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Alexander McQueenのコンチェット

マックイーンの映画が公開されるぞ

映画『マックイーン:モードの反逆児』が2019年4月5日に公開される。慶賀に堪えません。2018年に海外で公開された時、日本は未定とアナウンスされていた。まさかオラが街の劇場で鑑賞できることになるなんて…!僥倖っ…!なんという僥倖…!!
2018年には『Dries Van Noten ファブリックと花を愛する男』、そして『We Margiela』とモードを題材とするドキュメンタリー映画が立て続けの公開。この流れが続いてくれると嬉しいな~~。


Alexander McQueenはモード史のひとつの最高到達点だ、と言ったら大げさに聞こえるかもしれない。だけど彼のコレクションは偉業と呼びたくなるような、圧倒的な規模と完成度を誇っている、
…のだけども!マックイーン自身や彼がデザインしていた時代のブランド情報を日本語で読めるサイトがほとんど見つからなかった。一体なぜだ・・・っ?!残念を通り越して無念極まりない。

コレクションの写真や映像はVOGUEやYOUTUBEで鑑賞できる。

彼の生い立ちやデザインの特徴は下記が誠実でよかった。ケリング傘下に入る前の情報や日本国内の流通についても詳細に書いてくれている。

尊敬するスタイリスト、中村のんさんのブログ。今日触れる「Savage Beauty」展のカタログの感想。注目すべきポイントとコメント、さすが。


発見できた中で最も興味深い記事は、スージー・メンケス女史によるマックイーンの死後に開催された回顧展「Savage Beauty」のちょっと辛口なレビュー。マックイーンの本質を捉えた巧みなエッセーで読み応えがあるが、残念、モードお得意の「肝心な部分はほのめかし」に終始している。


ということで映画公開記念!このレビューをもとにモードの巨人、アレキサンダー・マックイーンについて誰にも頼まれてもないけど全力紹介はじめるよ♡



ストーリーテラーとしてのマックイーン

同レビューは回顧展の概要とその注釈がまとめられている。そこでマックイーンは特別な存在で<ストーリーテラー>だと記されている。曰く、彼が使う花、貝殻、角、骨などは” proof for storytelling “ 、つまり「ストーリーテラー」としての証明であり、Savage Beauty展のカタログに掲載されている「Show And Tell」を引用しながら、マックイーンの表現衝動は「ファッションショーを単に服を見せる商業的な営みから物語の媒体へ引き上げること」にあったと主張している。

一見するとごもっともな内容だけど、花や貝殻は大昔からの服飾の鉄板ネタだ。また「引き上げる」と言うが、マックイーン以上に大掛かりなショーを行っているブランドはあるし、そもそもシグニチャーブランドはひとつ格下の既製服、ready-to-wearのコレクションだ。 一体STORYTELLINGという言葉にはどのような特別な意味がこめられているのだろうか。

その答えはマックイーンと共に挙げられているデザイナーがヒントとなる。それはJohn Gallianoだ。そうです!このガリアーノ君です!!(ショーのフィナーレです)

この二人の共通点といえば、グレートブリテン生まれ。セントマ育ち。性のクセが強い。そして服飾史の積極的な引用が挙げられる。
物語という文学ジャンルは叙事詩から派生したものであり、今でもフランス語でHISTOIREという言葉は「歴史」と「物語」を意味する。ここで言うSTORYとは19世紀半ば以降のモード史に留まらない、着飾る身振りの歴史への敬意を伴った言及を意味しているのだと思われる。

この条件だけでは他にも当てはまるブランドがいくつもある。当然TELLINGの部分にも重要な含意があるのだろうが、演出の質やその方法については一切触れられていない。「なんとなくアヴァンギャルドなカンジで」ってことなのだろう。

このレビューが決定的に物足りないのは「マックイーンが伝える物語とは何か」が明らかにされていないからだ。彼のデザインに潜むメッセージに触れることなしに、どうやってその素晴らしさを伝えることができるだろう。「会場に直接来て確かめてね♡」ということなのだと思うが、今となっては確かめようがない。
ここから先は僕の好奇心のままに、彼の物語について書いていこう。



マックイーンと好奇心のHistoire

彼に今なお惹かれ、最高と考える理由。それは好奇心の在り方そのものをファッションで表現した多分最初のデザイナーだからだ。モードは人々の好奇心、新しいものを見たいという欲求から近代に発明され、今でもそういうロジックで一応動いている。
彼はモードを悪用・乱用することで、そういう人間の心理そのものを炙り出そうとしていた。モードのエネルギー、システムの見極め作業を行なっていた。マルジェラが徹底的に非モード的な手法を選んだのと反対に、マックイーンはあまりにモード的な手法でその本質の暴露を試みた。そういう意味でモードの最高到達点。


インタビューでよく「curious(好奇心をかきたてられる)」という単語を口に出していたように、Savage Beauty展のメインスペースはCabinet of Curiosityと名づけられた。かの有名なスプレー噴射されたドレスを中心に、これまでのコレクションが圧倒的なボリュームで展示されていた。

このネーミング、思うに企画者の慧眼だ。現在の美術館の原型とされるCabinet of Curiosityは驚異博物館と訳され、16世紀に流行した貴族が城の一室にこっそり構えたギャラリーのことを指す。キリストが架けられた十字架の破片(!)、地球儀、人魚の剥製(!!)、人間技とは思えない超絶技巧の宝飾品といった、なかなか際どいブツ(ほぼ贋作だった)が世界中から蒐集された。貴族たちは人知れずこのギャラリーで夜のルネサンスを愉しんでいたらしい。

しかし、このキャビネットにはある重要な秘密が隠されていた。それは「神のクリエーションの方法を明らかにし、それを自家薬籠中のものとすることで、神に近づきたい」という欲求が通底していたのだ。一見カオスだが、当時信奉されていたネオプラトニズムの教義や異教的な神話(Mythos)に沿って空間は厳格に構成、コレクションは分類されていた。
ミステリー(Mystery)に触れたいという好奇心から、イレギュラーなもの、グロテスクなもの(語源はgrotta。地下墓地、洞窟の意)、謎めいたもの、つまり神の創造の痕跡(sign)が一層明らかになりそうなものが世界中から掻き集められた。

どれくらいガチでDIGっていたかと言うと、質量ともに圧倒的でヨーロッパ随一と評されたキャビネットの持ち主、神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ二世は、国政が傾くほど多額の費用をWunder Kammer(驚異博物館のドイツ語訳。wunder = wonder)に投じた。
博物館の運営では飽き足らず、詩人、画家、建築家、植物学者、天文学者、錬金術師・・・を大量に召し抱え、城の中に動物園まで作ったというんだから、その蒐集癖は常軌を逸している。
結局、度が過ぎた放蕩のせいで実弟に皇帝の座を追放され、300年以上の間、完全無欠の無能というレッテルを貼られることになった。

「こいつ何の話してるんだ?」と訝しみながら読んでくれたそこの君っ!やっと話が戻ってくるぞ!いえーい!!
ルドルフ二世に仕えていた代表的な画家兼家具デザイナー兼建築家兼舞台演出家がジュゼッペ・アルチンボルド。「ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世」は綺想異風っぷりで有名だ。
これまで述べてきた好奇心をめぐる一連の物語がマックイーンにも受け継がれていることを映画製作者はどうやら理解しているらしい。映画の告知フライヤー、マックイーンがしっかりウェルトゥムってるんだ…!

そういえばSavage Beauty展のカタログの表紙はホログラム仕様で、マックイーンが骸骨にメタモルフォーズするという手の込んだつくりになっている。実はこの変容(流転)のテクニックも驚異博物館と同じ時期にヨーロッパで流行した技法だ。
ロンドン・ナショナルギャラリー収蔵のハンス・ホルバインによる「大使たち」をマックイーンはきっと一度は生で見たことがあるのではないかという妄想はあながち外れていないと思う。その詐術、油絵に描かれるモチーフや世界観がダミアン・ハーストよりもマックイーンに重なって見える。



Concordia Discors(反対物の一致)

好奇心に根を張る知識欲。それが具体化したコレクションという所有欲。神が創造した物語に隠された秘密を暴き、神のように新しいクリエーションを実現してみたいという、ほとんど本能的な表現衝動。その執念き強欲の果てにあるもの。そういった壮大な物語をマックイーンはファッションにのせて刹那のうちに表現していた。

スージーは花や貝といった自然のモチーフがストーリーテラーの証拠だと言っているが、マックイーンのコレクションではそれと同じくらい頻繁にクリスタル、機械仕掛け、車輪、ゲームといった人工的なモチーフも登場する。彼がアヴァンギャルトと評されるのは、どちらかといえば後者のデザイン、取り入れ方によってだった。

僕達を驚異の闇に叩き込み、目を眩ませ痙攣させるこのバロック的な明暗対比について、多くのエディターはある時はひどく断片的に褒めて、或いは大げさに扇動的に非難した。チープなネーミングを与えたり、よくわからない造語を作ってみたりした。日本のメディアは意味のなさないカタカナ語を羅列してそれらしく飾った。
最終的には突飛なアイディアと高度な技術という矛盾にお手上げ。いつのまにか彼は手のつけられない「アンファン・テリブル(恐るべきガキんちょ)」と呼ばれるようにった。

が、そんな子供じみた遊び心やファッション的な気分から彼のデザインが生まれてきたと一度も思ったことがない。彼のデザインはもっともっともっと業が深い。いつでも切なくて、幸福に満ちていて、甘く、苦しい。

マックイーンはクチュールとデジタル、生死、男女、愛憎、硬柔、直線と曲線、ラギッドとソリッド…と、あらゆるものを自然に対立させた。この世の全てが好奇心の実験の対象で、アヴァンギャルドは不可避の表現手段だった。彼のデザインの最終的な目標は四季を司るウェルトゥムヌスのように、この世のすべてのイメージを彼のヴィジョンに従えることだったのではないだろうか。

デザインから演出までを彼が手がけた事実上の遺作、2010SSシーズンのコレクションのテーマが「Plato’s Animais」(プラトン的な新世界に生きる動物たち)だったのは出来過ぎ、としか言いようがない。ミュトス(神話)とロゴス(論理)の劇的な邂逅。エモすぎる。
多感なハタチそこそこで見てしまったという僕個人のノスタルジーもあるが、あれを超えるものには二度と出会えないと確信している。



とにかく映画を見ようぜ

数々のスキャンダラスなエピソードはね、もうどうでもいいよ。スコットランド系の貧しいタクシードライバーの息子だとか、失業保険で生地を買ったとか、ANDERSON & SHEPPARDで職人やってたとか、皇太子が注文したスーツの裏地に「僕ちん、おちんちん!」と書いたらしいとか、セントマの卒コレをイザベル・ブロウが全部買い取ったとか、バムスターとか、ハイランド・レイプとか、LVMHを裏切ってKeringに寝返ったビッチだとか、大英帝国勲章授与式を口実にスカート履いて喜んでたとか、ケイト・モスのホログラムとか、インタビューでFワード連発してピーピーピーだらけになっちゃったとか、Bjorkの衣装がイカしてたとか、アルマジロシューズとか、そんな小さなことはこの際どーーーーでもいい。

あの頃の僕達はマックイーンのファッション、いやマックイーンという巨人を通じて、人間の精神と表現の歴史、その未来を一気に垣間見ていた。彼はファッションというマジックキャンディーを唖然としてぽっかり開いた僕達の口の中へ喉が詰まるまで放り投げ続けた。熱狂しないわけが、なかった。
日本の教育の場でも「デザイナーにはヴィジョンが必要だ」とようやく言われるようになったけど、マックイーンは本当の意味で、もしかしたらモード界の唯一のVisionaire(幻視者)だったのではないか。

あまりに過度な期待をして後からガッカリしたくはないが、彼のCuriousへのまなざし、ストーリーテラーとしての真価が映像できっと露わになるだろう。もうね~~、とにかく見よう!公開が愉しみで仕方がないんだぜ。


 学魔に捧ぐ。



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三代目えぞ家☆ちゃも吉

場末のファッション漫談師

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