ドクター・アルチザン (2/2)

第二部

八月のある日、ヨッシーが、行方不明になった。
夏休み中に「木村君、俺、アルチザンを見てくる!」と出掛けたきり、消息をたってしまったのだ。電話も、LINEも、インスタも、すべて無駄に終わった。



俺はただ唄うだけ

稲垣さんとの運命的な出会いから1週間。俺はAというショップに向かった。Aは渋谷区の外れ、閑静な高級住宅街の裏通りにあるらしい。俺はその近辺に行ったことがなかった。なんでこんなに不便なところに作ったんだろう。

盆休み前で街には人がまばらだった。こんなに静かなのも珍しい。
駅から15分ほど歩いただろうか。グーグルマップが指すポイントに着いた。まではよかったのだけど、肝心のAが見当たらない。住所的にはこのマンションのはずなんだけどな・・・。同じブロックを2周したけど看板がない。やっぱり閉店したのか?

完全に無駄足だったな。このまま駅に帰るのはもったいないからこの前見つけた古着屋でリサーチしようかな、と考えていた時だった。

カン、カン、カン・・・。

乾いた金属音が響いた。ガレージの脇にある階段から、TPOへの配慮が全く欠落した30代くらいの男性が降りてきた。くたびれた黒のカットソー。無駄に切り替えとギミックが多いカーキ色のパンツ。くたびれたシューズ。そして修行僧のような愛情と慈悲に満ちた目つき。間違いない、あそこがメッカだ。

階段の途中に、真っ白い石が無造作に積み上げられていた。実家の裏にある寺を思い出した。うだるような暑さをつんざく、凛とした存在感。言葉にできない神聖さ。
俺は求めていたものに近づいていることを確信した。サイコーに興奮していた。あとストライクひとつでゲームセットだ。

年季の入った木製の扉は見るからに重そうで、黒いペンキは所々剥がれていた。遭難した人の遺書のような弱々しい筆跡で “ Where is here ? Who are you ? I am just singing now. “ と書かれた細長い生成りのサテンリボンとエリンジュームのドライフラワーがドアノブに掛けられていた。



初体験

フーッと、扉の前で深呼吸した。
あの稲垣さんがオススメしてくれたショップだ。アルチザンを取り扱っている。ちょっと怖い。意を決して扉を開いた。

扉は建てつけが悪くて、力いっぱい押してようやく・・・バンッ!と音を立て、ようやく開いた。
足元がごわついて、ビックリして下を向いた。でかいシマウマのラグが敷いてあった・・・。これ、踏んでよかったのかな?

店内の内装は炭鉱みたいだったが、埃のにおいは全くしなかった。間取りはL字。天井から剥き出しのランプが中央に一列に吊るされていただけで薄暗かった。打ちっぱなしのコンクリートの壁。アンティークの木箱と樽の上に、アクセサリーが散乱していた。積み上げられたスピーカーから、ひと昔前のフレンチ・ポップスが聞こえた。

店の中央には革張りの大きなソフアーが3つ。直径2cmくらいのくすんだゴールドのスタッズが縁に打ち込まれていた。随分古そうだけど、表面は照明の光を鈍く反射していた。大切にケアされているのだろう。
窓際には大きな鏡。脇には錆び付いた計量器具や、金属のプレートが無造作に置かれていた。太いチェーンが天井から幾重にも垂らされ、木製の太いハンガーがかかっていた。
錆びた水道管を模したハンガーラックが左右の壁に4本ずつ。ハンガーピッチは18cm。みだりに偶像を崇拝するなという隠されたメッセージ。奥の窓際には、一枚板のオーク素材かな? 幅2mは余裕であるテーブル。きっと新作だろう、ニットやカットソー、ソックスが綺麗に積まれていた。


俺は店の奥へと進んだ。ドラクエの勇者の気分だ。置いてある物がすべて武器や鎧に見える。こんな装備じゃだめだ、早くアルチザンが欲しい!

窓際のテーブルに近づいたところで、ようやく店員がいることに気づいた。入口からは見えない、L字の奥まったところに背を向けて立っていた。

男性は稲垣さんのような長髪で、室内なのにブラウンスエードのテンガロンハットを被っていた。服屋なのに上半身は裸だった。上半身裸なのに星条旗のバンダナを首元に巻いていた。背中には十字架、ライオン、ラテン語の碑銘、薔薇、レコード、ハート、エンブレム、明日花キララ・・・タトゥーだらけだった。

裾にシワがたまっているブラックデニムに、ジップが螺旋を描く、特徴的なブーツを履いていた。ごついシルバーのウォレットチェーンが2本。高橋ヒロシ先生の漫画の登場人物みたいだ。

情報量が多すぎて俺は混乱した。そして恐る恐る声を掛けたんだ。

「あ、あの・・・」

返事がない。3mも離れていないのに。聞こえてないのか?

「すいません・・・?」

ようやく男は振り返った。

「こんにちは・・・」

風貌に似合わず甲高かった。鼻の奥で鳴る、不思議な声だった。
店員は言葉とは裏腹に無表情で、というか眉に少し皺が寄っていた。すでに軽蔑されている気がした。何かまずいことをしたのだろうか?

「初めてお邪魔したんです。オススメの服を教えてください」
「ンー、全部・・・」
「全部ですか?」
「そう・・・。ウチ、一見さんのお触りは厳禁っていうルールなんよ」

え?
何、そのルール? ここ、服屋やろ?!っていうか訛りの癖が強い!!!

「よく見て行ってね。ウチは素材とパターンにこだわった、最高の商品だけをセレクトしてるからさ」

見るだけで素材感とフィテッィングの具合がわかるわけないじゃん!

「・・・パターンですか?」
「・・・」

無視すなーーーー!
この日、俺は生まれてはじめて「接客されない接客」というものを経験した。
伊勢丹メンズ館の2Fもハイブランドしか置いてないけど、あそこの接客はすごく丁寧だった。お金が足りなくてサリバンを諦めかけた時も「リボ払いってご存知ですか?」と秘密のテクを教えてくれ、無事ゲットできたんだ。



「このポエルのレザー、すごく素敵ですね!」

明らかに堅牢なレザーのスタンドカラーのブルゾン。稲垣さんが教えてくれたCarol Christian Poellというオーストリア人のブランドだとすぐにわかった。無駄を極限までそぎ落としたデザイン。服が纏っているオーラがその辺のチープなやつとは全然違う。
革が分厚く硬いので床に垂直に立つ。着用することで革が柔らかくなり、自立しなくなることを「カルマ落とし」と呼ぶらしい。良い子のみんなは絶対にこのワードをネットで検索しちゃアカンで。

ポエルはアルチザン教カーストの最上位を占める神ブランドだ。デザイナー本人がテーラー出身で、パターンを引いている。ありそうでなかった造形と考え抜かれたなディテールが奇跡的に一枚の服の上でマリアージュする。彼はアルチザン界に君臨するゼウスだ。

「ポエル・・・。アンタにはまだ早いかな・・・」

店員はそっけなく言った。
さすがに腹が立った。もしかしてこの人はコミュ症なのだろうか?とも思った。見た目はやべー。会話はできねー。店員として最低レベルだ。なんでこの人、販売員やってるんだろう。

「あそこのボディに着せてあるレザー、あれ7年ものなんよ。いい味だよね?」

知らんし・・・。触れないからわかんないし・・・。大体、レザーってワインみたいに「何年物が最高!」とか、そういう楽しみ方をするものなのだろうか?

「あれ、俺がこのショップをオープンした時に買ったんよ」

この人、オーナーなのかよ・・・!
そしてオーナーは小声で、早口でまくし立てるように言った。

「トレンドっていうのは、オシャレがわからない人の逃げ。『あんなに高い服を買ってかわいそう』とか言われるけど、意味がわかんない。君がいま着てるアクネ、7年という時間の流れに耐えられる?」
「どうでしょうか・・・。資金ぶりも苦しいみたいですね・・・」
「アクネなんてオンラインサイトでいつもセールしてるだろ。ポエルは許さんぞと(笑い)。
うちはアルチザンです。オンラインもダメ。受注会、店頭、顔馴染の顧客へのTEL販売だけ。商売は絆です。セールもダメ。在庫はすべて屋上で焼却処分。1シーズンで慣れますよ。出張前はお客様の顔を思い浮かべて大枠を決めて、最終的な買付オファーを出す前にお客様にご相談する。サンプルを借りられるときは借りて試着して頂く。そうやって本当に素晴らしい商品を、必要な分だけバイイングして、正しい値段でお売りすればいいんです」



結局、俺は一枚の服も触ることなく退店した。30分も店内にいなかった。
もちろんムカついた。それ以上に悔しかった。接客はされない。マウンティングばっかり。着てる服をディスってくる。店の服を褒めても俺をディスってくる。一体、客をなんだと思ってるんだ?そんなに俺ダサいのかよ!

そして、改めて誓った。この壁を乗り越えて絶対にアルチザンを買う。稲垣さんみたいに余裕があって、相手をハッピーにできる大人になるんだ。ユリさんみたいに童顔でパッツンが似合う、おっぱいのたわわなきゃわわ女性と付き合う。そういうアルチザンな男に、俺はなりたい。



帰宅する頃にはあの忌々しい事件から少し時間が経ち、冷静に今日の出来事を見つめ直すことができるようになった。

あの店のオーナーはマジでイッちゃってた。あれは接客なんかじゃない。だけど、ショップの内装や服は本当にかっこよかった。今まで見たどのショップよりも。
あんなショップにセレクトしてもらえたら、デザイナーもきっと嬉しいんだろうな。今時セールしないなんて店、どれくらいあるんだろう?自信たっぷりに「うちには世界最高の服しかないよ」って客に言えるショップがどれくらいあるんだろう??

このアクネのカットソーも海外の通販サイトで80%OFFで買ったやつだ・・・。そう思うと、なんとなくデザイナーに申し訳ないな。たくさんの人がこの服を作るために半年間も頑張ったのに。俺が買った金額のうち、何%がアクネに入るんだろう。次のコレクションをつくる資金、大丈夫かな・・・。

そして、稲垣さんとユリさんにLINEした。



僕の心を取り戻すために

二人にやっと会えたのはお盆休みだった。相変わらず暑さは続いているけど、蝉の声は随分静かになっていた。

2ヶ月も夏休みがあるから、二人に会えるのが待ち遠しくて仕方なかった。あのショップに行ってからは、木村君と約束していた帰省旅行もキャンセルして、フェスの設営や夜間警備員のバイトをしまくった。30万円は貯めた。

夜8時の約束通り、表参道の交番で稲垣さんとユリさんと合流した。稲垣さんは今日も小汚い格好だった。俺は多分オシャレかな?と思うけど、普通の人は隣にいて欲しくない、同じ空気を吸いたくないときっと思うんだろう。だってちょっと臭そうだから。

稲垣さんは少年のような笑顔で「これRick Owensっていう神ブランドw 最強のモテ服ww 俺はカニエ・ウエストだぞ、マイメーンwww ダスティー・サーモンの色味、いいでしょ?」と聞いてきた。この人は情緒のネジがぶっ飛んでしまっている。
とりあえず「そ、そっすね・・・」と答えたが、ユリさんに「絶対思ってないでしょ」と即突っ込まれた。

ユリさんは夏らしい、小花柄のノースリーブのマキシドレスにカーディガンを肩にかけていた。
ドレスが本当に素敵だった。P下は22匁シルクジョーゼットだろうか、街灯に照らされて色鮮やかな花柄が濡れているように見えた。波をまとうヴィーナスみたいだ。
スカート部分にはギャザーが贅沢に取られていて夜風で静かに揺れた。要尺は10mで足りるのだろうか。ヘムはフランス製の繊細なボタニカル柄の1.5センチ幅のハシゴレースでトリミングされている。蹴回しは4m以上あるのにアタリがなくて、もちろん背中心のファスナー周りにもだ、誰がどう見ても熟練した職人による縫製だ。仕様や副資材の選択に熟慮の痕跡が伺える、これは紛れも無くハイブランドのドレスだ。
シューズはPELLICOで、ファッションIQと自己顕示欲が反比例しているIT系オラオラ男性(彼は宗教上の理由でナローラペルにVネックシャツを合わせるふた昔前のルックで常にいることを強いられていた)への確固たる拒絶をほのめかしていた。
女性にありがちなブランドマシマシなコーデに敢えてしないところにユリさんのポリシーを感じる。今日もハイセンスすぎる。俺は「ママ〜〜♡♡♡」と呼びたい衝動を抑えるのに必死だった。

交差点からすぐの、二人が行きつけだというピッツェリアに来た。店内に石窯があって、うまいナポリピッツァを食べさせてくれるらしい。俺はイタリアのビール(名前が思い出せない)とタパスをいくつか、アヒージョ、それからマルゲリータを頼んだ。みんなで違うピッツァをオーダーしてシェアした。どれも最高に美味しかった。今度木村君を誘ってみよう。

店のオシャレな雰囲気に、俺は相変わらず緊張していた。ビールをちびちび飲みながら、二人の話を聞いた。稲垣さんは医者で、ユリさんは有名なファッション雑誌の編集者だった。
稲垣さんみたいな得体の知れない人間が医者なわけない!と思ったが、彼の独特の眼差や柔和な雰囲気、心の芯の強さ、そして何より「金がないとこんなに高い服ばかり買えないよな」と現実的なことを思って、納得した。

二人のプライベートの話を聞かせてもらうのははじめてだったからすごく嬉しかった。業界の裏話を聞いていると、その世界の仲間入りをしたような気分になった。ちょっとだけ誇らしかった。俺だって早く自分の力で、勝ち取りたい。
それにどうして二人がカッコイイのか、少しわかったんだ。大きな夢を持ち、勇気を持って自分を律し、トライする。いつでも笑顔で人に優しく。二人は、誰もが小さい頃「こうなりたいな」って一度は考えるような、理想の人間だった。

「で、吉川君、お店行ってみた?」

俺はAでの事件をありのまま報告した。

「ハハハ!ロメオに無事アルティメットクラッシュされたんだね!」

稲垣さんは爆笑した。

「ロメオって誰ですか? アルティメットクラッシュ?!」

「オーナーだよ。そう名乗ってるだけで、本名は誰も知らない。
昔、『グレッチで殴って』って懇願してきたメンヘラ彼女をマジでブン殴って、牢屋に入ってたらしい。アルチザンのディーラーは犯罪者じゃないとなw そのあとアメリカやヨーロッパをバイクで旅して、ついに7年前にあの店をオープンしたらしいよ。だからロメオ」

「だからロメオ・・・?」

なるほど、わからねーよ。
あ、でもアメリカとかバイクって言われると、あの人の雰囲気も納得だな。きっと稲垣さんと同じで、ポリシーを持った生活スタイルがあるんだろうな。

「いいかい、これはいわゆる焦らしテクニックってやつだ。アルチザンの登竜門な。女王様にいきなり触れられると思うか?違うだろ?まず跪く。そして誓うんだ、永久の帰依を」
「完全にSMっすよね、それ・・・」
「そうだ。だがそれがいい・・・!」

「あんたバカじゃないの」と、ユリさんがドン引きしていた。
「バカでいいんだよ!男はバカなんだから!!男の子はみんなおバカなの!!!」



「いいか、吉川君。買う前にこんなことを言うのもアレなんだけど、アルチザンは買うと間違いなく後悔するぞ!」
「エッ?!」
「当たり前だろ。君は正気かい?笑わせてくれるぜ!!冷静に俺の服装を見てくれよ。このカットソーは3万円。パンツは8万円。サンダルは15万円。めちゃくちゃだろ?その上、彼女にもバカにされる」
「バカにはしてないって。・・・ただ汚いって思ってるだけ」
「汚い。モテない。着ていける場所もない。洗濯するとすぐ変形する。油断すると染料を失禁、他の服を汚す。服と俺の魂のシンクロ率が低いと手洗いしてる最中にびりっと破れて、即ゴミ箱行き。アルチザンは費用対効果が驚くほど低いから、買ったあとに後悔することが多いんだ」

さっきRick Owensは最強のモテ服って言ってたクセに・・・。

「アルチザンにトライする前に克服すべき二つの問題がある。今日はそれを伝えよう。二つの問題、それはマインドとキャッシュだ。
人間はリスクを嫌うんだ。1万円を拾うラッキーが+50ポイントだとしたら、1万円をなくすアンラッキーは-150ポイントに感じるんだ。動いているのは同じ1万円という数字なのにね。そういう風に人のマインドはできている。アルチザンザンマンになるにはリスクに耐える超人的な胆力が必要だ。
運よく、吉川君はアルチザンの萌芽がある。俺とこうして縁が出来たのもそのおかげだと思うよ。アルチザンマン同士は引かれ合うんだ」

「だが、マインドを自分で完全に掌握することは難しい。野球の試合を思い出してみてくれ。暑いとき、ピンチのとき、味方がエラーしたとき。心を冷静にキープするのは、とっても難しいだろ?」
「はい。特に思いがけないエラーのときは」
「だから定量的な基準を導入するんだ」
「テイリョウ?」
「そう。数字で管理できる基準ってことだな。つまり金の管理だよ」



「アルチザンを買っても後悔しないための、金の考え方は簡単だ。まず自分の現在の家計状況を把握するんだ。食費で3万円、携帯代で1万円とか。家計簿つけてる?」
「つけてないっス。」
「まずつけるといいよ。アルチザンにハマって犯罪に走った奴のほとんどは、自分の原資を把握していなくて、キャッシュフローを考えてなかった。それで月末に破産しかけて夜逃したり、闇金や犯罪に手を染めるはめになる。もちろんフローを把握しなくても大丈夫な奴もいる。クッソ金持ちと自殺願望があるアルチザンマニア」
「自分、ただの学生ッス・・・。」
「知ってる!それが普通! だからまず家計を把握するんだ。で、衣料費以外の費目をすべて70%にする」
「30%ダウンってことですね?」
「そうそう。で、浮いた金を全部アルチザンに突っ込む!もちろん貯金も7掛けでキープね。貯金は絶対しておけよ!それがあれば最低限の精神衛生は保てる。生きていれば、予想外のイベントってのもあるからさ。飲み会や病気、あ、デートもあるかもしれん。って、お前童貞やないかーいwww」
「・・・ケツバットしていいすか?」
「実際のところ、30%カットは結構きついぜ?1日の食費1,000円なら1食抜きだからね。飲み会に一回参加すると2日は食えない」
「それ結構えぐいっすね・・・」
「2、3日だけ出費を抑制するのは簡単なんだ。でも習慣にするのは相当タフだ。つまり、アルチザンマンで居続けるには半端な覚悟じゃだめなんだ。先輩や友達から『最近あいつ付き合い悪いな』って言われてもブレない。ハブられても孤独に折れない。苦役の先に幸福があるって昔から相場は決まってるんだ」



アルチザンを継続して身につけるための精神。自律。忍耐。習慣。気高さ。
なぜアルチザンをカッコイイと思い、こんなにも惹かれているのか。その理由がだんだんと理解できてきた。「アルチザンだからいい」じゃないんだ。「アルチザンを着る稲垣さんがかっこいい」んだ。

哲学や美学やこだわりがある男は、外見にもこだわるはずだ。大金注ぎ込んでぴったりフィットする注文服をあつらえるのも一つのポリシー。そして、ファッションを静かに過激に、内面を崇高にすることで、奇跡的な調和の印象を作りだす。これもポリシー。
重要なのは人のポリシーを見下すような態度をとってはいけないってことだ。それは正義に反するからだ。発言する時のマナー違反だし、発言の裏を返せば自分のポリシーに自信がない証拠だ。アルチザンマンは寡黙に強く、月見草のように生きるんだ。



「ぶっちゃけると、アルチザンって何買っても一緒なんだよ結局は。だって毎シーズン似たアイテムやモディファイされたものが出るんだもん。一生物が毎年出るww 聖アルチザンマンとして殉教するには、まず輪廻転生から解脱する必要があるwww その証拠にポエルは" DEAD END "というコレクションを発表しているwwww 好意的に言えば『終わりがないのが終わり』という黄金体験を金さえ払えば味わえるんだぜwwwwww」

一生モノか・・・。
チャラチャラした店員に「これ一生モノです」って言われるとイライラするんだよな。



「今度ショップに行くときは、吉川君の好みもあるとは思うけど、ロメオに予算だけ伝えて適当に見繕ってもらうのがいいよ」
「え、マジすか?30万円全部???」
「当たり前だろ?全部だよ、全部!」
「カツアゲみたいですね・・・」
「吉川君、絶対やめたほうがいいよ・・・。そのお金でヨーロッパに旅行したほうが有意義だと思う・・・」
「オイ!ちょっとユリ黙ってて! 安易な二元論に還元するんじゃあない!
ここからだっw 俺は今、ビックウェーブの予兆を感じるぜw ここからが吉川君を改宗できるかの勝負、天下分け目の戦いなんだっっww これは代理宗教戦争なんだぜ!www」
「・・・サイテー」

「いいかい!吉川君!!君はピッチャーだったろ?いい投球をして、失点を防ぐのが役目だろ?人間には役目があるからさ、専門職っていうやつさ。その専門性に敬意を表すために金を払うわけじゃん?吉川君は俺の代わりに診察できないだろ?俺も130キロのストレートなんて肩がぶっ飛んでも絶対に投げられない。オッチャンだからノーバンかも怪しい」
「まあ・・・そうッスね・・・」
「ロメオは頭がめちゃくちゃ悪い。知性を捨てて目利きにステータスを全振りしてる。あいつのセレクトセンス、嗅覚は神がかってる」

なるほど、人生はトレードオフってことか。
それにしても稲垣さんが珍しく饒舌だ。やっぱり服のこと、すごく好きな方なんだな。

「彼のセンスは業界では有名で、コレクション前はヨーロッパのマイナーなブランドからインビが沢山くるらしいよ。デザイナーもお忍びでよく来るんだぜ?昔VICTOR&ROLFと店で鉢合ったときはマジでビックリしたよ、『オイ! プロパーとメガネの形ちょっと違くねーか?詐欺かコラ!!』つってw
大金を誰かに委ねる恐怖はわかるが・・・俺とアイツを信用して、財布預けてくれよ。絶対後悔はさせないから」

俺は今、前科持ち?のクレイジーなおじさんに30万円という大金を預けて買い物をしようとしている。友人との旅行も、サークルの合宿も、全部キャンセルした。そして平成最後の夏の思い出に、コスパが最悪のボロ布を買うんだ。童貞のままで。
手から冷や汗が止まらない。想像しただけでも涙が出てきそうだ。なんでこんなことになったんだろう。ゲロ吐きそうだ。



アルチザンはモードなのか?

「とにかく、服のよさはとにかく着て感じて欲しい。同時にロメオにたくさん教えてもらって欲しい。だから単にモノ好きな消費者である俺からは最後におまけを、コンセプト的なところを少しだけ話しておこうかなと思うわけだが・・・」
「・・・俺、まだ服を触らせてもらってさえいないんですけど、大丈夫ですか?」

「おう。不思議なもので、自分で渾身の一枚を選んでもたまに後悔するんだよ。『なんてドブス抱いちまったんだ俺ゎ〜?!』って。『うちの子じゃありません!!!』って。買う前にマインドとキャッシュを慎重にセットアップしても、それでも後悔が止まらない時ってあるんだ。人間の意志はどうしてこんなにも脆いのだろうな?」
「はあ・・・」
「だけどな、アルチザンのよさ、コンセプトを脳の髄にまで刻んでおけば、その後悔はなんとか鎮めることができるんだ。これはオッチャン個人の経験だが、相当有効なテクだ。
瞼の裏に『アルチザンとの出会いに感謝!ありがてぇ!ありがてぇ・・・!!』っていう聖刻文字が浮かび上がってくるまで、何度も何度もその素晴らしさについて想起し、心に定着させるんだ。アルチザンマンたちはこれを<霊操>と呼んでいる。な、宗教みたいだろ?w」
「完全にやばい人っすねww」
「あの瀬戸内寂聴もインスタライブで『アルチザンはカルト』って言ってたからな」
「じゃあ間違いないッス」
「そんなわけないでしょ・・・」

「で、吉川君もいろいろ調べてると思うから、もう知ってるだろうけど、アルチザンって職人って意味じゃん?」
「はい、それは調べました!」
「いい心がけだぜマイブロ!アルチザンはモードだって書いてるサイトもあったろ?」
「ありました!Rick Owensやマルジェラはアルチザンだし、モードだ!みたいな」
「だよな。そのあたりのブランドをセレクトしているアルチザン系ショップは実際多い。だけど、俺はブランドの知名度で小銭稼ぎしてるんだと睨んでる。ビジネスだからな。
まず、アルチザンとモードは全く別物ってことは覚えておいて欲しいな」
「どういうことですか?」
「アルチザンはデザイナー自らが制作に関与することが非常に多いんだ。自分でパターン引いたり、自分の手で原料になる動物を屠殺したり」
「屠殺・・・」
「そう。で、彼らはモードのように大々的なPRも打たないし、セールスも無理にスケールを追わない。小さなコミュニティで作られて、俺のクローゼットに収まるわけよ。だから服が<邪気>を吸ってない」
「邪気?ですか??」
「そうだよ。一概には言えないけど、モード服は邪気を吸い過ぎてる。俺くらいのレベルに到達するとわかるんだ。学歴が高いからw  有名ブランドの多くが、ルイ・ヴィトンやグッチグループに所属していることは知ってるだろ?」
「はい。インディペンデントなのはエルメスとシャネル、アルマーニとかでしたっけ?」
「本当はドリスもそこに付け加えたいんだけどな。
大企業になると、外野の声をどうしても取り入れなきゃいけないんだよ。株主とかエディターとか、場合によってはデベロッパーとかさ。俺はそういう人たちの意思を<邪気>って呼んでる。クリエイションの純度を下げるもの。
どうしても欲しいモード服に出会った時は、買ったあとに白いシルクの布に包んで、神棚に49日間飾ることにしてる」
「嘘でしょ・・・?(着れるシーズンが終わるんじゃ・・・)」
「まじまじ!(さすがに嘘だよ、気付いてくれ!) 俺はそういうポリシー!!
モードのデザイナーはすぐに交代して、服もショップの内装も全然別物になるだろ?交代劇の本当の理由はわからないけど、デザイナーが大企業の要求する振る舞いが上手くできずにメンタルを病んだか、外部の声がセールスだけ見てクビにさせたか、どっちかだと思うんだよな。
なんてったって雇われデザイナーには最終決定権がないからな。クリエイターにとって、屈辱的なこともあるだろう。でもしょうがないんだ、人の数だけ利害があって、すべての利害を十分に実現するってのは不可能だから」

・・・俺がぼんやり想像している大人社会そのものだ。
ちょっと嫌な感じがするけど、そういうビジネスの力でモードは世界中の憧れを集めて成長してるんだもんな。俺たちが便利にかっこいい服を買ったり、それで友人の輪が広がったり。

「つまりモードはシガラミの世界ってことさ!なあ、ユリ?」
「そうだねー、あんまり具体的なことは話せないけど・・・服の先にはたくさんの人がいて、みんな感情で動いてるからね。良くも悪くも」
「でもな、アルチザンは違うんだ。君と出会ったシングルオリジンのチョコレートバーと一緒。アルチザンはホネガラミの世界だ。
デザイナーと俺が一枚の服を着ることで一体化するんだ。過去と現在と未来の交差点。服はちょっとしたスパイスみたいなもんでさ。アルチザンを買うことは、俺とデザイナーが運命共同体になるってこと。最後までお付き合いヨロシク♡っていう決意を持たないと。
だからモードとは別物なんだ。俺はモードのポリシーとは相性が悪くて、良いとか悪いとかではなく。だからいいな、と思ってもあんまり買わないんだ」

アルチザンを着ている人からは近寄りがたいオーラを感じるけど、これはこの混じり気のない意志の強さ、ブランドと服に真摯に向き合って大切にするっていう気持ちのトガり方が、ただオシャレな人、ただモテるためにオシャレしてる人と違うからなんだな、と思った。そういう一途なカッコよさにすごく憧れる。

「もうひとつ根本的に違う点があるんだけどさ。吉川君はUNDERCOVERは好きかい?」
「好きッス!海外で活躍してるメンズのデザイナーが少ないんで、応援してます!」
「ジョニオさんスゲーよな!俺も昔めっちゃ買ったよ。
青山の路面店の前で中国人と殴り合ってPattiオマージュの、イナズマの刺繍が膝にちょろっと入っただけのくそ高っけぇボロボロのデニムをゲットしたぜw」
「マジすかw 今度是非見せてください!!俺、あのデニムを一回生で見てみたかったんです」
「おう!一瞬だけとりつかれたようにアンカバ集めてたから、今度うちに遊びに来なよ」

「でさ、ジョニオさんも手作業っていう意味では、かなりアルチザン的なわけよ。何年か前に東京で大きな回顧展がやってたんだけどさ」
「木村君から聞いたことあります!デビューコレクションからの服が展示されてたんですよね?行ってみたかったな・・・」
「迫力すごかったぜ!服もそうなんだけど、俺は彼のコラージュに感動したよ。ひとつのコレクションに対して、膨大なコラージュがあってさ。デザイン画も展示されてたけど、正直絵としてはうまくないっていうか、下手なんだよな。そのデザイン画材には使う布切れのスワッチが貼ってあったり、写真が貼ってあったり、コメントがあったり・・・デザイン画もコラージュの一部になってたんだ」

「メゾンのデザイナーでもデザイン画がうまく描けないって話、たまに聞きます」
「俺が学生だった頃のスターはガリアーノとエディなんだけど、二人ともド下手だな。ガリアーノが仮面舞踏会みたいな帽子を被って、自分の描いたデザイン画を誇らしげに持っているのを雑誌で見たことがあるんだけど、クレヨンしんちゃんが描く落書きみたいだったぞw モードのデザイナーって羞恥心があったら絶対できねーなって思ったww」

「ほぅほぅw」
「でもそれでいいわけさ!モードのデザイナーには将来を見通す力と、広告塔としてのパワー、政治力が求められるからさ。デザイナーのアイディアを具体化する素晴らしいアトリエチームとセールス、PRが別にきちんとあるから、それでいいんだよ。
今のVETEMENTSだっけ?あれもそうだけど、モードってサーフィンのイメージなんだよな。表面をするすると行く感じ。ジョニオさんもスクリーンプリントのTシャツをいっぱい作るよな。あれは半分趣味だと思う。
飽きたらあっち、たまには流されるままにこっち、みたいな。ポップで、ライトで、ナチュラルで。それはそれで全然いいんだけどね!ファッションってバイブスだからさ。
で、話戻すと、ジョニオさんも、彼の好きな東欧圏の映像作家と同じようにアナログな物作りをするんだけど、そういう意味で決定的にアルチザンじゃないと思うわけ」

どういうことだろう?いまいちピンとこないな。
俺の中ではジョニオさんは職人のポジションだった。若い頃は古着をリメイクしてたって聞いたし、自分の服もワッペンをつけたりカスタムしてる。ぬいぐるみを作るプレゼンテーションだってただのモードデザイナーではなく、職人的だなって思うんだけど・・・。

「ジョニオさんはアナログなテクニックを好んで使うけど、ベースには<観念>があるわけ。普通の人には見ることができない、触れることができないものってことな。彼はノイズを作りたいわけでしょ、服を媒体にして。で、モードの世界では常識外れだと考えられている要素を組み合わせて、ノイズを作りだす。ノイズを不快に感じる人もいるし、なんとなく惹かれる人もいる。彼はとにかくそういうフィーリングを作ろうとしてるんだ、と俺は勝手に考えてる。あくまでも一意見な。事実かどうかは知らんし、ぶっちゃけ興味もねえ。

で、クリエーションが<観念>、つまり体とは無関係なものからスタートしているから、世界がコラージュみたいに、アメーバのように見えてるんだと思う。
俺はこの俺の身体からスタートして、アルチザン的なロジックで世界を見てるから、建築のように世界は自然に明晰に存在しているんだけど。ジョニオさんの中では、世界がカオスとして存在しているんだと思うのよ。これはマジで価値観の問題な!善悪とかじゃない。

どうもモードのクリエイションって、横にぶわっと拡散していくような感じがするんだよな。アルチザンは凝縮志向って感じ。コマキさんも純度の高いクリエーションってyoutubeで言ってたな。
海外デザイナーは『こういうイメージの人に着て欲しい』ってインタビューでコメントするだろ?一応『人』と言葉では言うけど、あくまでイメージが重要で、人は受動的に着る行為者くらいの意味合いだろう。そこでは身体感覚の重さみたいなものは蒸発しちゃってる」
「ちょっと難しいッスね・・・」
「まー、そうだよな!ごめんごめん。また喋りすぎたわ。でも後悔しないためにはアルチザンに対する確固たるロジックを持っておいたほうがいい。揺るがない善さをロヨラのように瞼の裏に焼き付けるんだ!」
「吉川君、気をつけてね。ジロウは何人もアルチザンに闇堕ちさせてきたから・・・」

「ポエルっていうブランドが唯一無二で崇高なのは、身体を起点に具体的なコンセプトを一貫して持っているってことだ。<第二の皮膚>っていう大きな目標に向かって、君が生まれる前から服を作り続けているんだよ」
「観念?ではなく、身体からスタートして持続してるってところがアンカバと違うんですね」
「そうそう。もちろん客が飽きないようにシリーズを作ったりはしている。けど、それはとりあえずネーミングつけて『あたしのこと忘れないでね♡』っていう、かまってちゃんアピールさ。ずーっと<第二の皮膚>を彼は探し求めている、砂漠の旅人だった」
「意外と可愛い一面があるんですね。ツンデレみたい」
「そりゃ可愛いよ!愛しいよ!ポエルちゅっちゅっ♡って感じよ。愛しくない奴が作った服に何百万円も使わないって!」

何百万円も使ってるんだ・・・。やっぱりこの人ガチなんだ。

「コンセプトは変わらないけど、シーズン毎にその解釈や具体的な表現方法、つまりアイディアが違うっていう。素材にこだわったり、二次加工にこだわったり、カッティングにこだわったり。
ポエルの場合、皮膚感覚を服作りの軸に置き、フォルムとマテリアルを熟考して、普遍的な服を作ろうとしている。ジョニオさんと違って身体が伴ったヴィジョンがまず設定されていて、取り扱うテーマも限定されているから、よくも悪くも横っとびはないわけ。だから毎年一生モノが出るわけだけど。

俺はポエルのデザイン画を見たことがないんだけど、いや、なんとなくあった気もするんだけど昔すぎて思い出せねえんだ、多分医者のカルテみたいなものだと想像している。
医者が患者を診断するように、身体をどの部位を切り分けるのか?その部位にどういう兆候を見つけるのか?どんな方法で解決していくか?身体の深みへと降りていき、光をあてる、そういう啓蒙的なアプローチなんじゃないかと思う。彼のブランドは啓示に近いんだ。
ポエルが切断する。そこには常に選択と決断がある。どこで切るか?という基準になるポリシーがあるんだ。ポリシーの純度が極めて高い結晶、というかもはや光だな。俺達は光をアルチザンと呼ぶんだ」

アルチザンは宗教だという言葉は単なる比喩じゃない。俺はその壮大な世界観にただ圧倒されていた。こんな神聖な世界がファッションにあっただなんて。

「アルチザンブランドはどこで切るか?を非常に重要視する。アンカバやsacaiのように、どういう観念をスタートにしたか?どんな連想ゲームがプレイされたか?それが調和を保ちながらドッキングできたか?っていう、モードのゲーム感覚とは真逆にあるんだ。アルチザンにはモードのように多様な意見や解釈が存在する余地がほとんどない。着る中で自分が見つける美しさや価値観はありえるけどな」
「味ってやつですね?」
「そうそう。あくまでも具体的な感覚言語で表現されているのがすげーよな!初めて" 味 "を見つけた人って誰なのか、今でも気になってるよ。センスの塊みたいな人だったんだろうな」

「繰り返すけど、アルチザンはどこで切るか?に神経質なんだ。マジで真剣勝負、タマの取り合いよ。だって、切り方が違えば、切り口も変わるだろ?切り口によってベターな味付けも決まってくる。そういう意味で、アルチザンは素材にこだわるし、調理の仕方に正解がある。常に正しくて、善くて、美しいんだ。
アルチザンにたどり着くまでは地獄だけど、たどり着いたら平安そのものよ。モードみたいな相対的なものじゃないからね」
「めっちゃ深いっすね!そっか・・・、アルチザンの一生モノって言われたら、なんとなく欲しいなって思います。嘘偽りがないようで」
「だろ?だろ?アルチザンは嘘つかない!(きたきたーw)
もっと言うと、この切るっていう一連の行為が本来的なテーラリングってやつだし、ポエルが神扱いされている最大の理由だと俺は思ってるよ。原則はシンプルに。原則を徹底的に。アルチザンマンはシングルオリジンのチョコレートをかじって、食後はエスプレッソでバシッと締める、って決まってんのよ」

話が複雑すぎて、追いかけるのにめちゃくちゃ苦労したけど、シンプルさと切れ味の鋭さに命を賭けているってことだけはわかった。
「1mm単位でこだわってます」みたいな売り文句は実際にそうなってるかってことが問題なのではなくて「そういうポリシーでデザインしてます」ってことだったんだ。

「アルチザンマンってちょっと陰険な雰囲気を出してるだろ?シャーロック・ホームズのように、人相の悪い探偵の目つきで人をジロジロ睨んだりしてるのは、別に悪気があるわけじゃないんだ。
服の切断線がどこにあるのか?どう縫合されたのか?つまり、どうデザインされて、どうスタイリングされたのか?って自分なりに推理をしているんだ。組合わせのクセでその人のセンスとか嗜好を見抜こうとしている。
すけべな生き方ってのはそういうことさ。視姦趣味は決して褒められたものではないけど、現代人のカルマだからな。俺達はたまたまアルチザン服っていう矯正ギプスによって極端に訓練されたってだけで。
んで、俺達はアルチザン服を身に纏い、愛して、毎日寝るときも風呂に入るときも着て、たまに煮て、畑や砂漠に埋めて、優しくブラッシングをしてクリームを塗って・・・そうして恋人期間という蜜月はすぎ、婚姻に至る。その刹那、「カルマが落ちる」わけよ。
ちなみにホームズの作者、コナン・ドイルは俺と同じ眼科医だったんだぜ」

稲垣さんには絶対かかりたくないな・・・。こういうタイプの人が眼球を舐めたり、猟奇的な殺人を犯すんだろうな、と思った時に、一番はじめに教えてもらったことを思い出した。そう、アルチザンはリスキーで、えっちで、マゾで、犯罪的な人にぴったりの服なんだ。



ああ、アルチザン!なんて美しい響きだ。神よ、Diorには黄金が隠されていましたが、アルチザンには真実の美を隠されていたのですね。秘匿されたものより美しいものが、この世の中に存在するのだろうか?

大学の喫煙所で、授業をサボったことをちっぽけな自尊心の餌にして、ヨウジヤマモト好きの陽キャたちが身を寄せあい、人生を楽しんでいるフリしてるのをよく見かけるけれど、目の底が澱んだままの笑顔で、インスタにその醜い様をアップして、いいね!がどれだけついたかを気にして、毎秒毎秒壊れたラジオみたいにスワイプをリピートする、上っ面はいいけど仲間内でこそこそセックスして『あいつやっぱりゆるかったww』などと陰口を叩く、そういう卑近で軽薄な感じがアルチザンマンから全くしない!!!!!
アルチザンは最高に美しい!!!!!!!!!
お母さん、俺童貞でよかったよ!!!!!!!!!!!!



アルチザン愛好者は正義のポリシーに従順で、忍耐強く、勇気を持って生活を送っている。何より尊敬すべきは、そういう厳格さを他人に強制してはいけないということをよく理解してるってことだ。だから稲垣さんはいつでも笑顔で、まだまだ未熟な俺の話でも退屈そうな気配を一切見せずに聞いてくれる。誰よりも強く、優しい。彼らは修行僧であり、牧師であり、探偵であり、占師だったんだ。

「だからさ、もし街中でアルチザンマンを見かけたら、俺のことを思い出して、そっとしておいてあげてくれよ。むしろ子犬のように可愛がって欲しい。頼むよ。約束だ。握手しようぜ、マイブロ」



魂の救済

正直、稲垣さんの話の8割はよくわからなかった。俺にはちょっと難しすぎた。
けど、アルチザンと呼ばれる服は切れ味抜群の思考が生み出す、シンプルさを複雑に追求した軌跡であり、光であり、一枚の服を超えて崇高な生き方のシンボルなんだってことだけはわかった。

これまで野球漬けで、世の中のことを全然知らなかった俺は、都会の人工的なネオンに惑わされて、明滅に誘惑され、眩暈を引き起こし、真実を見失っていた。
あの日、稲垣さんとユリさんに出会ったのは偶然じゃない。アルチザンの神様が俺に施してくださった救済。蜘蛛の糸。全て必然だったんだ。
有名な哲学者、ウィリアム・ジェームズもこう言っている。

心が変われば行動が変わる行動が変われば習慣が変わる習慣が変われば人格が変わる人格が変われば運命が変わる

運命を変える。
俺は帰宅して、クローゼットから服を全部出した。100枚は軽くあったけど、ポリシーが宿っていると心から思える服は数えるほどしかなかった。なんとなく買ってしまった服はダンボールにしまいこんだ。ありがとう、サリバン。メルカリで売ってアルチザン購入の原資に回そう。

俺は俺を大切にしたい。
価値観に共感できるものを身につけたい。
より善く、より正しく、より美しくありたい。
俺の人生は俺のものだ。
BE MY OWN BOSS.

今はまだ弱々しく、頼りないけれど、真実が自分の手の中にある。自信が確信に変わった。

平成最後の夏。
木村君、俺は明日、アルチザンマンになるよ。
先に行ってるね。待ってるよ!



FIN



*注
このnoteはフィクションです。
実在の人物や団体などとは9割関係がありません。  
画像は全てイメージです。
特定のブランドを賞賛・毀損する意図はあまりありませんでしたが、改めてポエルはすごいデザイナーだなと思いました。

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三代目えぞ家☆ちゃも吉

場末のファッション漫談師

ファッション小説集

ファッション狂いにはきっと伝わる小説的なサムシング
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