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弦楽器はからだにわるい?

母は趣味でチェロを弾く。
7年前に還暦を迎えた彼女の、唯一の生きがいである。
ある日とつぜん肩が上がらなくなった。
「もう弾けないかもしれない」
すこし震える声で、冗談めかして言った。
私はそのとき、はじめて弾けなくなる恐怖を知った。

顎関節症・椎間板ヘルニア・ドケルバン病・腱板断裂・局所性ジストニア……
これを見て、あなたは何を思い浮かべるだろうか。
高齢者に多い疾患?はたまたスポーツ選手の?
実は、すべて弦楽器奏者に多い障害のなまえだ。

荻島秀男『弦楽器奏者の痛みと対策』には、腕や肘に痛みを経験したことがあると答えたプロの演奏家は8割近く、という統計結果が示されている。
演奏機会の少ないアマチュア奏者にも似たようなことがいえるだろう。
私はこれまで、痛みの経験がないアマチュア奏者に出会ったことがない(そして彼らは、プロと違ってほとんどケアをしていない)。
この記事では、特にアマチュア奏者にむけた腕・肩のケアについて書いていく。

からだにわるい?弦楽器

弦楽器演奏のフォームは、からだにとって不自然だ。たとえばチェロ。
「座って自然な姿勢で弾くため、大人になってから始めても演奏しやすく続けやすい」
といった宣伝文句をよく耳にする。
しかしチェロやコントラバスは楽器を構えて座ったときに骨盤がかたむく。
かたむきを調整するために背骨が曲がり、椎間板ヘルニアになりやすい。

楽器演奏をするためには、長年同じ姿勢を取り続ける必要がある。
さらに、繊細なうごきを長時間くりかえすため体を痛めてしまうリスクが高いのだ。

では弦楽器はからだにわるいのだろうか。
結論をいうと、「わるくしやすい」が、「わるくしにくく」することもできる。
弦楽器奏者がとくに痛めやすい腕や肩。
これは肩甲骨を使うことによって痛める確率をグンと減らすことができる。

腕のはじまりは肩甲骨

「腕」というのはどこからどこまでか。だいたいの人が、肩より先を思いうかべるのではないだろうか。
実は「腕」の範囲には鎖骨・肩甲骨も含まれている。
そして、体でもっとも大きな背中の筋肉のちからを引き出すのが、肩甲骨なのだ。
岡田慎一郎『あたりまえのカラダ(よりみちパン!セ)』によると、肩甲骨を自由に開いたり閉じたりすることができれば、背中と腕がひと続きの部位として連動するということだ。

たとえば、ボールを投げる時。
肩甲骨を意識しないと、腕の力・ひじの振りだけで投げようとする。
するとボールに十分な重さが乗らず、肩や肘を痛めるおそれもある。

連動がうまくいけば、投げる瞬間に肩甲骨がスライドし、腕がしなやかに伸びて飛距離もおおきく伸びる。
そのうえ無理な力が入らないので、肩や肘にも負担がかかりにくくなるのだ。
これは、弦楽器の場合もおなじである。

意識するだけでいい

「”チェロらしい音”を出すためには、(中略)柔軟性が大切です。何よりも肩甲骨の周りの筋肉が自由に動くこと。そうすれば右手が長く自由に使えボウイングがしなやかになりますーー」(遠藤真理『サラサーテVol.69 特集:チェロを弾くための身体の使い方』2016年4月)

肩甲骨は肋骨や背骨とつながっていない。そのため自由でたくさん動く。
肩甲骨を使うメリットは、からだに負担をかけないことだけではない。
たとえば、小柄な人でも腕を長く使うことができる。
腕の重みだけでなく、からだの重みが音に乗るため重厚な響きを出すことができる。
音色の変化にもつながるのだ。

では、肩甲骨を使うにはどうすれば良いか。
ストレッチや体操?
続けられるなら、これももちろんいい。

だが、演奏するときに肩甲骨から動かすことを意識をするだけでもいいのだ。
演奏フォームにおいて、"意識"というのはかなり大きい。
なぜなら"無意識"に繰り返す動作がクセであり、クセが積み重なり過労となるからだ。
意識しておこなった動作はだんだん定着していくし、わるいクセが続くのをふせぐことができる。

生きがいを失わないために

母は少しずつ肩が上がるようになった。完治はしていないが、チェロも再開した。
原因は石灰沈着。バイオリニストの高嶋ちさ子も治療を受けている病気だった。

わたしたちが、からだを壊すほどに楽器を続けるのはなぜか。
楽器が好きだから、どうしても弾きたいからだろう。
だからこそ無理をせず長くつきあっていって欲しい。

楽器を愛するあなたが、一年でも、一ヶ月でも長く。できれば一生、演奏を続けられるよう祈っている。

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