野中すず 様 「赫い糸」の感想

作品URL: https://novel18.syosetu.com/n6013ij/  (R18です)

※以下は私が勝手に読み取った感想です。
これが絶対的な正解ではないですし、作者様の意図から外れた読み方をしている可能性もあります。
(日本的な)純文学は、視点が変われば見える景色が変わるものなので……
あくまで、「真面目に時間をかけて読んだ1読者の思ったこと」です。それ以上でもそれ以下でもありません。

書いている感想の性質上、ネタバレだらけです。
純文学は誰かの意見を見た後では面白みが薄れるので、未読の方は上のURLから今すぐに作品を読んできてください。ただし18禁なので注意。
この感想も、作品世界にかなり踏み込んでいるので、18歳未満は読んじゃダメとさせて頂きます。
 乾燥まで18禁になるって凄いな……

【まず、書いておくべき部分を列挙】
1) この作品のジャンル
 ジャンル分けに本質的な意味など無いのですが。
 この作品、「純文学」タグが付いてないことに途中で気づいた。
 野中様は純文学の人だと勝手に決めつけていた部分もあり、そう読んでしまったのだけど。間違ってはいないはず。
 この作品の大きな柱の一つが「価値観の相対化」であることが理由。

2) R18描写
 私は、R18描写の濃厚さは関係の濃密さと比例関係にあると思っている。
 二人の心のやり取りだったり。一人のときの内省の強さだったり。
 私は野中様に感想を送る際、いつも「何かの事象により人は変わってしまう」部分にフォーカスして書いているけれど。この作品では、その事象はR18描写の中にあるわけで。必然、濃厚にならざるを得ない。
 エロスとタナトス。両極端に振れているこの作品の中で、エロスのひとつの極として位置づけられているのがR18なので。
 このnoteを運用しているのはお上品なアカウントなのだけど(←ここは突っ込むべき部分)、R18描写にも踏み込んで話をしようと思います。

【作品の好きな部分】
1) 「皆さん、水曜日はスイスイ帰りましょう」
 これに対する美亜さんの反応が、「ダサッ……」→「……ダサッ!」となっているのもポイント。下を向いてるようなしゃべり方から、しっかりと前を向くようになった変化が見えますね。
 この「スイスイ帰りましょう」。物語全体を覆う空気感の中で一か所だけ妙に浮いてて。ともすれば「ダサッ!」ってなってしまう部分。だけど、何故だか現実感があるんだよね。全体的に暗くて浮世離れしてる作品世界を現実世界とつなげる接着面みたいな感じ。結構好き。

2)  時間の流れの描写
 これは以前に書いたけれど。血を流しながら、血まみれになって進行するシーン。ローファーから朋美が血をかけるシーンは映像的にとても美しいとともに、滴る血がメトロノームみたいになっている。
 これが小説全体のBPMを決めているみたいで、この作品って血がぽたぽたと垂れていくスピードで展開していくように見える。BPMで言うと40くらいのスローテンポで進んでいく感覚。
 だから、ひとつひとつの行動、言葉、その辺りに陰影が見える。これが、特に美亜の目から見た朋美の奥深さを強調していて、視覚的・心理的にすごく印象が強くなる。
 小道具としても働いている血の流れ。とても好き。

3) 美亜という人間の描き方
 正直なところ、この作品の主人公は(朋美ではなく)美亜だと思っている。圧倒的に美亜の書き込みのほうが凄いから。そのバックグラウンド、自分の隠していた内部を見つめる過程、朋美という人間に引き付けられる過程。
 「文字通り、上手く呼吸が出来ない」これは私が何度も聞かされた話だけど、周囲から疎外されていると感じるときは本当に息を吸い込めなくなるとのことで。ここはとても印象深い一文。
 あとは、仕事ぶりを上司に認められる美亜が高卒である理由も。あと4年間、人にまみれて過ごすことがイヤだったのよね。ってすごく分かる。ここの書き込みがすごく上手いと思う。

4) 「軽蔑します」
5) 誰とも関われなくて作り上げた架空の話し相手。
 この台詞と文章って、本当に強い。これこそがこの作品を純文学たらしめている部分だと思ってる。
 純文学に必要な行為って、何よりも相対化だから。
 書けそうで書けないんだよね。自分の意識を絶対だと考えてる人には。 

 他にも好きな部分は多くあるのだけど、以下の本文に絡んでくるのでその時に。

【この作品における対応関係と『相対化』】
①「ヘマトフィリア」と「自傷癖」
 これは作品中で初期から語られていた対応関係。だけどこれって、二人が惹かれる理由にこそなるけれど、別に相対化がされているわけではない。そもそも、美亜が朋美に惹かれる理由にはならないし。
 どちらかというと、この対応関係。美亜が「安っぽい結論」と断じることにこそ意味があるように見える。つまり、
 ・美亜はそもそも他人に興味が無かったはずなのに、
 ・美亜は朋美に惹かれる理由が無いのに、
 ・美亜の感情とは全く関係のないことなのに、
 何故これを安っぽい結論と感じるに至るのか?
 元々、美亜が「自分の」変化の正体を知りたかったはずなのに。 

 『朋美が、普段見せていない闇の部分を引きずり出せた気はするが、それは「正体」ではない。まだ、さらけ出していない。そう確信している。』

 いつの間にか、朋美の闇の部分を見たいという欲求にすり替わっている。
 既にこの時点で、美亜は『他人に興味が無い(ふりをしている)』という自分の殻を少しずつ破りはじめていることが端的に表れているように見える。
 また、この『安っぽい結論』という言葉は。
 美亜が以前から「架空の人たちとの架空のやり取り」にも通じるところがある。まるでどこかの偉い医者が、立派な理由を創作してくれるような。
 つまり、この時点で、美亜は自己と他者を相対化しつつある。

(他人から自分へ) 立派な理由を創作してくれる。
(自分から他人へ) アホか、お前ら。
 外界との繋がりは長年、こうでしかなかったのに。
(自分から朋美へ)『安っぽい結論』という『妥協を』恐れている。
 ⇒「アホか、お前ら」の否定

 この物語はヘマトフィリアと自傷癖という構造ではないことが後になって明かされるけれど。それはつまり、
 自分の殻の中に閉じこもることは、立派な理由を創作することそのもの
 ⇒自分から外界へ手を伸ばすと、見えなかった本質が見える
 ということを示していて。
 美亜は既に変わりはじめている。

②デフロランティズムと処女
 構造としては①と同じ。二人の関係は相対化ではないし、美亜が朋美に惹かれる理由にはならない。
 ただ、この場面で好きなのは、美亜に「軽蔑します」という言葉を言わせたこと。
 美亜さんがこの言葉を言いたくなる心情は、とてもよく分かる。誰とも関われない中、強烈に入り込んできた相手が、自分の身体の状態だけしか見てくれてないのだから。お前も同じかい!! ってなるのは当然。
 だけど、この台詞。メタ的に見ると、これを登場人物に言わせることが出来る作者様って中々いないのでは? と思う。
 
 この台詞って、理解とは正反対にある言葉。
 例えば、言われた相手が男性ならばすごく分かりやすい。男性がデフロランティズムでした。軽蔑します。
 すごくシンプル。だからこれは誰でも言える陳腐な台詞。だってそこには理解が介在する余地が無いから。
 じゃあ女性がデフロランティズムだったら?
 なぜそうなるに至ったの? 何かそこには物語が存在するはず。そこに光を当てなければ。ってやりたくなる。書いてたら絶対そうする。
 でもそれって恣意的だよね。あなたの都合でしかないよね。
 その歪みを相対化するのが純文学なのだ。と言える。

③清水美亜と葉山朋美
 最終的には、奥底に眠らせていた自分自身として見つめあった二人。
 では、この二人は相対的か? というと、これも違う。
 二人とも、似た者同士でしかないから。

 清水美亜は、誰とも関われない寂しさ、虚しさを誤魔化すために、「誰とも関わらない自分」を演じていた。
 葉山朋美は、コンプレックスを隠すために、「性的なものを見限った自分」を演じていた。

 この中で相対化されているのは、「演じている自分」と、「本当の自分」。目を逸らしたくなるよね。かっこ悪い、ありのままの自分からは。
 ここを直視できるかどうか。これが純文学とそれっぽいポエムを分かつ最大のポイント。
 自傷癖とヘマトフィリア。この一見「物語を内包していそうな」「抑圧された・弱者的な」「一般には理解されないけれど確実に存在する」キャラクターを、それがその人なのだとカテゴライズして安心する、そこに甘んじる文芸作品って本当に多いけれど。そこからさらに踏み込んだところに物語としての強度を感じます。

 メタ的にはそんな評論も出来るけれど。
 やはりポイントは、二人が弱い自分を自覚して(=自己をしっかりと相対化して)、自分の足で立とうとしているところ。
 二人の関係で閉じて終わるのではなく、お互いに、一人の人間として強くなろうとしている。

【赫い糸】
 じゃあ、このタイトルって何なの? ということ。
 これ以降は18禁的な内容に踏み込みます。

 物語の中で唯一明示的に示された赤い糸は、
『濃い血の味が美亜の舌から朋美の舌へ伝わっていく。(中略)朋美は、舌を抜いて顔を離した。二人の唇の間に糸が垂れた。』
 これですね。二人の唇の間につながる血の糸。
 すなわち。二人にとっての運命の赤い糸は、小指と小指をつなぐものではなくて、身体の内側どうしをつなぐものだった。

 何故?
 それは、自覚さえできないお互いの内側こそが本物の自分だったから。

 美亜の血。これは、「(不特定の or 朋美含む特定の)誰かに理解されたい・関わりたい」が成されないことの代償行為であり、それは美亜の寂しさそのもの。
 朋美の処女膜。本来あるべきものが不当に奪われたこと、本来あるべきはずのものが失われたことの喪失感。

 内側どうしでつながること。それは自分の外側をがちがちに固めた二人にとって、自分自身として相手とつながることが出来る唯一の方法。
 だからこそ、この作品はR18でなくてはならなかったんですね。

 話が少しそれるけれど、「赫」という文字。これは、お互いに自分の足で立つ強さを得た二人にフォーカスが当たっている感じがとても良いです。赫の間に糸が絡んでるような映像。


【R18描写】
 まず重要なのは、二人で美亜の血にまみれるという行為。
 流された美亜の血は美亜の寂しさ、コンプレックスそのものであるので、二人でこれを見つめる行為、触りあう行為というのは、本来隠された美亜自身に触れるということでもある。
 だからこそ、美亜は朋美にシンパシーを感じることが出来たし、身体を委ねることが出来たのではないかと。

 R18描写そのものの中で、書き方として一つ凄いと思ったのは。
 それまでは明確に美亜と朋美の視点を分けて書いていたのに、行為の途中から誰の視点なのかがどんどん曖昧になってくること。
 例えばここ。
 『……ゆっくり一筋舐めた。美亜の体液が混じり合った味が舌に残る。(中略)途切れていた快楽が、何倍にもなって返ってきた。』
 あまりしない書き方だけど、二人が溶け合ってる感覚が伝わってきていいなーと思う。女性同士だから余計にこの書き方が合うんだなと。

 もう一つ、好きな描写は。
 『血が付いているところも、付いていないところも、朋美の唾液まみれになっていく。』
 血を唾液で拭きとることは、美亜の寂しさを自分が引き受けるよ、という意識とも取れる。まるで悪夢を食べる獏みたい。
 言語化すると、とてもロマンティックな内容。遠回しな告白と言っても過言ではないくらい。

 あと、細かいけれど好きな一文。
 「美亜は声を出してしまった。ブラジャーの肩紐がわずかにズレる。」
 自傷している箇所ですね。
 本当に意識していなかった驚きが生々しく伝わります。そしてとてもセクシー。R18描写の中で、ここがいちばん好きかも。

【気になる部分・分からない部分】
 特にR18描写は心理描写が繊細なので、いくつか理解には至らなかった部分があります。これは私の理解不足である可能性が極めて高いので、可能であれば教えて頂けると有難いかもです。
 また、色々書いていますが、本気で読んだ一読者の、ひとつの意見として受け取って頂ければと思います。

・「葉山朋美のデフロランティズム」って何?
 処女性愛というと、何だか分かった気になってしまうけれど。じゃあ葉山朋美は処女のどこに惹かれるのか?
 『男を知らない』という無垢性みたいなものなのか。
 『処女膜の存在』という身体的な特質なのか。
 『処女を喪失させる』というイベントなのか。
 無垢性はもちろん重要で、冒頭の小学生との一件にも表れているけれど。
 作中で「もったいないわ」との発言があることから、おそらく処女膜の存在は重要な要素の一つのはず。そもそも、デフロランティズムの根本原因、コンプレックスは無垢性ではなくて自分の処女膜なのだから。
 その割に、あまり処女膜にこだわりを持っているようには見えないんですね。

「美亜の初々しい反応に、朋美は指を突っ込みたい衝動に駆られたが、押し殺した」
 衝動とは意識の奥に眠る本心が発するものだから。処女を喪失させるという行為がしたかったのか?
 それにしても、その後の描写中では、そこにこだわりがあるようにも見えなかったし……何か他に、葉山朋美を引き付ける何かがあるのだろうか。

・朋美が処女膜を見ようとしないこと
 暗くてよく見えないから、と言ってしまえばそれまでなのだけど。身体的特徴としての処女に惹かれる以上、多分、セックスをする上でのいちばん重要なポイントになるのではないかな……と思いました。

 そして、それ以上に。処女膜の隙間を簡単に見つけられる理由もあるはずで。
 1)見てるから分かる
 2)朋美に女性同士の経験が豊富なので分かる
 のどちらかだけれど。朋美のキャラクターとして、どう考えても2)はありえない。

 それとも、描写されていないだけで、朋美は吸いながらしっかりと中の構造を見ていたのかも。とは思いました。それであれば、朋美の異常性癖とキャラクターを際立たせるために、もっと強烈にそこを描写しても良いのかも。とは思いました。

・美亜の翻意の理由は?
 ここが最重要ポイント。
 美亜が朋美に惹かれる理由は分かる。自分の血と性器の内部に触れたことは、精神的にも物理的にも自分の内側に触れたことに他ならないから。偽りの自分しか見せてこなかった美亜が、そうしてくれた人に惹かれるのはすごく分かる。
 ただし、美亜は「軽蔑します」とまで言っており、それは朋美が自分を見つめなおすために必要だった、極めて強い言葉。何がその軽蔑を翻意させるに至ったのか?
 朋美の異常性癖がコンプレックスから来ていることが分かったから……というと、納得感こそあれ、どうにもメタ的な理由としては弱い気がする。これは強い意志を持った二人の物語の、肝の部分だから。
 私だったら……もう少しシンパシーの部分に焦点を当てて強調するかな、って思ったりします。お互いの弱い部分を見つめあって、自分の弱い部分をさらけ出して。
 雨降って地固まる、ではないけれど。物理的にも精神的にも血を流すことで内面を見つめなおすことが出来た作品だし。相手の弱さを見ることで、自分の弱さが見える。相手の本質が見える。それはシンパシーであり引力。
 きっと作者様が書きたかった理由もそうなのではないかな、と考えます。
 あまり描写がしつこくなると、この絶妙なスピード感が失われるような気もするので。書き込むのが正解かは分からないけれど。

【二人のシンパシー】
 この作品では、二人が相互に影響を与えながら、変化しあい、そしてお互いの存在もまた変化していく。
 作品のキャラクターって最初から最後まで変わらないことが多いけれど、この短編の中でその変化をよく書いたと。これは作者様の力量の凄さだし、また、この作品に時間っていう軸を感じる理由でもある。

・最初は自分の性癖(とあえて書くけど)の発露or分析のキーとしての興味
 ⇒この状況では、相手の個性への興味は全く無い

・次に、「淫靡な美しさ」「自分の求めているものを持っている相手」として、一人の人間としての興味
 ⇒性欲の発露の対象としての興味。内面を見ているわけではない。ただし、自分が今まで得られなかったものを与えてくれるかもしれないという「期待」を持っている。これはすなわち、しまい込んだ自分の内面にわずかに差し込んだ光。

・美亜から朋美への、『自分の隠れた部分(=性的な部分と血液)を見せられる、見せれば相手も喜ぶ』割れ鍋に綴じ蓋的な歪んだシンパシー。
 ⇒相手の表面しか見ていないことを自覚している。ただ、他人に興味が無かった美亜が得たシンパシーとは、外界への扉に他ならない。

・お互いの内面に触れて、物凄く単純に言うと「強く見せた自分で弱さを隠す」って同じことをやっていた、という安心感。

 相手の見え方が変わる。自分の立つ場所が変わる。そうやって、一人の人間としてふたりで変わっていく過程がすごくいいなーと。
 まさに、これだよねと思う。

 「美亜が上になり――
  朋美が上になり――」

【最後に】
 取り留めが無くなってしまいましたが、R18であるからこそ描くことが出来た二人の関係性の変化。すごく繊細だし、他にこういう作品ってあまり無いよね、と思います。そもそもR18で繊細な物語ってあまり見ないし……
 野中様の作品を読むたびに思うのは、『人はひとつの事件・事象で簡単に変わってしまう』ということ。ここまで心理描写を丁寧にするから、その『ひとつの事件』のインパクトの大きさが実感できるのだと思います。
 だからこそ、最後に同僚に挨拶をするっていう美亜の変わりようもあまり違和感なく見ることが出来ます。

 一度寂びた剃刀は、もう元の切れ味に戻ることはないので。キスをした二人の間の赤い血の糸は、逆説的に永遠に残り続けるのでしょう。
 身体が先に、心が後につながる。これって意外に普遍的にある事象だと思うのですが、それをここまで繊細に描いた作品は他に無いと思います。
 とても美しい作品でした。

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