フクシマからの報告 2019年春    原発事故から8年 カエルの産卵地も除染で破壊 消えゆく事故前の山村風景

 毎年、サクラの咲く季節に福島県飯舘村に取材に行くと、必ず足を運ぶ場所がある。同村の南端・比曽(ひそ)という集落にある公民館である。ここはかつては小学校だった。廃校跡に公民館が作られた。その一角にこじんまりとした体育館とプールが残っていた。

 このプール跡の水たまりに、冬眠から目覚めたカエルたちが産卵に戻ってきているかどうかを確かめる。それが私の毎春の習慣になった。

 飯舘村は阿武隈山地の中、500メートルほどの標高にある高原の村である。2011年3月11日に始まった福島第一原発事故がもたらした放射能汚染のため、国は全村民約6000人に強制的な避難を命じた。原発から半径20キロの強制避難区域から外側(原発から30〜50キロ)だったにもかかわらず、風に乗って運ばれたプルーム(放射性物質を帯びた雲)の直撃を受けたのだ。

 それから2017年3月末の強制避難解除まで、村人たちは全国に離散して生活した。6年間村は無人になった。「悲劇の村」とマスコミが喧伝して、それまで無名だった静かな山村が有名になった。こうした顛末は本欄でも何度か書いてきた。原発事故から8年間に、私が飯舘村を何度取材に訪ねたのか、もう数え切れなくなった。

 特に原発事故から最初の1年間、私は村に集中的に通った。その四季の美しさを写真で記録したかったのだ。

 何の予備知識もなく被災地に入った私は、阿武隈山地の自然と、自然と共存する生活の美しさに魅了された。

 幸い、半径20キロ以内の地区と違って、その外側にある飯舘村は、封鎖されなかった。国の原発事故直後の避難政策が、20キロまでしか封鎖の対象として想定していなかったため、その外側の村を立ち入り禁止にする法的根拠がなかったのである。私のような住民ではない一介のフリーランス記者でも、自由に入って取材ができた。

 村の四季の自然の記録は、2012年夏に「福島飯舘村の四季」(双葉社)という写真集になって世に出た。それ以降も、私は数ヶ月に一度は通って、無人の村を歩き回った。除染で山や田畑が変貌していく様子をずっと見てきた。2017年4月に強制避難が解除されてからも、記録を続けている。

「カエルの産卵プール」を見つけたのは、原発事故翌年の桜のシーズン、2012年5月5日だった。

 無人になった村を歩いている時だった。満開のサクラに誘われて敷地に足を踏み入れた。ふと、傍らに体育館とプールがあるのに気づいた。入り口に「比曽小学校」という石の門柱が残っていた。廃校になった小学校の施設が公民館になって残っていたのだ。

 敷地の奥で、サクラが咲き乱れていた。近づいてわかった。そこはプールの跡だった。シャワーや、目を洗う洗面台が残っていた。

 水面をのぞきこんで息を呑んだ。雨水のたまったプール跡に、冬眠から覚めたカエルたちが集まり、押し合いへし合いしながら、交尾を繰り広げていたのだ。水面が黒く見えるほどオタマジャクシが密集している。そのすきまでカエルたちが交尾していた。

↓オスのカエルがプールの縁で冬眠から覚めたメスがやってくるのを待っていた(冒頭の写真も)。

 毎年春になると、村人たちが田んぼに水を入れる。カエルたちは、冬眠を終えて地表に出ると、そこでつがいの相手を見つけ、交尾する。オタマジャクシが育つ。

 ところが、その前年に村人が避難していなくなった村では、田んぼに水が入らなかった。地表に出たものの、交尾をする場所がないので、カエルたちは困ったらしい。水を探して、雨水のたまっていたプール跡に、あたりのカエルが一斉に集まったようだ。

 ラッシュ時の満員電車のように、カエルとオタマジャクシがすし詰めになってうごめいていた。桜の花びらの間で、オスとメスが重なっていた。

 まず最初に圧倒されたのは、カエルたちの生命力だった。高濃度の放射能がたまったプールで、カエルたちは生殖を繰り広げていた。「原発事故?放射能?そんなもの、知らん。こっちは忙しいんだ」。カエルがそう言っているように思えた。

 自然から無理やり核エネルギーを取り出して「夢のエネルギー」とはしゃいたかと思うと、今度はそれが暴走して慌てふためいている。そんな人間が愚かで卑小に思えた。

 そしてよく考えると、ぞっとした。プールの水には、福島第一原発から降った猛烈な濃度の放射性物質がたまったままになっている。前年夏、隣の「長泥」という集落にある民家の雨樋の下で、線量計が毎時350マイクロシーベルトを指したことを思い出した。事故前(毎時0.05マイクロシーベルト)の7000倍。そこに3時間立っているだけで、法定の1年間の被曝許容量を超えてしまう。3時間で1年分である。こちらの比曽でも、線量はほとんど変わらない。ここで生まれたオタマジャクシは、一体どうなっていくのだろう。

 プールの水面に、何匹か死んだカエルが浮いていた。過密すぎたのか。オス同士の競争に負けたのか。水質が悪かったのか。それとも放射能のせいなのか。なぜ死んだのかは、わからない。カエルが環境の変化に敏感な生物だということだけは知っている。今でも、あれはなぜだったのか、不安にかられる。原因を知りたいと思う。

 それから毎年、私はサクラが咲く季節になると、飯舘村に足を運び、プールの様子を見るようになった。カエルたちがどうしているのか知りたかったのだ。

そして、今年も飯舘村にサクラが咲く季節が来た。2019年4月25日から29日まで、私は飯舘村を訪れた。そしてプール跡に行ってみた。そこで、信じられない光景を見た。

(ここまでの写真は2012年5月5日に福島県飯舘村比曽で筆者が撮影した)

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フクシマからの報告 2019年春    原発事故から8年 カエルの産卵地も除染で破壊 消えゆく事故前の山村風景

烏賀陽(うがや)弘道/Hiro Ugaya

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コメント3件

破壊は現在進行形であることを改めて思い知らされました。これは日本全国どこでも起こりうることですね。
こうしてまた、福島の村落の自然・田園・街の風景が、除染作業によってその場所から消えていってしまう。

除染によって更地になった土地は、花や畑の生き物も削ぎ落としたまっさらな土地になり、放射性物質が入ったフレコンバックの仮置き場と、復興支援と称した太陽光発電事業のソーラーパネルが並んだ発電施設として、人工的で無機質なものの配列が並んだような風景に入れ替わってしまった。

"殺風景"とは、まさに今回烏賀陽さんが写真に収めてきたような、人や生き物の生き血のようなものが削ぎ落とされたこの風景のことを言うのだろう。

非常に残酷だった。
鋭いご感想ありがとうございます。風景を殺すと書いて「殺風景」。まさにそのとおりですね
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