INTJとSNSと被害者の話

Twitterを見ているとどうしても気になる話題が多く、疲れてしまう。
興味を引く話題が多すぎるのだ。元々の自分の趣味や今いる界隈の話だけでなく、いろんな社会的な問題などもおすすめで表示される。時間があっという間に過ぎていってしまう。

Twitterに限らず、SNSでは当然自由に意見や考えを発信できるから、さまざまな対立が可視化されやすい。わかりやすいところで言えば、男女や貧富、学歴などだ。
SNSなど楽しんで使えばいいものを、なぜ他人に噛みついてしまうのだろうか。謎だ。それをも楽しんでいるのだろうか。

私はSNSをしていて不思議に思うのだが、世の中自分を被害者だと思っている人があまりに多くはないだろうか。
例えば、最近あまり聞かなくなったが「繊細さん」という言葉がある。私が「自称繊細さん」を見ていて思うのが、自分の受けた傷や苦しみや生きづらさばかりに目を向けているのではないかと思う。
繊細だろうが鈍感だろうが、生きていれば誰でも他人を傷つけて生きている。
なぜ、自分の受けた傷の話しかしないのかと思ってしまう。そうでない繊細さんもいるだろうが、自称繊細さんが鼻についてしまって探しにいく気にもなれない。

発達障害の人もたくさんSNSを利用している。プロフィールにそう明記している人も多い。
繊細さんもそうだが発達障害者も、おそらくそうでない人よりも大変な思いをしているだろう。だから愚痴ったり文句を言うのは自由にしたらいいと思う。たかがSNSだ。使い方はその人次第だ。
だが、自分たちとは違う側の苦労や努力や辛さを見る気もないなら、SNSはやらない方がいいのではないかと思う。

繊細さんと鈍感さん。発達障害と定型発達。男と女。富者と貧者。
どんな立場で生きていようと、絶対的な被害者ポジションにつき続けることはできない。犯罪によって遺族となった人ですら、ボコボコに叩かれてしまうのだ。たとえそれが不当な扱いだとしても。

私は、鈍感さんの定型発達者だ。繊細さんや発達障害を持つ人からしたら、羨ましく思うかもしれない。だが、人生そんなに甘くはない。
私だって辛いこともある、苦しいこともある。私が能天気に自己肯定感高く生きていられるのは、そうするために考え方を変えたり、人や世の中との付き合いについて考え続けたからだ。

繊細さんや発達障害者の努力が足りないと言いたいのではない。どんなに努力したってどうにもならないことくらいわかっている。私にもある。
努力や辛さは人と比べるものではないはずだ。繊細さんや発達障害者たちも、自分たちの努力や辛さを過小評価されたらさらに苦しくなるだろう。
鈍感さんで定型発達者の私も同じだ。私の痛みや努力を過小評価して欲しくないのだ。

繊細さんが「人より繊細でたくさんの傷がついた私」を見続ける限り、発達障害者が「自分は努力をしてもできないことを努力せずにできている定型発達者」と思っている限り、繊細さんや発達障害者の生きづらさは決して解消されないと思う。
鈍感さんや定型発達者の神経を逆撫でしてしまうからだ。
そう思っている人ばかりではないことはわかっている。たくさんの当事者が正しく理解してもらえるよう様々な発信をしている。

だが、目立つのは自分を被害者ポジションに置きたがる人たちだ。
そういう人たちが、正しく理解されたい人たちの足を引っ張る。繊細さんや発達障害だけの話では、もちろんない。男女対立など他の場所でもそうだ。
せめて、自分が被害者だと思っている時は、アカウントに鍵をかけてこっそりと盛大に愚痴を言えばいいと思う。流出する可能性もなくはないが、不特定多数の人の心象を悪くするよりはマシだろう。

社会人になった時、「お前がヘマをするとお前の評判だけでなく、会社の評判も下がる。会社の看板を背負っている自覚を持て」と言われた。
その時は鼻で笑ってしまったが、今ならわかる。自分が炎上したら、自分と同じ属性の人まで悪く捉えられてしまうのだ。
他の人の役に立てなくても、せめて足は引っ張りたくない。思いやりの心を持って(いるように見せて)SNSを使おう。

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