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福島第一原発まで1キロ 放射能街道を行く〜原発事故が起きると街はどうなるのか

割引あり

 福島第一原発を中心に「帰還困難区域」と政府が名付けたエリアが今も広がっている。

 要するに「放射性物質の汚染が一番ひどく、今も立入禁止が続く封鎖エリア」である。政府が放射能汚染地域につける名称は「できるだけ無難で、刺激の少ない表現」を選ぶ。そして行政用語なので二重にややこしい。

 緩めに決めた政府の基準ですら、そこに一年間いると、のべ被曝量が50ミリシーベルトを超えてしまう。原発作業員や医療従事者などが被曝で健康に被害が出たとき、国が定める労働災害認定の条件のひとつが「年間5ミリシーベルト以上の被曝」であることを考えると、留まり続けるにはかなり線量の高い環境である(注:年間5ミリシーベルト被曝すると健康に影響が出る、という意味ではない)。

 帰還困難区域には、そこに住んでいた住民でさえ、1回5時間に制限された「一時帰宅」の順番が回ってこないと中に入れない。このエリアに入るあらゆる道路が封鎖され、見張りの警備員が立っている。

 2011年3月11日に始まった原発事故で、約1ヶ月後の4月22日、半径20キロの「警戒区域」が引かれ、全面立入禁止になったのをご記憶かもしれない。その半円形の立入禁止エリアが徐々に解除され(除染が済んだ、線量が下がった、などの理由で)、現在のような形になった(下の地図の赤い部分。2017年1月9日付『福島民報』より)。7市町村にまたがっている。


 福島第一原発から北西方向に伸びたその形状は、2011年3月15日に同原発2号機から漏れ出た、高濃度の放射性雲(プルーム)が流れた跡と、ほぼ一致する。

 地図ではその規模が把握しづらいかもしれない。が、実際に車で走ってみると、けっこう広い。総面積は337平方キロメートルもある。東京・山手線内側の面積が約63平方キロメートルだから、山手線内側の都心部5個分の広さがある。名古屋市や福岡市の面積とほぼ等しい。言い換えれば「山手線内側5個分、あるいは名古屋市や福島市に匹敵する面積が、原発事故による放射能汚染で地図の上から消えてしまった」ことになる。

 ところが、この厳重に封印されているはずのエリアで、ただ一本、自由に通行できる道路がある。

 赤いエリアを南北に貫き、福島第一原発の西わずか2キロのところを走る国道6号である(下の地図右側の青線部分。『ふくしま結ネット』より)。

 ずっと通行規制(立ち入り許可証のチェック。私のような記者は入れてもらえなかった)が続いていたが、2014年9月に解除された。このルートを迂回すると、片道4時間かかる。福島第一原発の廃炉作業や、周辺の除染工事が本格化するにつれ、今のままでは不便だという声が業者から高まった。

 すると、それまで厳重に封鎖されていたエリアなのに「道路部分だけは除染が済んだ」と、国道6号の通過だけが自由になった。珍妙な話である。

 放射性物質で汚染された地域を封鎖するのは、中に人が入って被曝することを防止することだけが目的ではない。汚染地帯から、放射性物質を帯びた人やクルマが出て、外に汚染を広めないことも、大きな目的である。それを考えると、最も深刻な汚染地帯を自由に自動車が出入りしている、というのは本来はおかしな話なのだ。

 帰還困難区域を貫く部分だけで約14キロある。時速60キロで走れば約15分の道のりだ。

 ただし、ここを走れるのは自動車だけ。オートバイ、自転車、歩行者は入れてもらえない。車も窓を締め、エアコンは内気循環にせよと言われる。駐停車禁止なので、クルマを路肩に停めて写真を撮っていたりすると、すぐにパトカーがやってきて「動け」という。

 そもそも、それくらい危険な汚染地帯だから、本当は自動車が出入りしていることががおかしいのだ。

 国道から左右に入る道や通路はことごとくバリケードでふさがれ、警備員が立っている(こんな高線量の屋外でずっと立っていて大丈夫なのかと心配になる)。道路の上には線量を示す電光掲示板が設置されている(冒頭の写真。2017年10月20日、福島第一原発近くの大熊町で撮影)。

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