【INTJ】ニシンのパイと傲慢さの話

金曜ロードショーで魔女の宅急便をやっていたらしい。私は普段テレビを見ないので、放送することも知らなかった。
知ったのはすでに放送終了後、Twitterのトレンドに入っていたので知った。そして、ニシンのパイがトレンドに入っていたのを見つけた。私もニシンのパイの写真を見て驚いたことがあるので、そのネタかなと思った。そのネタももちろんあったが。

どうやら「私このパイ嫌いなのよね」と言った少女は嫌われているらしい。なぜだろうと思ったが、視聴者はキキを通して物語を見ているため、傷ついたキキに感情移入しているのかな、と思った。
私はどちらかと言うと、パイ少女の祖母の方が苦手だ。

まず、状況を整理しよう。
パイ少女は「おばあちゃんからまたニシンのパイが届いた」と言っている。「また」と言うことは既に送ったことがあった。そして「だからいらないって言ったのよ」と言っているので、少女は祖母に不要だと伝えているのだ。つまり、祖母は少女がパイを欲しがっていないことを知っていた。祖母側を最大限好意的に解釈するとして、遠慮してると思ったのかもしれないが。では、なぜ「ニシンとカボチャの包み焼き」を届けようと思ったのか。祖母本人が「私の自慢の料理」と言っている。祖母は、孫のいらないと言う希望を無視して、自分の感情を優先しているのだ。

日本人的な発想だと、前に送った時か祖母宅でご馳走になった後で、母親が「あの子も喜んでた」と嘘をついた可能性を考えてしまう。義母か実母かはわからないが、せっかく作ってくれたのに孫が喜んでなかったとは伝えづらいだろう。
だとしても、孫は「いらないって言ったのよ」。

SNS上では、好意は好意として受け取るべき、と言う主張があったが、好意だろうと悪意だろうと、本人が要らない・やめて、と言ったことはやめるべきだ。本人が喜んでないのに嫌がってるのに、やり続けるのはイジメや嫌がらせと同じだ。
好意を必ず好意として受け取らなければ倫理に悖ると言うのなら、ストーカーも初めは好意から始まっているのではないか。過剰な教育虐待も、最初は子の将来のためを思っていたのではないか。好意を持つのは自由だが、受け取るかどうかを決めるのは、当然受け手なのだ。

祖母の気持ちを考えてほしいという意見もあった。が、そもそも祖母も孫の気持ちを考えていないのだ。孫だけが祖母の気持ちを考えなければならないのは、不公平だ。気持ちを考えていないのは、お互い様なのだ。

好意を受け取れ、相手の気持ちも考えろ、という考え方はものすごく傲慢な考えだと、私は思う。
好意を受け取ってほしいのならば、相手が喜んで受け取れる方法でするべきだ。気持ちを考えてほしいのならば、まず相手の気持ちを慮るべきなのだ。悪意であれば跳ね除けるのに躊躇うことはないが、好意や善意から出た行動は断りづらい。だからこそ、相手の立場や考えや好みをできる限り尊重すべきなのだ。
好意「だから」受け取れと言うのは、相手に断る選択肢を与えずに自分の希望のみを押し通すことだ。相手の人格を尊重していれば、そんなことは言えないだろう。

少なくともパイが嫌いな少女は「このパイ嫌い」と言っているのだから、他のパイにするか、少女の好みに合わせた料理を作るべきだった。このパーティがどんなものなのかは知らないが、誕生日にしろ何にしろ、もし少女が主役のパーティであれば、自分の嫌いな料理がテーブルに並ぶこと自体、当然嫌だろう。祖母本人が「孫のパーティ」と言っているので、主催者か、さもなければ主役だと考えるのが妥当だと思う。
私はポークソテーが嫌いだが、もし自分の誕生日にポークソテーが出てきたら間違いなく嫌がらせを疑う。主役のいないホームパーティであっても、嫌なものは嫌だろう。

万が一の時のために、祖母を擁護する設定を考えてみる。祖母にとっての孫が少女以外にもいて、別の孫が主役のパーティで、さらに主役の大好物がニシンのパイだった場合だ。そうなると、そもそも少女のために作った料理ではなくなるので、いらないと言うこと自体が越権行為となる。主役の別の孫が喜べば、祖母の気持ちは無事に届いたことになる。
とはいえ、主役が喜んでも他の兄弟姉妹や従兄弟が嫌いなものを作るのは、いささか配慮に欠けているとは思うが。

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