見出し画像

「2900ベクレルの内部被曝と生きる」という現実

 福島県飯舘村出身の公務員・愛澤卓見さん(44)と私は、3・11以来ずっと連絡を取り続けている。福島第一原発から高濃度の放射性物質の雲(プルーム)が流れ出た2011年3月15日、愛澤さんは住んでいた飯舘村にいて、そのプルームの直撃を浴びることになった。英語でいう”Downwinder”(核施設の風下にいた人)、日本語でいう「被曝者」である。

 愛澤さんはその後、ホールボディ・カウンター(WBC)で内部被曝量の測定を自発的に受け、セシウムが検出されたことを私に教えてくれた。県の大規模なWBC調査が始まるずっと前である。それから5年。「被曝を抱えて生きる」というのはどんな現実なのか、愛沢さんの話を聞いてみることにした。

(2015年11月、福島市内の避難先住宅で)

ここから先は

6,104字 / 5画像

¥ 300

私は読者のみなさんの購入と寄付でフクシマ取材の旅費など経費をまかないます。サポートしてくだると取材にさらに出かけることができます。どうぞサポートしてください。