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再訪原発難民2015 その2 諦観と達観 汚染された故郷に帰る


 福島第一原発事故後、山形県で出会った避難民の人々を再訪した報告の2回目である。福島県南相馬市の木幡竜一さん(51)は、経営していた建築資材会社が原発から20キロ圏内の「警戒区域」に入ってしまい、自宅は圏外なのに生活の糧を断たれてしまった。

 その木幡さんは、2012年4月に家族と一緒に山形県の避難先から故郷に戻った。木幡さんは今も国政府や福島県、その系列の学者・専門家をまったく信用していない。故郷が安全だとも思っていない。しかし、避難先の山形県にいても、仕事や子供の教育といった「現実の壁」にぶつかった。かつては「山形でやり直したい」と言っていたのに、今では「生きていかなくてはしょうがない」「ある程度被曝はしょうがない」「病気になっても因果関係はわからない」と言うようになった。4年間ずっとその姿を取材している私にはそれが「あきらめ」とは違うように思えた。「現実に手段を断たれて、最後に残った現実的な手段として故郷への帰還を選ばざるをえなかった」と映った。木幡さんの真意はどうなのだろう。2015年8月、話を聞きに行った。

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