「産地直送型報道」の新しい実験を始めます

  冠省 読者のみなさまへ

 いつも私の「フクシマからの報告」をnote.muでご覧いただき、ありがとうございます。

 今回の号から、新しい実験を始めることにしました。 

 良書の読書を推進するボランティア活動をしておられる「一月万冊」からの提案を受けて、コラボレーション・プロジェクトを試行します。

 内容は簡単です。

・「一月万冊」は、noteの売れ行きの多寡にかかわらず、私に一号あたり10万円を払う。
・それ以上の売上が出た場合は、一定の比率で残りの部分を烏賀陽、一月万冊の両者で分け合う。
・烏賀陽は、取材し、記事を書くことに専念する。
・一月万冊は烏賀陽の書いた記事を宣伝し、売上を伸ばす作業を担当する。
・一月万冊側は、私の書く記事の内容に一切介入しない。

 私にとって、今回のコラボレーションはいくつかのメリットがあります。


・「取材し記事を書くこと」に時間や労力を集中できる。
・売上の多寡によらず、一定の収入を確保できる。
・販売営業を業務として手がけてきた、専門家の力を借りることができる。
・普通は、販売営業を業者に委ねるときは、こちらから料金を支払わねばならない。しかしその負担が一切発生しない。

●「産地直送型報道」の実験

 これまで私は、このnote.muというネット上の有料課金プラットフォームを使って、報道記者と読者を直結する「産地直送型報道」を実験してきました。

 私(烏賀陽)がフクシマの現場を取材し、写真を撮影し、記事を書いて、値段をつけ、note.muで公開する。読者はその値段を払って記事を読む。ニュースの提供とそれへの報酬の支払いが、記者(書き手)と読者の間で直接行われます。私はこれを、農家と消費者を直結する「産地直送型野菜」になぞらえて「産地直送型報道」と呼んでいます。農協や卸売業者、スーパーのような小売業者が介在しないのです。私のような記者が農家(生産者)で、読者が消費者です。

 ネットメディア以前の新聞や雑誌、書籍といった紙メディア(テレビも基本は同じ)では、私のような報道記者が取材し、記事を執筆してから、それが読者に届くまでの間には、少なくとも3つのミドルマン(中間業者)が存在しました。

記者→出版社・新聞社(マスメディア企業)→「取次(卸売業者)」→書店(小売業者)→読者

 私の32年間の記者人生の大半は、こうしたミドルマンの存在を前提として仕事をしてきました。しかし、次第にその欠点が膨らみ、仕事を続けることが難しくなってきました。

・マスメディア企業が、書き手への報酬を過剰に低く抑えている。
・マスメディア企業が出版に同意しないと、書き手が重要だと思ったニュースが読者に届かない。

 こうした欠点は過去30年以上指摘され続けてきましたが、一向に改善されませんでした。マスメディア企業が週刊誌や書籍といった媒体を独占していたからです。

 彼らは自らを改革する作業をしませんでした。書き手は、不満を抱えつつも「他に選択肢がない」という消極的な理由によって、マスメディア企業に従うほかありませんでした。

 インターネットが、こうしたマスメディア企業のメディア独占を粉々に破壊したのはご承知の通りです。

 しかし、インターネットには別の問題がありました。記事を公開しても、それをお金にすることができなかったのです。マスメディア企業が担っていた「(過剰に低く抑えられいたとはいえ)書き手に報酬を支払う」機能を代行することができなかったのです。

 そこに登場したのがnote.muでした。これで、自分の記事に値段をつけ、読者に代金を支払ってもらうことができました。これは私にとっては革命的なブレイクスルーでした。

 2015年4月からこのnote.mu を使って、私は「フクシマからの報告」を書き続けてきました。初期のころは、1ヶ月の売上が2000円しかなかった。しかし最近は10万円に達することもあります。それで生活ができるレベルにはとても及びませんが、それでも週刊誌の単発記事や月刊誌のコラムの原稿料(2〜3万円)より多い。ようやくそこまでネットが報道媒体として熟成してきたのです。

 note.muを報道媒体として使うことは、とりわけ福島第一原発事故の続報のような「重要なのに、既存マスメディアがほぼ無視している」ニュースでは非常に重要な意味を持っています。

 お気づきのように、既存の週刊誌やテレビはとっくの昔に福島第一原発事故の続報(いま汚染地帯はどうなっているのか、避難を続ける人がどうしているのか、事故原因の解明はどうなっているのか、次の事故が起きたときの避難対策はどうなっているのか、など)を、ごく少数の例外を除いて、やめています。

 戦争級のクライシスであり、世界的に注目度の高い福島第一原発事故という巨大なニュースを、日本のマスコミ記者たちがなぜこれほど無視できるのか、ひとりの報道記者として、私はさっぱり理解できません。

 彼らがただ愚鈍なだけなのか、それとも産業界や政府に配慮しているからなのか、といった「なぜ」の議論は本稿では立ち入りません。いずれにせよ、事故後7年経ってみると、原発事故の取材を発生初日から継続して取材し続けている記者は、いつの間にかほぼ私一人になってしまいました。

 こうした状況で、既存マスメディアの週刊誌やテレビに福島第一原発事故の重要なネタを持っていっても、たいていボツにされます。それも、自分より経験が浅く、原発事故に深い知識もなく(そもそも発生当時やその後の経緯を知らない)、つまりこちらよりニュースセンスの悪い編集者がボツにするのです。こうした媒体に掲載されるよう努力する「売り込み」「営業」の作業は、ネット媒体がある昨今、もはや無意味です。

 こうした状況の中で、note.mu のような有料課金インターネットプラットフォームがいかに破壊力があるかは、もはや言を待たないでしょう。

 しかし、note.muでも、解決できない問題は残りました。

・売れ行きが安定しない。多い月と少ない月では4〜10倍の開きがある。
・売れ行きが多くても、フクシマ現地取材に行くための必要経費(交通費、宿泊費など。3泊4日で7〜8万円前後)を埋めるのがやっと。自分の生活(家賃、光熱費、食費など)を支える報酬を得ることができない。
・報道記者として32年間を過ごしてきた私は、宣伝や営業など販売を促進するための職業経験がない。
・「取材し、書く作業」と「それをネット上で告知し、広める作業」を兼務することは非常にエネルギーや時間を消耗する。

●新しい「ネット上の書評家」の出現

 こうした悪戦苦闘の試行錯誤を2年以上続けたあたりで、2017年秋ごろ「一月万冊」を主宰する清水有高氏(38)という方から私に連絡がありました。拙著「フェイクニュースの見分け方」(新潮新書)を評価してくださり、私と話をしたいとのことでした。

 お会いしてみると、清水氏は、私より17歳下の若い会社経営者でした。大学卒業後、求人・求職を扱う企業の営業職からキャリアを始め、自分が愛するゲーム・まんが・アニメ業界の求人・求職ウエブサービス「ラクジョブ」を創業して成功した方でした。

 アニメ・まんが業界にまったく不案内な私は「なぜそんな業界の人が、私のような地味で硬い報道に興味があるのだろう?」と不思議でした。

 お気づきと思いますが、向こうから自分に近づいてくる人間に、私はとことん警戒的です。というより、できるだけ警戒的であろうと心がけています。言論・報道・表現の自由に介入しようとする人や、カネ儲け・知名目当ての人が実に多いのです。簡単には信用しません。

 そういうときは「とりあえず、会って話をしてみる」というのが私のポリシーです。

 そうした会話を重ねるなかで知ったのは、清水氏が「一月千冊の本を読む」という読書家であり、いま市場に流通する本(書籍・雑誌)の質の低下を真剣に憂いている、ということでした。「ジャンク本」が横行する中で、私の著作を一人の読者として評価してくださったという。これは二心なく、書き手として有り難いことでした。

 そうして、清水氏が主宰する毎夜のYouTubeでのライブ動画配信(清水さんと二人のトーク)に出してもらうようになった。すると清水さんの呼びかけに応じて、読者・視聴者から私のフクシマ取材へのカンパがネット送金で集まるようになったのです。清水さんの番組には1万人弱の登録視聴者がいる。その影響力の強さ(規模の大きさというより反応性の高さ)に私は驚きました。そして本当に「フェイクニュースの見分け方」の売れ行きに弾みがついたのです。

(注:トップ画像は私が清水氏のYouTubeライブ配信番組に出演したときのもの)

 清水氏がYouTube配信で何ら金銭的利益を得ていないという事実にも驚きました。世で言う「ユーチューバー」のように広告を入れればかなりの金額になるはずですが、意図的に入れていない。つまりボランティア活動なのです。

 すなわち清水氏は、インターネット上に現れた「書評家」なのだと気づいた。加えて「金銭的な利益のためにやっているわけではない」という点で「よき読み手」の一人にすぎないわけです。

 昨今、新聞の読書欄や書評雑誌が勧めても、本の売れ行きにはほとんど影響がありません(高齢者は除く)。媒体の力が衰退したからです。

 ところが、清水氏がYouTubeの番組で私の本を勧めると、本の売れ行きが上がるのです。そうした事実が目の前で展開するのを見て、私も考えを改めざるを得ませんでした。

 良書を求めている読者は厳然と存在する。しかし、あまりに出版点数が多すぎて、読者は何を読んだらいいのかわからなくなっている。ジャンク本の洪水に埋もれて「良書の書き手」が発見されないままになるのです。そうした良質の書き手の「紹介者」として、清水氏のような「新しい姿の書評家」が現実に力を持ち始めている。

●プライシングは極めて難しい

 さて「産直型報道」に話を戻します。

 これまでnote.mu での記事配信を続けてきて、私が痛感したのは「プライシング」(値付け)の難しさです。

 最初は一本300円で配信していました。しかしこの価格はあまりに安すぎると気付き、500円にしました。500円という値段は、ちまたの週刊誌(『週刊文春』『週刊新潮』など)と同程度、そしてワンコインという切りの良さで考えました。

 例えばあなたが、何か読みたい記事があって週刊誌を買ったとします。しかし、読みたい記事は3〜4ページで終わり。興味のない水着グラビアやグルメコラムまで入ったパッケージを含めて雑誌一冊を買わねばなりません。私のように書いている記事のように、テーマが明確に絞られたコンテンツを求めている読者には、こうした「総合週刊誌」は、支払った料金の大半が無駄なのです。

(しかも、その週刊誌から書き手への報酬=原稿料=は過剰に低く抑えられています。書き手、読み手にとって無駄や損が多く、益が少ないのが紙マスメディアなのです。そしてこれはネット上の組織型マスメディア=ニュースウエブなど=にも無検証のまま受け継がれました)。

●価格500円では「500円の価値しかない」と誤解する読者が多い

 ところが次第に気づいたのは、500円という価格設定では、読者の大半は「その記事には500円の価値しかない」と誤解してしまう、という事実でした。

 特徴的な事実は、購読者の2分の1から4分の3がすぐにいなくなってしまうことです。つまりは「浮動層」、もっと有り体に言ってしまえば「野次馬」なのです。

 もちろん、私の記事を買っていただけるので、それはそれで有り難いことなのですが、こうした人たちは一本買って読むと、戻ってきません(note.muはそうした購買者のトラッキングができます)。

 それは「福島第一原発事故に関心を寄せている」というよりは「何かおもしろいコンテツを探している」「時流に乗りたい」「巷の話題を先取りしたい」という態度であるように、私には思えます。

 一方、私が発生当初から7年以上取材を続けていることでもおわかりのように、福島第一原発事故はまだ現実に刻一刻状況が進展し続けいている、現在進行型のクライシスなのです。そしてそのクライシスは、少なくとも向こう30年前後は続きます。例えば、福島第一原発の廃炉は30年がかりです。溶け落ちた猛毒を放つ燃料棒をどう処理するのか。除染で出た莫大な量の放射性ごみをどこに貯蔵するのか。東電も政府も、答えを見つけていません。

 そして、天地にばら撒かれた放射性物質(例えばセシウム)の毒性は、30年後でやっと半分です。除染しても、環境省のいう基準値(年間1ミリシーベルト以下。単純計算で1時間あたり0.23マイクロSV)は達成できないことが、次第に明らかになっています。

 私はこうした事実をフクシマの被災地から定点観測し、報告を続けています。「一度(あるいは時々)見て終わり」という読者の方は、この巨大な現在進行形の危機を理解することは難しいでしょう。

 報道記事にかぎらず、映画や音楽、美術など「知性」や「表現」の質をその価格でしか判断できない、という錯誤は、高度消費主義社会の病理現象なのですが、それはまた別の大きな議題ですので、ここでは深入りしません。

 その窮状を解決するために「一月万冊」が私に提案したのは「記事一本の価格を3000円にしてみる」という内容でした。

 これは私には驚愕の提案でした。初歩の経済学がいうマーケット・メカニズムに従えば、価格を上げれば需要は減ります。つまり「高いから買わない」と逃げる客が増えるのです。500円でも「高すぎるのではないか」とおっかなびっくりだった私には、思いつかない発想でした。

 しかし一月万冊によれば「500円という価格がアンダープライスド」というのです。つまり、私の書くコンテンツの質に比較して、500円は安すぎるというのです。

●「数の価値」から「質の価値」への転換

 それは単純に「ホメてもらっている」とも思える、こそばゆい話なのですが、さらに奥があります。

 先ほど述べたように、500円の値付けだと「500円の価値しかない」という誤解する読者が多数いる。そうした人たちは、価格でしかコンテンツの質を判断できない。そうした誤解の方が有害である。「価格を低く設定してより多数を売ろうとするよりも、数は減ってもいいから、よりリテラシーの高い読者に記事を読んでもらうべきである」というのが一月万冊が提示した作戦でした。

 このロジックには一定の説得力があります。

 思い返せば、自分が生きてきたマスメディアの世界でも、同じ法則は当てはまるのです。

 残念ながら、新聞・雑誌からインターネットに至るまで、マスメディアビジネスでは「コンテンツの質」(クオリティ)と「購買者数・売上」(クオンティティ)は比例しません。むしろ反比例します。古今東西どこの国でも、多数の視聴者を得るのは芸能人のゴシップであり、残虐映像であったりします。クオリティの高さを理解するには高いリテラシーが必要です。ところがリテラシーが高くなればなるほど、数は少なくなります。クオリティの高いコンテンツを理解できる層は、そうでない層に比べて、数が少ないのです。

 こうした社会背景の中、「購買者数・売上」(数の価値)より「質の価値」を優先させる新聞を、英語圏では「クオリティ・ペーパー」と呼びます。アメリカの「ニューヨーク・タイムズ」、イギリスの「ザ・タイムズ」、フランスの「ル・モンド」などがこれにあたります。

 どうしたことか、日本では「クオリティ・ペーパー」とは「質の高い新聞」という誤解が広まってしまい「販売部数拡大」を社是に掲げる朝日新聞や読売新聞ですら「クオリティ・ペーパー」と自称しています。が、これは壮大な詐称です。西欧社会では「クオリティ・ペーパー」は「数の拡大より、記事の質を優先させる新聞」のことです。実際に、世界の政策決定者が必ず読む「ニューヨーク・タイムズ」は部数200万部程度、日本でいえば北海道新聞ぐらいの発行部数しかありません(2018年現在は減っている)。

 つまり、こうした「クオリティ報道」の原則を、私のフクシマ報道でも実践してみるべきではないかという提案なのです。

●400人のホールが満員になってしかも黒字

 それでもなお懐疑的だった私が「なるほど」と思わざるをえなかったのは、一月万冊が2017年秋に東京・紀伊国屋ホールで私の講演会を主催したときの現象です。

 紀伊国屋ホールは、新宿駅東口前という、日本有数の好立地です。席数は約400。それまで講演会で30〜40人を集めるのがやっとだった私はビビりました。いくらなんでも、私のような、地味で硬い報道をやっている人間の話を聞きに、400人なんて集まるわけがない。そう思ったのです。

 ところが蓋を開けてみると、ホールは満席。ロビーでは山積みになった私の本が飛ぶように売れ、サインを求めて長蛇の列ができました。そんなAKB48みたいな現象が自分に起きると思っていたなかった私は心底驚きました。

 一月万冊の作戦は「1席10万円のVIP席を20席用意して、その収入でホール代をカバーする。残りの席は無料にする」というものでした。

 ここでも私は懐疑的でした「いくらなんでも、私の講演会に10万円を払う人がいるもんですか」と、本気で言ったものです。ところが、発売開始後数日でVIP席が売り切れてしまった。「現実が信じられない」というのが私の正直な気持ちでした。

 ここまでの実績を目の前で目撃して、疑り深い私も「ちょっと作戦を変えてもいいかもしれない」と感じるようになったのです。

 今回のプライシングの変更には、こうした背景があります。

●日本の報道と民主主義の生き残りがかかっている

 私がここで実験していることは、日本の報道が生き残ることができるかどうか、という極めて重要な使命を帯びています。

 みなさんも、読者・視聴者として、その実験に参加してほしいのです。フェイスブックやツイッターなどSNSで「広める」ことも、重要な社会参加の一形態です。

 これは、報道のみならず、わが祖国の民主主義の未来にとって、死活的な重要性を持っています。それをどうか心に留めてほしいのです。

 とはいえ、もちろん、うまく行かなかったら、また値下げするでしょう。「柔軟に現実に適用していく」ことほど「危機」「サバイバル」で重要な作戦方針はありません。大組織報道という「正規軍」を離れて「ゲリラ戦」を展開する私は、それを自分だけの決断で即決できるという利点を持っています。

 日本に世界標準の報道を実現するため、私は必死であがいています。

 それでは、気候不順なおり、みなさまどうぞご自愛ください。

敬具

烏賀陽弘道

(2018年5月21日記)


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コメント3件

資金ベースでも、社会的な認知としても、この報道のあり方に深い賛同をいたします。
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