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noteでハウツーを書くのをやめて漫言放語になった理由

「もうちょっと頻繁にnoteを書こうと思って」
そんな相談を周囲にしていた2020年。

これを読んでいるみなさんの中にも、「文章を書こう!」と奮い立ち、そんな相談を周囲にした方もいるのではないでしょうか?

私の場合、こういう話をすると、大体2種類の反応が返ってきました。

パターンA「いいね。ライターならではの視点を知りたいよね」
パターンB 「いいね。普段考えていることとか、感じていることが見えてくると面白いかも」

一見「AとB、何が違うの?」 と思うかもしれません。
しかし、この2つには大きな違いがあるのです。

Aタイプの反応をしてくる人は、おそらくnoteでハウツー系の投稿を中心に読んでいる人でしょう。ビジネスに役立つTipsを得るために、Facebookで繋がっている“デキる”知人の「noteを更新しました」という投稿のリンクを踏んで、その記事だけを読むタイプです。

つまりAタイプの人は、私がライターの仕事で得たノウハウの共有を求めて、肯定してくれたのです。

一方でパターンBの人は、おそらくエッセイやコラムを良く読んでいる人でしょう。日常で感じるちょっとした物事に気づき、掘り下げて考えた文章に共感を覚え、あらゆる人間関係や仕事との向き合い方、人生に役立たせようと考えるタイプです。

つまりBタイプの人は、色々なことに興味を持ち行動している私が、どんな感覚で今の時代や身の回りを見ているかに興味を持って、肯定してくれたのです。

背中を押してくれてありがたいと思いながらも、そこで「自分はどういう文章を書いたらいいんだろう?」とますます悩むようになりました。

仕事に役立つ話をしたらいいのか。
気づきを与え、人の心を打つ話をしたらいいのか......。

ここでどちらにも決められなかったのは、
「誰かに伝えたい」「共感してもらいたい」「読む人に寄り添おう」という気持ちが一番ではなかったからだと思います。

他のnoteのクリエイターさんたちは、「これ、私が抱えている悩みだ!」とついクリックしたくなるタイトルをつけて、人々の悩みに寄り添いながら考えを整理してくれて、時には要点を3つくらいにまとめてわかりやすく伝えてくれます。良識がある知的な文章に感心してばかりです。

私もこういった記事は良く読みますし、参考にすることもあるのですが、
「こういう文章を私が書きたいか?」と自分に問うと、キッパリと「NO」という答えが返ってくるのです。

「じゃあ、私がnoteを書きたいと思っている本当の理由ってなに?」
そう自問すると、

「別に誰かに認められたいわけじゃない。伝えたいテーマもない。でも、自分の考えを曝け出して、あわよくばその反応を見たいんだ」
と返ってきました。

ここで自分には真の目的が抜けているのだと気づきます。
「人からどう見られたいのか」という欲を一旦取り除いて、「書くことで自分は何を得たいのか」を考えた結果、「なによりも、表現力を磨きたい」という答えが出てきたのです。ここで改めて整理してみましょう。

真の目的
自分らしい文章を書くための表現力を磨きたい。

目的を果たしてどうなりたいか
日常をもっと繊細に捉えて、絵画や映画のように伝えられるようになりたい。ゆくゆくはエッセイやコラムを書く人になりたい。

今ある課題
仕事で「整理して伝える」文章を書きすぎて、自分の視点や思考が薄れてきてしまった。
そもそも自分らしい文章というのが何かわからない。

なにをすべきか
自分らしい表現力を磨くために、とにかく自分に向き合いながら、書きまくって、テーマや文体を探る必要がある。いいね数は自己相対評価で見ればいい。


こういった形でまとまりました。
「noteを書く真の目的が、伝える以前のところにあった」と気づけただけで、更新のモチベーションがかなり上がりました。そして私は、noteでハウツー記事を書くのをやめて、とりあえず自分自身の棚卸しをすべく、四字熟語をテーマに、日々考えていることを漫言放語に書きまくっているのです。書くたびに発見する自分を楽しみながら。

もし、noteを書けば書くほどモヤモヤしてしまうという方は、このように一度目的を見直してみるといいかもしれません。


......というのを、他のnoteのクリエイターさんのハウツー記事を参考に書いてみた。まあまあなパラドックスである。お後がよろしいようで。

「漫言放語」
根拠の無い適当なことを言いたい放題に言うこと。


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