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Clubhouseは一時流行か不易流行か

ここ数日でユーザーが爆増しているClubhouse。
私も数日前から参加し、探り探りだが今のところ楽しく使っている。
(熱中していてnoteの更新をまたサボってしまった。懺悔しておく)

今のところ面白そうなテーマのルームに入ってラジオのように話を聴いたり、たまにちょろっと乱入して知らない人に自己紹介をしたり、お坊さんによる瞑想ガイドでリラックスしたり、知り合いだけで集まって使い方の情報交換をするといった使い方をしている。

音声だけのSNSに、どのような可能性があるのか?
いまだブルーオーシャンであるうちに、我先にその価値を見出すべく、多くの人たちがトークルームを立ち上げ、探りながらも意見交換をしている。

私もClubhouseというSNSが、日本でどのように浸透していくのか、どのような位置付けになっていくのか気になってしょうがないので、頭の良さそうな人たちが集まるルームを訪れては、彼らの”読み”を聞いている。そしてその内容もさることながら、それこそ音声だけでハキハキと自分の意見を喋れる人たちばかりという状況に触れ、ただただ感心してしまった。

そんなClubhouseに出没するスマートな人たちの話は、概ねおもしろい。ただ、別のおもしろい状況にもたまに出くわす。それが、異質感満載の“意識高い系”の人たちのぶっ込みである。

乱入OKのルームに我先にと手をあげて、突然これまでの話の流れをぶった切り「はじめまして、私は△△(とりあえず横文字)などの仕事に携わらせていただいております、〇〇といいます。今から少しお時間をいただいて、私のビジョンをお話してもいいですか?」と、キビキビと話しはじめるのだ。

ファッ?!

となる。未来人が突然登場して、別次元に移動するドアをバーンと開け放ち、「こっちへおいでよ!」と新しい世界へ誘う感じ、とでも言うのだろうか。とにかくびっくりする。

彼らはその話を普段から何度も話しているのか、数分で自らのストーリーをがっつり語りあげる。「結論からいいますと......、なぜかというと......」と、聞き手を引きつける語り方を心得ている。そこで私は、ほえぇ、すごいなあ。でもこの人、なんで今この話してんだろ......と思いながら聴く。

恥ずかしながら、私はこういう論理的風なビジネストークができないので、どうやってこの謎話術を鍛えたのか、気になるばかりである。

そういう人たちが入り乱れて話すルームで、わからない話を理解しようとして聴くのも面白いし、勉強になる話もちょこちょこあるのだが、個人的には穏やかな雑談ルームがなんだかんだいって楽しい。

ちょうど先月、仕事でこれからの音声メディアのコンテンツの可能性についてラジオパーソナリティの方々にインタビューした時も、アナウンサーの方が「他人の雑談とか聞きたいよね。この前ファミレスにいたら、隣の席の家族の会話が天才的でさ......」と話していた。Clubhouseで私が楽しんでいるコンテンツはまさにそれだと思う。

他人の雑談をラジオのように聴けて、話したくなったら場合によってはその場で参加できる。話し手と聞き手がより近くなるところに可能性を感じた。

Clubhouseは次の週には飽きられて一時流行のSNSになるか、文化が生まれ定着して不易流行のSNSになるのか。
そういった議論もあるが、私はひとまず後者だと思う。
なぜなら人は、おしゃべりが好きだから。


「不易流行」
いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。


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