Morandiと悟り
ジョルジオ・モランディ (Giorgio Morandi)というイタリアの画家をご存知でしょうか。
私が彼に出逢ったのは2016年春。
待ち合わせの時間よりかなり早く東京駅に到着してしまったので、どこかで時間を潰そうと考え、東京ステーションギャラリーに足を運びました。
そのときたまたま催されていたのがモランディ展だったのです。
彼の作品を観て驚きました。
殆ど同じような瓶の静物画なのです。(記事トップ画のような絵です)
それが何十点と展示してあるのです。
美術に特に関心のない私がまず思ったのは「つまんねえ絵だな」。
しかし、周りの人はとても真剣な眼差しで絵を見つめています。
場違い感を紛らわすべく、私は顎を撫で「この筆遣いが出せないんだよな」などと物知り顔で呟きながら、一枚一枚絵を観て廻りました。
すると、同じ瓶を見続けたせいなのか、不思議な体験をしました。
途中から瓶がゲシュタルト崩壊を起こし始めたのです。
「お前が瓶で、お前も瓶」
「お前も瓶で、お前も瓶か」
「そしてお前も瓶で、お前も瓶」
「お前は私で、私はお前」
「私はお前で、お前は私」
「そうか。私は瓶だったのか!」
瓶を観すぎて、頭がおかしくなりました。
自我が崩壊したのです。
世界と瓶と私の境界線が消えた感覚。
そのときの衝撃は忘れられません。
紛れもなくこの体験は「悟り」だったのです。
私が最初に抱いた「ただの瓶じゃん」という感情は「悟り」から最も遠い感情です。
「悟り」とは、すべてのものに「不可知性」を見出すことです。
モランディは来る日も来る日も「瓶」を観察し続けて、自らの認識を崩壊させ、「不可知」な世界に没頭したかったのかもしれません。
モランディはただのイカれた瓶描きではなかったのです。
美術界の覚者だったのです。
美術界の神秘主義者と言ってもいい。
この展示会の壁に、彼の言葉がイタリア語で書かれていました。
'Per me non vi è nulla di astratto: per altro ritengo che non si via nulla di più surreale, e di più astratto del reale.'
(拙訳:私にとって抽象的なものなどない。別の言い方をすれば、この現実よりも、超現実的なものや、抽象的なものはないのである)
生前の彼に
「『悟り』とは何ですか」
「『幸せ』とは何ですか」
と尋ねたならば、恐らくこう返って来るでしょう。
「俺の絵を観りゃわかる」
あなたもモランディの絵を観てみてください。
すべてはそこにあります。
個人的に私へメッセージを送りたい方、仕事依頼はこちらから。(成島)