見出し画像

【103】音楽の話:ベートベンの交響曲第7番、1975年にウィーンフィルと共に来日したカール・ベームの圧倒的名演について 2023.1.21

1:カールベームのベートベンの交響曲第7番
 カール・ベームという指揮者は一般的な知名度はカラヤンやフルトヴェングラーに比べると低く、今はもう歴史の中に忘れ去られようとしているように見えます。けれどベームはすごい実力を持った指揮者であったと、クラシック音楽にくわしい人たちは口をそろえて高い評価を与えているのです。
その理由は何か?下に紹介する演奏を、とにかく何の先入観もなく聴いてみてください。

 世界最高と言われるウィーンフィルの実力を一杯に発揮させて、ベートベンの第7交響曲の素晴らしさを遺憾なく引き出した、なんて輝かしい堂々たる演奏なのでしょう。
 この名曲には数多の指揮者とオーケストラによる数々の忘れ得ぬ名演があります。
  けれど、もしも仮に誰か絶対者から、「この曲の演奏を一つだけ残し、他はすべて世界から消さなければならない。」として、その選択を私にしろと言われたとしたら、私はこのカール・ベーム:ウィーンフィルのライブ演奏を選ぶかもしれません。
 実をいうと、私がこの頃一番よく繰り返し聴いているクラシック音楽は1943年にフルトヴェングラーが指揮したベートベンの7番の演奏で、今回はそれについて書こうと思っていたのです。
 それを書くにあたって他の指揮者の演奏も確認しておかなければと思い、そういえばベームのウィーンフィルとの来日演奏が素晴らしかったことを思い出して探し出したのがこの演奏なのでした。
 一聴して記憶をはるかに上回る素晴らしさに打たれて急遽こちらを先に取り上げる気になってしまったのです。(フルトヴェングラー盤についてはまた別稿で書くと思います)

2:カール・ベームのこと
 ベームは1894年㋇28日に生まれ1981年㋇14日に86歳で亡くなっています。フルトヴェングラーが1886.1.25~1954.11.30ですからベームは8歳年下ということになります。
とすると、この演奏会の時はすでに80歳になっていたのですね。全く歳を感じさせない生気に溢れた演奏であることに驚きます。
 ベームについて調べてみると面白いことが分かりました。彼はもともと音楽を専門に学んだ人ではなく、音楽一家に生まれたわけでもなく、弁護士である父親の意向によってグラーツ大学で法律を学び、法学博士の学位を得ているのでした。しかし父親がグラーツ市立歌劇場の法律顧問をやっていたことで音楽界に知り合いが多く、父親の知人の紹介でブラームスの親友だった方から個人教授で音楽を学び、23歳の時に指揮者デビューをしたという経歴を持っていたのです。
 ベームが音楽家というより無愛想な大学教授といった風貌なのがなにか納得できるお話です。

 私がベームを知ったのはクラシックに親しみ始めた高校生のころでした。レコード店を漁っていてモーツァルトの交響曲40番が1曲だけ入った17cmLPを見つけて買ったのが最初でした。今も持っているので棚から探し出して写真を撮ってみました。

 当時モーツァルトの40番など聴いたこともなくベームのことも何にも知らなかった私がなぜこのレコードを選んだのか今となっては謎の一言なのですが、一番の理由が17㎝盤で安かったからだったことなのは確かです。 
 この演奏はベームがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を振っている珍しいものでユーチューブでは見つからず、今はプレーヤーがないので確認できなかったのですが、とても良い演奏だったと記憶しています。コンセルトヘボウも後々分かったことですが端倪すべからざる実力を持ったオーケストラであり、よくぞこれを買ったものだと当時の私の選択に感心してしまいます。

3 カールベームの1975年の伝説の日本公演
 そしてベームの本当の力を日本中が知ったのが、この1975年にウィーンフィルと共に来日した時でした。
 この時のベームの演奏は伝説の日本公演として語り草となっているもので、プログラムは、3月16日が初日で冒頭に君が代(【100】で紹介したもの)を演奏し、そのあとベートーベンの4番と7番の交響曲、続く17日にレオノーレ3番、火の鳥、ブラームスの第1交響曲、19日にシューベルトの未完成とザ・グレートを演奏しています。これらの演奏はNHKで放映され、私はこれらを正座して聴き、なんて豊饒な音楽なんだろう。これが本場ウィーンフィルの、ベートーベンでありブラームス、シューベルトの音楽なんだとその素晴らしい演奏に心から感動したのでした。
 今回はベート-ベンの7番について書いていますが、この時のブラームスもシューベルトもどれも圧倒的名演で、クラシックファンなら必見です。
 誰の演奏がいいとかの議論はこれを聴いてからにして欲しいとさえ思います。
 今日は結局一日パソコンの前で次から次とクラシックに浸りきって過ごしてしまいましたが、あの時のベームの演奏にこうしてユーチューブで再会できるなんて想像もできなかった幸せを感じます。

4 カール・ベームのすごさとは?
 ベームは指揮者としての後半生は特定のオーケストラの常任指揮者としての座には着かず、フリーな立場で客演や録音活動を行いましたが、ヨーロッパの楽壇からはその実力は高く評価され、敬愛され、ベームが亡くなったときは、カラヤン、アバード、ポリーニ、クライバー、ヨッフム、ショルティ等の名だたる音楽家が追悼演奏会を開き彼の死を悼んだのでした。中でもベルリンフィルがベームの指揮するはずだった演奏会を代行を立てず指揮者なしで行ったというエピソードは胸を打ちます。
 さてベームの演奏は どこがそんなにすごいのでしょう?
 そしてそれほどすごいのにどうして今急速に忘れ去られようとしているのでしょう?

 私は、それはベームの演奏スタイルにあると思うのです。例えば運命を演奏した場合、他の指揮者の場合は、カラヤンの運命でありバーンスタイン、アバードのフルトヴェングラーの、トスカニーニの運命と言われるのです。
 しかしベームの場合だけは、その音楽は正しくベートーベンの運命でありウィーンフィルの音と感じられ、その音楽には“ベームの”という固有名詞が付くことがないのです。
 ベームの演奏に特徴がないのではありません。指揮者は背後に隠れ、音楽自体の素晴らしさとオーケストラの力を最大限に発揮させる、それこそがベームの特徴でありすごさであって、ベームの音楽はその曲の規範足り得るものなのです。それが私が残すならベームと思う理由なのです。
 そして、ベームの生み出す音楽が圧倒的に素晴らしいのに忘れ去られていくのは、ベームが指揮をしているという印象が後に残らないという無名性が理由なのではないかと思うのです。

 けれどベームの演奏は忘れ去るのは余りにも惜しい、いつまでも語り継がねばならないものだと今回改めておもいました。
 共感される方がいらっしゃいましたら拡散をお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?