にも軽くパンチを浴びせたからです。

私は次男から殴られて、良かったー!!!と思いました。

それは家庭内暴力として、警察に電話できる案件なんです。

だから、自動的に掛かりつけの精神科病院(思春期外来あり)に入院できたんです。

そうやって次男は警察に保護され、掛かりつけの精神科病院に入院できました。

だから、私はまた一日置きに次男の入院してる精神科病院に、自宅から往復してました。

そのタクシー代は、当時20万円を超えてました。


私はもう、誰の「物」にもならない。

再婚もしないのは、それが本当の理由です。

私の「心の王様」は「私」です。

他の誰か、つまり再婚相手でもなく、パートナーでもありません。

私の心は「私のもの」です。

もう私は「支配」されたくない。

愛という名の「支配」を、私はもう受けたくないんです。

私は「支配」されやすい人間です。これは心理学的に証明されてます。

統計処理をされたデータなので、信じます。

だからもう、私は絶対に再婚はしない。

「DV共依存」の両親のもとで育てられた子ども達は、

ほぼ3割以上、「DV共依存」を作る。

つまり、「DV共依存世代間連鎖の子」になる可能性が、3割以上あるというデータです。

私は誰からも「支配」されないように、心に命じてます。

それなのに、離婚後に、マイミクに「支配」されました。

私はいつまでも懲りない人間で、「支配」する側の人間を見抜けません。


そして、そのマイミクは、共通のマイミク達(100人以上)から

「優しい人」だと評価されてました。

私の現在のパートナーも、共通のマイミクでした。

過去形にするのは、私は既にmixi を退会してるからです。

私は共通のマイミクの「優しい人」だという評価を信用して、そして、私自身がそのマイミク(mixi の友だちのことを、『マイミク』と言います。

そして、『マイミクのマイミク』のことを『共通のマイミク』と言います。)のことを信用して、

そして、私は騙されたんです。

それから、私はその付き合ってたマイミクから、性暴力被害を受けるんです。

当時、離婚後うつに罹患してた私は、後に現在のパートナーとなる、性暴力加害者の同級生で共通のマイミクさんや、性暴力加害者との共通のマイミクさんに会って、悩みや愚痴を聞いてもらいに、

〇〇方面に数回行きました。

でも、子ども達に「また行くの?」と言われて、それからは行くのを止めました。

その時の私のスーツケースを、戸籍上の母(実母)は勝手に開けていて、

ある日、戸籍上の母(実母)と弟のことで喧嘩になった時、

戸籍上の母(実母)は言いました!

「あのスーツケースの中身は、何ね!」

その時の戸籍上の母(実母)の顔は、「母親の顔」では無かった。

それは、私に嫉妬してる「女」の顔でした。

我が子に、嫉妬する「女」の顔を見せる、戸籍上の母(実母)!

だからこそ、戸籍上の母(実母)は弟を、自分の「男」にできたんでしょうね。

恐ろしいわ!

そんなの「親」じゃない!

だから、「毒親」なんです。


弟は統合失調症でしたから、結婚に関しては妄想を抱いていて、

その妄想相手の元お隣りの女性、迷惑してるでしょう。

申し訳ないけど、その女性とは私は連絡取れないので、謝罪すらできません。


それで、弟には子ども(跡継ぎ)が居ません。

だから、戸籍上の母(実母)は、私に男の子が二人授かったので、

「どっちか、上野の姓にしてくれんね!」と言いました。

「嫌だよ!私は子は分けないから!」と即答しました。

何故なら、私は弟と小さい頃から差別されて育ってきたからです。

私は、戸籍上の母(実母)の「物」であって、「都合のいい道具」であって、戸籍上の母(実母)の「子ども」ではなかったから。

そうやって、戸籍上の母(実母)の親(私にとっての祖母)の世話、

戸籍上の母(実母)の弟(私にとっての叔父)の世話、

戸籍上の母(実母)の息子(戸籍上の母(実母)の『男』)、つまり、私の弟の世話、

全て、同時進行で世話をさせ、戸籍上の母(実母)は責任を取らず、少しも謝らず、統合失調症の弟が勤務してた病院長さんや事務長さんから、叱責されでも、戸籍上の母(実母)は小さくなって存在を消してるだけで、

必死に誤ったのは、私です。

その時の〇〇〇の大きい総合病院で、弟は放射線技師として雇われ、

そして、1ヶ月後に、しかも患者さんの検査中に、統合失調症の症状が出て、最悪でした!


私は別れた元夫から、ひどい暴力・モラルハラスメント・性暴力を受けて来ましたが、

その時いつも、子ども達をちゃんと二人連れて、車で実家に避難してました。

子ども達を両脇に抱えて、裸足で走って逃げたこともあります。

実家に避難すると、戸籍上の母(実母)は迎えてくれますが、

何か気に喰わないことがあると、戸籍上の母(実母)は私に、

「出て行けー!」と怒鳴りました。

私は言いました。

「お母さん、そんな『出て行け!』とか、決定的なことを言わないで。

その言葉に、私はものすごく傷つくから。

子ども達と暴れる夫から避難する為に、ここに帰ってるんだから。」と。

でも、そんなこと、お構いなしでした。

私には何度も何度も「出て行けー!」というのに、

弟には「もう一緒に暮らせんよ。家には帰って来られんよ。」とは、一切言いませんし、言ったことは全くありません。

そして、それは現在に続いてます。

私は、戸籍上の母(実母)に「棄てられた子」だから、

私は絶対に子ども達を棄てないし、いつも一緒に元夫の暴力から逃げてたし、

戸籍上の母(実母)から、上野の跡継ぎの話があっても、

「子は分けない!」という信念から、私は戸籍上の母(実母)に反抗しました。

戸籍上の母(実母)の妹たちは、「何で!二人も男の子がいるのに!何で片方を、上野の跡継ぎにせんとね!」と、戸籍上の母(実母)を擁護してたらしいです。

そして、戸籍上の母(実母)は言いました。

「もう、アンタの子ども達の世話はせんけん!」

私は驚きました!

だって、私は市の保育料とは別に、戸籍上の母(実母)に、子ども達の面倒を見てくれてるお礼を、毎月3万円あげてたからです。

私なりに、ちゃんと戸籍上の母(実母)には、礼を尽くしてたからです。

そして、戸籍上の母(実母)の息子【戸籍上の母(実母)の男】の、警察や精神科病院との連携も、医療保護入院の為の書類についても、いつも、仕事中でも、何でも、警察や精神科病院から呼ばれたら、すぐに向かってた。

私はちゃんと、戸籍上の母(実母)の息子(私の弟)の面倒を見てますし、それは現在も続いてるんです。

それなのに、何でそういう物言いをされないといけないのか!

まあ、一言で説明すると言えば、「毒親」だからでしょうね。


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