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【164】音楽の話:すごいものに出会ってしまった! エスタス・トンネというギタリスト パワーの奔流! Estas Tonne - Live in Ulm (2017) stream - 100 min 2023.8.17

 そのとき僕は何かをしながらユーチューブで何かの音楽を聴いていました。
その曲が終わっても手が離せずに、そのまま止めずにいたら、勝手に曲が切り替わり次の曲が流れてきた。それがこれだったのです。

音楽が流れてきて、その音のパワーに驚いて、僕は画面に目をやりました。
青い広大な空間の中央下に男が一人いて、ギターをかき鳴らしていました。
 そのギターの音が恐ろしく深かったのです。
 男だけにスポットが当たっていて、空間全体は青い薄暗い光に照らされているようでした。
しかし一瞬で目が吸い寄せられたのは、画面の中央に青い闇に沈んで、腰布一枚の裸体で手足にくぎを打たれ十字架に貼り付けられたイエス・キリストの巨大な像でした。
そしてやがてアップになった髭を生やし痩せて長髪の男の顔を見たとき思わず息を呑みました。
似ているのです。
その顔が、まるでキリストそのものであるかのように思えたのです。

半眼に目を閉じ厳しい表情で奏でるギターの音色は、深くて激しくて繊細で、ギターとは思えないような今までのギターの概念からの想像を絶するものでした。

彼は一体誰? ここはどこ?

「Estas Tonne - Live in Ulm (2017) stream - 100 min」

エスタス・トンネ? まったく聞いたこともない。

「ウルム」? 聞いたことがある。確かどこかのゴシック寺院だったはず。
とするとここは大聖堂の中なのか。

しかし、100分てどういうことだ?

コメントを見ると、曲はOuterとInnerという二つのパートに分かれており、それぞれ、約40分と1時間合わせて100分となっているのです。
バローさんのフロリアン大聖堂におけるブルックナー8番が1時間43分であり、約100分です。
なにか不思議な暗合を感じますが、あのブルックナーに匹敵する長大な時間、この男はたった一人、ギター1本で演奏し続けるというのでしょうか?

前半Outerも佳境に入ると、その超絶技巧が明らかになってきます。
ギターというより打楽器を打ち鳴らしているような、低音、中音、高音と何本ものギターが同時に複数の旋律で合奏しているかのような、激しくすさまじい音の奔流
しかしその音の奔流は決して騒々しくならず、長い残響の中で、沈黙から浮かびあがりまた沈黙に戻っていくのです。
超絶的な技巧はそれを見せつけるためのものでは決してなく、音楽を表現するための巌のような基盤として存在するのでした。
外面的ではなく、内面的で精神的な、心の中に直接響いてくるスピリチュアルな演奏

こんな人がいるのか!世界は広いと思いました。

結局聴きだしたら止まらず100分間聴き通してしまったのでした。

後で調べたことですが、
ウルムはドイツ南部の都市で、ウルム大聖堂は162mという教会堂建築としては世界一の高さを持つというゴシック様式の大寺院なのでした。

そして エスタス・トンネさんについては、下のような記事がありました。

この記事によれば、トンネさんは、1975年にソ連に占領されていたころのウクライナに生まれています。子供の頃6年間クラシックギターを習っていますが、ウクライナの人たちはロシアやドイツに迫害を受けて厳しい生活を余儀なくされ、1990年に15歳で家族と共にイスラエルに移住することになります。
以来11年間ギターを手にすることもなくイスラエルやヨーロッパなどを転々とし、ドラッグに染まり、喧嘩を繰り返し、ギャングなどと共に暮らすというすさんだ生活を続けていたそうです。
転機は2001年にアメリカに渡ったことでした。
再びギターを手にしストリートミュージシャンとして演奏活動を始めたのです。
けれど、彼はそんな中で孤独と絶望を感じる瞬間があり、空虚さを埋めるために麻薬に頼ることを止められなかったと述懐しています。

そんなある日、いつもの麻薬ディーラーの所に行ったとき、そのチュニジアから来たアラブ人の売人から「もう君には麻薬は売らない」と告げられるのです。

彼は

“俺はトンネがヴェニスビーチで毎日演奏するのを見てきた”
“そして、君は演奏を続けなければいけない、と感じた。“
“だから、もう君には一切麻薬は売らない"

といったのです。

すごいエピソードです。
このような遍歴の中から生まれてきた音楽が深い精神性を帯びるのはむしろ当然なのかもしれません。
彼のギターの音からは、まさに孤独と絶望、そしてそれを打ち破る力:パワーを感じます。

凄い人、凄い音楽に出会ってしまったものだと思います。<完>

*ところで、この100分に及ぶ演奏を彼は何も見ずにほぼ目を閉じて弾ききっているのですが、これは全編即興なのでしょうか?それとも音楽はすべて彼の頭の中に入っていて何度でも繰り返して演奏できるのでしょうか?
誰か知っている方がいらっしゃったら教えてください。

*補足
 ちょっと余談に流れますが、ウルムの十字架上のキリスト像の頭の上には「INRI」と書かれた札があります。
 調べると、これはイエスが十字架に付けられた時にローマの提督ピラトがイエスの罪状を示すために十字架に掲げさせた札であり、INRIとはラテン語の「Iesus Nazarenus Rex Indaeorum」を略したもので『ユダヤ人の王、ナザレのイエス』という意味なのだそうです。

それではユダヤの王であることが何故罪になるのでしょうか?

疑問になって、いくつか資料を当たりましたがどうもはっきりしませんでした。
聖書によれば、その時、従来の秩序を破壊しようとするイエスを憎むユダヤの祭司長たちはピラトから「この男はユダヤの王なのか?」と聞かれたとき「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません。」と答え、「王を自称するものはローマ皇帝に反逆するものだ、だから殺せ。」というローマ提督が見逃せないような論理で有罪を主張をしたようで、要するにローマに対する反逆罪を問われたようなのですが、この時祭司長側が「ユダヤの王を自称するもの」と書かせたかったのをピラトが頑として譲らず「ユダヤの王」としたというような話を読むと、祭司長側の思惑、ピラトの思惑、一切弁明をせず刑を自ら望むかのようなイエスの行動の謎などがからまり、このイエスの処刑とはなんだったのか、どうにも混沌としてきてしまいます。
 さらにここにイエスは真の神の子で全人類の罪を引き受けたのだというような宗教的主張が入ってくると、ほんとうにややこしくなってきます。
 昔新約聖書を読んでみたとき、結局はキリストではなく弟子たちが書いたものであり、イエス本人が何を思って行動しているのが伝わってこず、疑問ばかりでもどかしい思いをしたことを思い出しました。
イエスがもっと世渡り上手だったら、もしくはもっと優秀な参謀が付いていたなら、世界史はどう変わったかと空想してしまうのは私だけでしょうか。


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