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フクシマからの報告 2019年冬    全村避難解除から2年         自然のつくった氷の芸術は       除染による破壊から無事だった


2019年2月中旬、福島県飯舘村をふたたび訪れた。いつも通り、村の四季の自然をカメラに納めるためである。

厳冬の村は寒かった。最高気温が摂氏0度。日が陰るととマイナス5度以下に下がる。風が強いので、体感温度はもっと低い。「寒い」というより「痛い」という感じだ。刺すような冷気で足先や手指、耳がキリキリと痛い。

2011年3月11日から始まった福島第一原発事故で吹き出た放射性物質のプルーム(雲)で、原発から約30〜50キロ離れた村は汚染され、約6500人いた村人は同年4月22日に全員が強制避難を命じられた。

それからおよそ6年間、村は無人のまま過ぎた。2017年4月、国政府は強制避難を解除した。「生活圏の除染は終わった」というのが建前上の理由である。それから2年が経つ。2019年2月の段階で、ふるさとに帰った村人はまだおよそ1000人にとどまる。

村の自然の美しさに胸を打たれた私は、それから1年間村に通って四季の自然を写真で記録した。そして2012年に「福島 飯舘村の四季」(双葉社)という写真集を出した。それから8年間、私は季節ごとに村に東京から足を運び、レンタカーを運転して回って、村の変化と変わらぬ自然とを写真で記録している。そのいくつかは本欄でも報告してきたとおりだ。

「福島第一原発事故による強制避難が解除され1年 高原の村は除染ごみと家屋解体で激変 帰還した村民は1割」

「原発事故汚染地帯を歩いて考えた 避難解除されたからといって 小中学校を再開する必要があるのか」

事故から8年を経て、日本のふるさとの原像のように美しかった村は、すっかり変貌した。

地面表面の土を剥ぎ取る除染で、緑豊かだった山々は、禿山のようになってしまった。田んぼや畑だった場所は、除染で出た放射性ごみを詰め込んだ黒いフレコンバッグか、太陽発電のソーラーパネルが埋めている(ソーラーパネルを設置している土地は、持ち主が耕作をあきらめたことを意味する)。そうでない田畑は、雑草や灌木に覆われて荒れ地のままか、除染されて長年村人が作り上げた肥えた土壌を失ってしまった。。

民家は、無人の6年間で住むことができないほど荒れた。汚染もひどい。住み慣れた家を諦めた人々は、建物を解体して新築することを選んだ。その結果、ピカピカのモダンな新築住宅が並び、村全体が住宅展示場のように見える。工事業者の順番を待つ家は解体されて更地のままだ。以前に来た街角でも、ひと目ではわからないくらい風景が変貌してしまった。

冬の村を訪れたとき、私が必ず足を運ぶのは、村北部を流れる真野川の渓谷である。



そこの山の斜面にある「氷の滝」がその目的地だ。山の斜面を降りてきた地下水が、幅100メートルほど地表に出る。偶然、ここは山と森林の影になって一日中ほとんど日光が当たらない。気温が昼間でも上がらないので、岩や土、木々の根から滴り落ちる水が氷る。そうやって、氷の柱が斜面に連なる。

この滝には名前はない。観光ガイドにも載っていない。村人は気にもとめない。そんなありふれた道端に、息を呑むような自然の造形美がある。

私がずっと案じているのは、この山肌にも除染の手が入ることだ。これまでの除染済みの山肌を見ると、表面が削られ、凸凹も削り取られてしまう。水は流れを変える。除染工事が始まれば、この自然の芸術も消えてしまうのだろう。

2018年の様子は、本欄「放射能が襲った悲劇の山村で見つけた 雪と氷が作り出す自然の造形美 これも除染で破壊されてしまうのか」で報告した通りだ。

どうか無事でいてくれますように。私は祈るような気持ちで毎年氷の滝を訪ねる。2019年2月、滝は無事だった。前年に比べると、氷柱の数は少なく、細い。村人に聞くと、今年は気温は低かったものの、降雪量が少なかったため、地下水そのものが少なかったらしい。

今回は文章は少なめにして、その神秘的な姿を、写真約30点でご報告する。

(写真はいずれも2019年2月14日、福島県飯舘村で撮影)

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