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『X-MEN:ダーク・フェニックス』青春映画としても終焉。ありがとうXーMEN… 6/21(金)~公開中

なぜ、これほどまでに寂しいのか…。

「XーMEN」シリーズ旧三部作は、ウルヴァリンの横恋慕片想いストーリーとして観ている面があるので『ファイナル ディシジョン』(06)は毎回ラスト号泣します。

そして『ファースト・ジェネレーション』(11)からの新三部作は、ジェームズ・マカヴォイやマイケル・ファスベンダー、ジェニファー・ローレンスらがスターになっていった映画であり、回を経るごとに彼らの複雑な人間ドラマの変容にも魅力があり、何より素晴らしい青春映画でした。

また、人は自らの理解を超えたものを恐れ、恐れは憎悪につながることを、MCUよりいち早くスクリーンで観せてくれたマーベル映画でもあります。とても意味のあるシリーズがこれで完結とは、正直寂しさが最も強いです。

原題:Dark Phoenix ★★★★☆(大甘の大甘)

プロフェッサーXの右腕としてメンバーからの信頼も厚い、X-MENの優等生ジーン・グレイ(ソフィー・ターナー!)は、宇宙ミッションで事故に遭い、抑え込まれていたもう一つの人格<ダーク・フェニックス>が解き放たれてしまう。その強大な力はジーン自身にも制御不能。やがて地上の生命体が全滅しかねない、かつてない危機が訪れる… という、

『X-MEN:ファイナル ディシジョン』でも描かれたダーク・フェニックスの暴走の物語。

ジーンは、彼氏もできるほどの年齢になったのに、いつまでも「君を守る」と子ども扱いする“父親代わり”の先生(マカヴォイ)と、昨日今日知り合ったばかりなのに、「あなたの気持ちよくわかるわ」と慣れ慣れしい“怪しいお姉さん”(ジェシカ・チャステイン)の間で板挟みになります。

家出少女のようです。



以下、一ファンとして寂しい点を上げてみました(少々ネタバレ気味)

●脚本は粗いです、正直。俳優萌え、キャラ萌えがないとキツいかも。

全米公開日が2018年11月2日から2019年2月14日に、さらに撮り直しで最終的に6月7日になったわけで。この公開延期の間に次々と他作に先を越され、既視感が…。残念。

●青春映画としての終焉

傑作『ファースト・ジェネレーション』で、それまで抑圧されてきた若い子たちがチャールズとエリックに勧誘されて集うシーン。自らの能力自慢が始まって、お互いに「君すごいね」と認め合ううちにパーティーになってしまい、チャールズたちに怒られてしまうシーンが大好きです。これもまたX-MENの醍醐味です。

その中にはレイブンやハンクも交じっていて、彼らはこっち側なんだよなと思ったことをよく覚えています。

そんなレイブンことミスティークも、『フューチャー&パスト』『アポカリプス』ではX-MENの顔と呼べるくらいの人物になっております。

確かにもうみな、“子どもじゃない”んだなということをしみじみ。世代交代なんですね。

では、『アポカリプス』で登場した、それこそジーンたち新世代はどうかというと、

今回その要素はなきにしもあらずですが、いかんせん、彼らにとって登場2作目であり、物足りなさは否めません。それも残念、寂しい。

でも、コディ君のナイトクローラーはじめ大活躍ではありました。

だいたい、ウルヴァリンがちらっとも出ていないだけで、こんなにも寂しいのかというのもあります。


●予告編で出した以上のことが起こってなんぼでしょうが!? と黒板五郎のような口調で愚痴を言いたくなります。

私の知っているチャールズやハンクはそんなことしない、という部分もまたなきしにもあらず。

●ブライアン・シンガーについては、もはや言及すらしません!


とはいえ

特に『ファースト・ジェネレーション』からファンになった人たちにとってはたまらないシーンが連続することも事実。

「これじゃX-WOMAN!」とミスティークにツッコまれる、目的のために手段を誤ってしまったようなプロフェッサーX/チャールズ

ジーンを止めたいマグニートー/エリックほか

『ファースト・ジェネレーション』世代トーク、などなど。


そして何と言っても、ソフィー・ターナーの存在感でしょう。

われら「ゲーム・オブ・スローンズ」ファンにとって、サンサ・スタークを演じたソフィーは15歳くらいのときから知っているわけで、

しかも最終章では○の○○(ネタバレ)になったことを見届けたばかりなわけで。

タイトルロールをやり切ったことは感慨深いものがありました。

それこそ、立派になったなぁって、完全に親戚目線。


それと、やっぱり音楽:ハンス・ジマーはあがります。



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