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【76】佐藤さとるさん 「名なしの童子の話」 2022.9.30

 前回、「誰も知らない小さな国」の作者の佐藤さとるさんの「コロボックルに出会うまで」という「誰も知らない・・・」が生まれるまでの自伝的小説を図書館で見つけて読んで、それがとても面白くて、「誰も知らない・・・」をもう一度読み直してみようと思ったということを書きました。
 それで、次に図書館へ行った時に「誰も知らない・・・」が収録されている佐藤さとる全集の第8巻を児童書コーナーで借りてきたのです。
 読み直してみて、やはり「誰も知らない・・・」はゾクゾクするほど面白かったのでした。
サン・テグジュペリの「星の王子様」は、「昔こどもだった大人に」と書いています。
佐藤さんも童話、児童文学であっても子供向けに書くことはしない、子供も読めるようにしているだけだと言っています。
「誰も知らない・・・」は大人が読んでも絶対面白い物語だと思います。

ところで、借りてきた「佐藤さとる全集の第8巻」には他に3つの短編が収められていたのですが、その中に「名なしの童子の話」という不思議な話がありました。

主人公の太郎という若者は何かしようとすると頭の中に白い霞のようなものがかかってきて集中して物を考えることができなくなり何もしたくなってしまうという困った問題を抱えていたのです。
ある夜、太郎は夢の中で、それがいったい何なんなのだろうと必死で考えていると、頭の中のかすみがかたまってくるのが見えて、それが頭から飛び出ると、その中から白い馬を引いた小さな中国風の童子が現れ、自分はあなたの心の奥から使わされた使者だと名乗る。その馬には白く長いすそをひいた美しい女のひとが乗っていて、このひとはだれなんだと聞いても待っていなさいといっただけでそのまま窓の外に消えていってしまうのでした。

その後太郎は山奥の発電所の工事現場を希望して働くことになるのですが、ある雨の日に買い物を頼まれてジープで出かけたときに、雲が厚く薄暗かったので点けていたライトの中に小さな少年が引いた白い馬に白いレインコートを着た少女のような女の人が乗っているのをみるのです。

太郎はぎゅっとブレーキを踏んだ。これは前に見た図ではないか!
その人は分教場に新しく来た先生で、少年にちょうどいいや、先生を分教場にとどけてくれないかと頼まれるのです。
そして馬からすべりおりたその女の人と挨拶をかわしたとき、
 太郎の心のおくに、長いことしまいこまれていたのは、まさしくこの人にちがいなかった。それが太郎には、いたいほどわかっていた。
さっさと行こうとする少年に向かって、太郎は心の中で
―名無しの童子、わすれずに、この人をよくつれてきてくれたなあ。 とよびかけるのです。
 *********
 なんとも不思議な、聊斎志異にでも出てきそうな奇譚なのですが、僕はこれを読んだとき、エッこれって、とドキッとしたのでした。

というのは、前回読んだ「コロボックルに出会うまで」の中に、こんなことが書かれていたのです。
 佐藤さんは建築士になる勉強をしたいと市役所に入ったのですが、やらされたのは新聞作りとかガリ版擦りなどばかりで不満が溜まっていて、ある日些細なトラブルがあった際に上司と喧嘩して止めますといってしまうのです。
 すると、それなら横浜戸塚区の端の農村地帯に横浜で一番小さい中学校があり、数学と理科の教師をよこしてくれていわれているのだが、やってみないかと言われ、一番小さいというのがなんとなく気に入って行くことにしたのでした。
 すこしずつ慣れてきて迎えた新学期に国語の先生が欠員を埋めるためにやって来たのです。
 前もって副校長先生から「新学期から来る新任の国語の先生は、ちょっとびっくりするような、理知的な美人ですよ。それでJ女専の国文科を首席で出ています」なんて話があり、なんでそんな才色兼備の女性が、こんな辺鄙な、ちっぽけな学校に来るんだろうと、やや納得がいかなかったが、「最初はことわってきたのをお宅までうかがって説得して、きてくれることになったんですよ」
 そして、四月の始業式当日、その横山愛という女教師に会った佐藤さんは、そうか、このひとなんだ、と悟った。この人が自分の伴侶になる人だと、一瞬で理解した。そしてなぜか、相手もまったく同じことを考えている、というのが同時にわかった。独り合点ではない、うまく説明がつかないのだが、波動のようなものだった。とにかくそれが起こった。この人は初めて会う職員を気真面目に一人ずつ見て行き、佐藤さんにだけ、こくんと一つうなづいた。それだけでよかった。何年か先に伴侶となることは決まっていて、それを確認したりする必要はなかった。

これを読んだときは、そんなことがあるのかなあと思ったのですが、名無しの童子を読んだとき、そういうことだったんだと理解されたのでした。
 佐藤さんがその小学校の先生になったことは全くの偶然、横山先生がそこに来たことも全くの偶然、でも、「盲亀の浮木、優曇華の花」、お二人にとっては約束された必然だったのですね。長い間心の中にしまわれていた憧れのようなものに佐藤さんは出会った、そんなことが起こるのですね。

両方読み合わせてみると、面白いと思います。

それにしても、ご自分の奥様のことを「才色兼備の女性」とさらっと言ってしまえるなんて、佐藤さんはなんて幸せな方なのでしょうか。


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