見出し画像

オンラインコミュニティを作る際に注意すべきこと

「テレビの前で寝っ転がって何もしないことが人類を救うことになる、人類史上初のチャンスだ」

先日ニュージーランドの警察が出していた注意文です。

おもしろい表現ですね。


***

現在世界中の多くの人が、リアルでの交流を制限されている状態です。
一方で、空いてしまった隙間を埋めるように、オンラインでの交流が活発化してきていますね。

オンライン交流に可能性を感じて「オンラインコミュニティを作ってみよう!」と思う方も多いんじゃないかと思います。

そこで今回は、個人的にオンラインコミュニティを構築するうえで気をつけたいことを、僕の体験を基に挙げていきます。

※あくまでも一個人の意見です。


1.箱だけを頑張って作らない

コミュニティを構築する際には、“どのような箱を作るか”を意識しがちですが、中身がないと意味がないです。

空っぽの箱には哀愁しかありません。


2.箱に人を入れようとしない

コミュニティを設計する場合、とりあえず人が集まれば良い感じに回る事をイメージしがちですが、決してそんなことはありません。

勧誘されるのもするのも何か嫌ですよね。


3.発信を押し付けない

オンラインの世界では、誰かが何かしら発信していないと何も生まれません。
なので箱を盛り上げるためには、コミュニティ内の人にたくさん発信してもらう必要があります。

だからといって無理に発信を促しても、発信したい人しか発信しないし、他にも発信できる場を持っている方も多いので、大体変な感じになります。


4.安定運用を夢みない

安定して人が交流する場が理想と思うかもしれないですが、オンラインの場合はそうでもないです。
身体性がないので、面白さ、安心感、高揚感を得られないとそのまま飽きてしまいます。

リアルとの大きな違いはここにあると思います。



コミュニティを作る意味

ザッと4点挙げましたが、結果的に言いたいのは“オンラインコミュニティを作ること”が目的になってしまうと上手くいかないということです。

本来は”コミュニティの中の個人が豊かさを感じること“が価値であり、“コミュニティを構築、維持、発展させること”が価値になると話が変わってきます。
それは既存の会社組織や国、社会と同じ。

その先には、同調圧力と閉塞感と飽きが待っている気がします。


個人的には、オンラインコミュニティを構築するよりも、瞬間的にでも安心感と高揚感を得られる場をデザインしていく方が楽しい、というのもありますけどね。


ただ僕は決してオンラインコミュニティを否定しているわけではありません。
僕自身、多くのオンラインコミュニティに参加してますし、かなり楽しませてもらっているので。

箱作りを意識し過ぎるのはどうなのか?という話でした。


画像2






ーnoteの原文ー

ステレオタイプの幸せに心惑わされ、ステレオタイプの成功に夢を抱き、安心安全という名の思考停止ドラッグに侵されていく。
僕らに安心をもたらしてくれる素晴らしいものとは、僕らから思考する力を奪い、いたずらに生命を循環させるだけの傀儡にしていく虚像だった。
今の世の中は枠に溢れている。
それはプラットフォーム資本主義の文脈で、人という取るに足らない存在を集めてLTVという指標で生命の価値を吸い取っていく。
たしかに枠の中にいることで人は安全を得てきた歴史があり、今後もその概念は無くならないだろう。
人は当たり前だが個体では生きていけない。
生存可能性を上げるには共存が必要。
より安全で安心して過ごせる枠が必要と考える。
将来は登りきったビルの屋上で、ゆっくりお酒でも飲みながら過ごす未来を描く。
それは枠によりもたらされ、枠のなかで階段を登っていくことで到達できると信じ込まれている。
厄介なのはその価値観が枠により刷り込まれたものであり、同じ枠の住人の多くが同じ夢を抱いているということ。
それは自然とラットレースに飲み込まれ、枠の維持、枠の成長、枠の発展を目的とした活動に組み込まれていく事を意味する。
枠から与えられているのだ。僕らの人生は。

個人から枠に主導権が移された時、そこには豊かさは残っているのだろうか?
枠は安心を得るためには必要。
しかし、安心を得るとは思考停止に近づくことだ。
さすがに毎朝シャツの色にさえ思考を奪われていたらキリがないが、上着を着るかどうかぐらい自分で選択したい。
選択するにはエネルギーがいる。
そのエネルギーを知らない間に吸い取られていないか?
豊かな場には、安心と狂気が共存する。
枠は狂気を嫌がる。なぜなら枠の存続が危ぶまれるから。
徹底的に狂気を逃していった先には豊かさは残るのだろうか?
中身の入っていない箱になるのではないか。
狂気は枠の外からもたらされる。
しかし枠が完全に無い世界は狂気に溢れている。
それはそれでつらい。
ならばどうするか?
枠の意識をなくしていけば良いのではないか?
意識を減らせば、自ずと自分の周りの枠も力が弱まる。
自分の安心感を最低限維持できるレベルで枠をなくしていけば良いのではないか。
刹那的であっても豊かな場に出会えるチャンスだ。
川の流れのようにね。

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?