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入寮

ついに生まれてから14年間住んでいた東京、親元から離れ3年間の寮生活が始まる。
入寮前日の夜は緊張と不安と悲しさで中々寝れなかった。正直やってやるぞ!のような楽しみな気持ちは一切なかったのを覚えている。
朝が来て出発。
両親が車で山梨県まで送ってくれた。
車の中ではそこまで両親と話もしなかったが、僕は後ろの席で隠れて泣いた。
最強の反抗期まっしぐら時期ではあったが、ここまで育ててくれた両親への感謝がここに来てぐっときていた。
そして約3時間で寮に到着。
寮の入り口の駐車場には何十台もの車がたくさん停まっていた。
見てみると、大阪ナンバーの車もあれば、千葉ナンバーもあれば横浜ナンバーもあれば、静岡ナンバーもあれば、長野ナンバーもある。
山梨ナンバーの方が少ないくらいだ。
この時点で全国から野球の上級者がたくさん集まってきているんだと確信した。
気合いが入るどころか更に不安になった。

食堂に新しく入寮する自分のライバルであり同士達が全員集合した。
僕はこの高校の3年生に中学で同じチームの先輩が二人いた。それは心強かったが、同級生に知り合いは一人もいない。同じチームから来ている奴らもたくさんいるはずなのに誰一人会話をしていない。
緊張感が食堂を包んでいた。
寮長が登場し入寮式というのをした。
入寮する一年生約30名一人一人に入寮証明書のような賞状みたいなものを受け取った。
あぁ。もう完全に今日からここに住んで生活するんだと実感した。
寮長の方の挨拶が終わり、
その日は練習はなく、荷物などを自分の部屋に入れたり、寮内の施設の説明などで時間が過ぎていった。
寮は3階建てで、約30部屋。一部屋に二人。
基本は上級生になるまでは先輩と同部屋になるのが寮生の宿命なのだ。
最初の自分の部屋は確か2階の205か206号室だったのを覚えている。
自分と同部屋になるのは一個上の2年生の先輩のようだ。どんな人なんだろう。。
優しい人であってくれ、、と祈り続けていた。
話を聞くと、メンバーといわれる一軍の人達は今日オープン戦で遠征に行ってるみたいで、夜に帰ってくるとの事。
それ以外の居残りメンバーといわれる一軍以外の人は寮から自転車で約10分くらいにあるグラウンドで練習しているらしい。
もうすぐ居残りメンバーの先輩達が寮に帰ってくるらしい。
自分の同部屋の先輩は一軍のメンバーの人なのかな?
居残りメンバーの先輩なのか。。
偏見ではあるが、一軍の先輩達より居残りメンバーの先輩の方が怖いイメージがあった。
だから一軍の先輩と同部屋を勝手に願っていた。
自分の荷物などを部屋に入れ終え、先輩達が帰ってくるまでは自由時間となった。
役目を終えた両親が東京に帰る。
無口な父親から帰り際「絶対俊なら大丈夫。頑張れよ」と言われたのは鮮明に覚えている。
母親は「いつでも電話してきなさい」みたいな事を言っていた記憶がある。
もちろん寮は携帯電話は禁止。
3年の最後の大会が終わるまでは携帯電話の持ち込みは禁止。
しかし一年に何回かは寮生は実家に帰省できる機会がありその時に携帯を使えるように、解約はせず一番安い料金プランにし、実家に皆置いておくのが基本だった。
電話をする時は寮にある公衆電話か、外出時の公衆電話のみ。
これもまた悲しい現実ではある。
なにやら駐輪場にたくさんの自転車を止める音や喋り声が聞こえてきた。
居残りメンバーの先輩達が練習を終え寮に帰ってきたのだ。
ソワソワする。
自分は部屋の中のベットで上で体育座りをしてソワソワしていたのを覚えている。
自分の部屋のドアが開いたら同部屋の先輩は居残りメンバー確定演出。
開くなと祈りながら待った。

次回
同部屋の先輩が明らかに。






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