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原子力安全・保安院 平岡英治・元次長 5年余の沈黙を破る  9時間インタビュー(上)

 2011年3月に起きた福島第一原発事故当時、原子力安全・保安院のナンバー2だった平岡英治・元次長が、事故後5年以上の沈黙を破って、詳細な証言を公にした。政府・原子力規制官庁の専門家として、住民避難など重要な政策決定の場面に立ち会った当事者である。

 これまで平岡氏の証言は、政府事故調査委員会のヒアリング結果や福島県の地元紙「福島民報」の短いインタビューなどごく少数の例外を除いて、公になっていない。また保安院のトップだった寺坂信昭院長も報道各社のインタビューには応じてない。そのため、保安院関係者の証言はほとんど出てきていなかった。今回のインタビューで、その保安院の事故対応責任者の詳細な証言が初めて公開される。

 これまで、原発プラント対応や住民避難の意思決定に参加した政治家職(菅直人総理、海江田万里経産大臣、福山哲郎官房副長官ら)や斑目春樹・原子力安全委員長(いずれも当時)の回顧録は書籍として出版され、証言は新聞やテレビ、ルポ書籍などあちこちに出ている。私も面会して話を聞き、記事に書いて出版し、書籍にまとめた。そうした中、政府官僚の立場から事故対応に参加した原子力安全・保安院の視点からの証言は5年間空白のままだった。今回のインタビューはその空白を埋める貴重なものだ。

 さらに平岡次長は、20年以上 原子力規制行政の最前線にいた実務家であり、電気工学出身の技官でもある。おそらく、日本の官僚では原発に関する行政をもっとも熟知した人材の一人だった。

 話を聞いてみると、平岡氏の証言はやはり、これまで表に出ていなかった話や、驚くような話が随所にあった。これまで「謎」とされてきた部分への答えもあれば、政治家職らの回顧録・証言を否定する新証言もある。また原子力安全・保安院の組織としての限界や、SPEEDIや関係法令の不備・欠陥についても平岡氏は率直に語っている。

 要点を先にまとめる。

*地震発生後、津波が到達するまでは、それまでに何度も経験した外部電源喪失事故に過ぎなかった。

*津波が来ることがわかった後も、防波堤などで対応できる高さだと思った。

*海江田経産大臣の回顧録は記憶と食い違う箇所がある。

*「菅総理に叱責された寺坂院長は官邸から保安院へ逃げ帰った」は事実ではない。

*3月11日当日の午後7時ごろにはSPEEDIが避難には役立たないことがわかっていた。

*2003年ごろにはERSS/SPEEDIの欠点に気づいていた。

*しかし3・11まで8年間改善することはできないままだった。

*原子力安全・保安院は電力業者を監督・規制することまでが仕事だった。甚大事故が起きた時の進展の予測やそれをにらんでの住民避難などは仕事ではなかった。

 平岡氏の証言が史料として極めて価値が高いことを考えて、音声録音を書き起こし、できるだけそのままの形を残し編集を加ずに掲載する。質疑応答部分の文面は平岡氏も事前に読んでいる。そのうえで、わかりにくい語句や表現は微調整した。またバラバラに離れた質疑応答は、関連する内容が隣接するよう位置を調整した。平岡氏が発言を撤回したり、趣旨を大きく変更しようとしたりした箇所はなかった。

 インタビューを了承したあと、平岡氏からは「事前に質問を教えてほしい」という要請があった。私はそれに応じた。平岡氏は「現在の心境」の文面をあらかじめ用意して来て、インタビューの冒頭に読み上げた。また、福島第一原発とやりとりしたファクスやSPEEDIが示した図など、原発事故が進行していた当時の原資料やコピーの分厚いファイルを持参して、論拠として示しながら話を進めた。

 インタビューは2016年7,9,10月の3回、東京都内で行った。合計9時間、文字数にして8万字(新書版の書籍の9割)に及んだ。これを(上)(中)(下)の3回にわけて公開する。私の質問や発言はゴシック、平岡氏の発言はプレインにして見分けやすいようにした。語句や背景について説明が必要な場合は(注)としてこれもゴシック体で挿入した。

<平岡英治氏の略歴>

ひらおか・えいじ 1956年1月、岐阜県生まれ。

東京大学工学部電気工学科を卒業し経産省に入る。

*1995年12月 資源エネルギー庁 原子力発電運転管理室長

*1999年 資源エネルギー庁 原子力安全管理課長

(2001年1月 原子力安全保安院 設立)

*2001年1月 経産省消費経済部 製品安全課長 

*2003年7月 原子力安全保安院 原子力安全技術基盤課長(新設)

*2005年9月 原子力安全・保安院 首席統括安全審査官

*2007年7月 原子力安全・保安院 審議官

*2009年7月  原子力安全保安院 次長

(2011年3月 東日本大震災・福島第一原発事故発生)

*2012年9月 環境省審議官

*2014年7月 経済産業省官房付・退官

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