暮らしと学問 7 エアコン掃除をしながら考えたこと

(はじめに)先日職場で家庭用のエアコンを清掃しました。エアコン清掃なんて業者に依頼するものと考えていましたが、自分でもできることに驚きました。私たちが「普通だよ」と思っていることって実は、自分だけがそう思っているのかも知れません。

エアコンって、自分たちで掃除できるものなんですか?


 先日、出勤すると、「ウジケさん、今月の前半でエアコンの清掃してしまうから!」という指示が上司からありまして、ちょっと驚いてしまいました。筆者は、家庭用であれエアコンとは、電気屋さんとか清掃業者に依頼して清掃してもらうものだと理解していたからです。

 「エアコンって、自分たちで掃除できるものなんですか?」
 「やったことないの? じゃあ、いっしょにやってみよう!」

 ということで、簡単なそれです。電源コードを抜き、パネルとフィルターを外し、水漏れに備えた養生をします。部屋やエアコンの基盤部分を濡らしたり汚したりしないためにです。
 まず、パネルとフィルターを洗浄してから、手押しポンプ式の簡易な高圧洗浄機を使って、冷却フィンの表面を専用の薬剤で洗い、次にもう一度水洗いしてみました。洗浄中は室外機から出ている「ドレン」ホースから汚れた水を掃除機を使って吸引してみました。あとは、乾燥させて、パネルを組み立て、試運転してみるという手順です。4時間ほど乾燥させて水漏れがないかを確認してからスイッチオン!

 「おお~。きれいに動いているじゃないの」

 などと唸ってしまいました。
※言うまでもありませんが、このやり方が間違いのない正しい方法であることを保証するものではありませんので(だいたいは大丈夫ですが)、「あなたのいうやり方でエアコンが壊れてしまったじゃないか!」みたいなクレームは受け付けませんので、自己責任でお願いします。筆者は自己責任という言葉は嫌いですけどね。

**認識を改めていくこと

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 1日ですべてのエアコンを清掃できませんし、業務用は業者に依頼しています。連日、出勤しては1台、2台、清掃しています。しかし、エアコンを自ら清掃できるなんて、筆者としては、実に大発見であり、自らの経験やものの見方といったものがいかに矮小なものであったのか、あるいは、「井の中の蛙大海を知らず」であったのかと認識の更新を迫られるいい機会になりました。
 室外機から出ているホースは「ドレン」と呼ぶそうですね。正式な名称を初めて知りました。エアコンの洗浄剤は、スプレー式のものもあるそうで、これからから定期的なそれは、自分でやってみようと考えています。

 さて、エアコン掃除をしながら考えたことです。
 「井の中の蛙大海を知らず」という言葉が象徴的です。筆者はエアコンの掃除なんて業者がやるのが「常識」だと理解していましたが、実はこれは自分にだけしか通用しない「常識」であったということです。

 筆者にとってのエアコンは、エアコン以外にも実はたくさんあるのではないでしょうか?

 暮らしのなかでの些細なことに注目すること、そしてそのことで、自分自身が「常識」と理解していることが「非常識」としてひっくり返される経験に対して「柔軟」であっていかなければならないと気付きました。

暮らしから世界へ

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 エアコン掃除など他愛もないことがらかも知れません。しかし、筆者がここを大切にしたいと考えるのは、暮らしのなかで「気付き」を得て、認識を改めていくという流儀を身につけることこそ、何かを改めていくことの全ての出発点になるのではないかということです。

 たとえば個人の生活から私たちが生きている社会あるいは世界へと目を転じてみましょう。社会の現状の悪しき慣例を改め、それをより快適なものにしていくためには、同じような「気付き」が必要不可欠です。
 「そうなっているからそうだ」式の現状容認のなかには、筆者のエアコン清掃のような「常識」と思っているだけの「非常識」が少なくありません。そして、私たちが人間らしく暮らしていくことを阻んでいるのが、その常識という名の非常識に他なりません。
 この連載でも何度も取り上げましたが性別役割分業もその一つですよね。女子だから家事が出来て当たり前というのは、2000年以上昔からある伝統ではなく、極めて近代に創造された神話です。家事ができるに越したことはないのでしょうが、不得意なことで「女子力」が低いわけではありません。近年、こうした矛盾の指摘が相次いでますが、それは常識とされている事柄が実は非常識であったという「気付き」に基づくものです。

 一人ひとりの暮らしの問題も、そして、そうした人々が暮らす社会や世界の問題に関しても、実は、身の回りから「気付き」を得て、認識の更新を始めることから立ち上がるのではないでしょうか
 アリストテレスの言う「ごく身近の不思議な事柄に驚異の念をいだき」がすべての出発点であること、そしてその驚異の念に柔軟に対応していくことが大切ですね。エアコン清掃をしながら、ちょっと考えてみた次第です。

ところで、この知恵は制作的ではない。このことは、かつて最初に知恵を愛求した人々のことからみても明らかである。けだし、驚異することによって人間は、今日でもそうであるがあの最初の場合にもあのように、知恵を愛求し〔哲学し〕始めたのである。ただしその初めには、ごく身近の不思議な事柄に驚異の念をいだき、それからしだいに少しずつ進んで遙かに大きな事象についても疑念をいだくようになったのである。(出典)アリストテレス(出隆訳)『形而上学』上巻、岩波文庫、1959年、28頁。


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氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。

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暮らしと学問

もともと学者をやっていたのですが、思い切って象牙の塔を飛び出してみました。社会の中で発見したり、考えたことを綴っていきたいと思います。毎週月曜日か日曜日に更新しています。 最近気になるのは、暮らしと学問の不毛の対立です。それをどのように切り結べばよいのか--。考えてみたい...
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