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諸行無常

仕事が早めに片づいたので、午後は割れた花瓶と向き合うことにした。

先週の金曜日に買ったばかりの花瓶だったが、一度も使われることなく、紙袋の中のプチプチに包まれたままバラバラになった。完全に私のせいである。作家がつくった一点ものの花瓶なので、替えはきかない。

幸いカードで購入したので、補償を受けられることになった。カード会社から「商品の状態を確認したいので、写真を送ってください」と言われたので、買ってからずっと出さずにいたプチプチの塊を紙袋から取り出す。

カチャ、カチャ

陶器同士がぶつかる音がする。
もうこのプチプチの中身は花瓶ではない。

プチプチを留めているテープを慎重に外して開封する。
思っていたよりも粉々だった。

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その惨状を目の当たりにすると、割った日の記憶が蘇ってきた。そういえば、顔には出さなかったが、あの時はかなり動揺していた。ずっと狙っていた花瓶だったからだ。

なんとか落ち着こうと心の中で諸行無常と唱え、いつかは割れる花瓶が今割れただけだと思おうとしていたっけ......


そんなことを思い出して、今日のブログのテーマが決まったわけだ。

諸行無常は仏教用語であり、この世の万物は常に変化していて、一瞬もとどまることはないという、仏教の根本的な考えを示している。

よく使われる四字熟語なので知っているつもりだったが、辞書の補説を読むとなかなか面白い。

どうやら、涅槃経に書かれている「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」という偈を、空海が日本語に置き換えて詠ったのが、かの有名な「いろは歌」だというのだ。そういえば諸行無常を詠った歌だと習った気がする。

いろは歌自体、仮名を全て使いながら意味を成立させていて、歌としても美しく、素直にすごい歌だと思う。3年に1回はそう思っている気がする。
(そしてなぜか幽遊白書の禁句ゲームを思い出す)

しかも昨年から空海にじわじわハマってきているので、そんな彼がつくったというのならさらにアツイ。ただ、疑り深いので本当かよと思ってググる。

調べた結果、いろは歌の作者は「よくわからない」ということらしい。ちなみにいつ作られたのかも、よくわからないそうだ。

よくわらんのかい。

いろは歌の出来が良いので、昔の人が空海作ということにしたらしいが、歌の作り方が空海の時代と違うため、その可能性はかなり低いらしい。

花瓶は割れたが、空海豆知識が少し増えた。

次は金継ぎできる場所を探さなきゃ。




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