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【183】フルトヴェングラーのブルックナー8番が初めて心に響いた:この演奏はこんなにも凄い演奏だったのか 2024.1.18 

 夜、これから本を読もうとしたときに、何かBGMが欲しいと思い。なんとなくフルトヴェングラー1949年3月15日ベルリンフィルのブルックナー8番を選んで夜中だからヘッドホンにして、読書の邪魔にならないように音量を絞ってかけておいた。

 この演奏は過去に何度も聴きかけたことがある。けれど良いと思ったことは一度もなかった。

 いくらフルトヴェングラーだからと言って、ブルックナーの音楽でこんなにテンポを動かしていいという法は無い。
 特に第4楽章のコーダ、なんでこんなに急がねばならないんだ、これはあんまりだ、ひどすぎる。

 違和感と拒否感と苛立ちが先に立ってまともに音楽が耳に入ってこなかったのだった。

 今夜も小さく聞こえてくる第二楽章あたりでは相変わらずとんでもない速さでよくやってるなあという感じだったのだ。

 第三楽章の途中くらいからだろうか音楽が胸に迫りだしてきたのは。

 気付くと本を傍らにおき、音量を上げ、正座して目をつぶって聴き始めていた。
 目頭が熱くなり、とうとう第四楽章の途中で涙が溢れた。

 フルトヴェングラーの音楽ってなんでこんなに人の心をゆさぶるのだろう。なんでこんなに真実の音を響かせるのだろう。
 好き放題に動かすテンポ、急激なアッチェレランドもすべてが唯一無二のそれしかない心の表白に変わっていた。

 この演奏がブルックナーの音楽の規範になるものだとは言わない、しかしそれを言ったらフルトヴェングラーのベートーベンだってそれが正統とはいえないのじゃないか。
 フルトヴェングラーはいつだってフルトヴェングラーの音楽を、フルトヴェングラーの世界を創り出してきたのだ。

 今夜は、フルトヴェングラーという稀有の存在が居てくれたことの有難さを改めて心に刻んだ一夜となった。
 
*ちょっと後で読んだら恥ずかしいだろう文になってしまいました。
 一夜明けて聴き直したら感想はガラッと変わってしまうかもしれません。
 でもそれでもいいのでしょう。今夜この演奏に心奪われた事実は変わらないのですから。 <終>


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