披露宴の夜に。

今日は中学時代からの友人の結婚披露宴だった。銀座のイタリアンレストランを貸切にした1.5次会調の披露宴は、シンプルながらも新郎新婦の思いが詰まった素敵な式だったと思う。何より結婚した二人の幸せそうな笑顔が忘れられない夜になった。本当におめでとう。結婚式のように無条件に参加者全員が幸せな場は、大学を出て社会人となってからはそう多くはないからか、僕個人としてはそれの良し悪し云々に関わらず大好きな時間でもある。

さて、ここにきて自分自身のことを思い返せば、もうヨメ様と結婚して5年目になるだろうか。同棲して、結婚して、今年の秋には二人目となるムスメが生まれ、気がつけばずいぶんと時間が経ったなと思う。年もとった。そして、周りの友人らに比べて一歩早く人生が進んでいるせいか、最近では人生相談のような話で盛り上がることもしばしばあるようになってきた。小さな頃から人から相談なんかこれっぽっちもされない人間だったので、こんな意外な展開にはとても新鮮な感覚を覚えるところである。

相談の内容としては大きく二種類。結婚をすることについてとその後の結婚生活についてだ。あと数年もすれば今度はそこに子育てについても入ってくるのだろう。誰しもが自分の決定や歩む道の行く先に不安を感じている。僕たちの親世代とは違い、何をもって幸せなのかが不確かになった今では無思考に未来を信じて進むことは難しく、自分の中のどこかに幸せへの拠り所が必要なのかもしれない。

かく言う自分はどうなのだろうか。恥ずかしながら人様に自慢するほど幸せでもなければ裕福でもないだろう。当時結婚を決めてからいざ式をあげるまで、本当に幸せになれるのだろうかと心のどこかでは疑問に思っていたし、今でもヨメ様を見ながらこの人は今幸せなのだろうかなと心配になることがある。ただ相談や愚痴を聞いてきた友人らと少し違うのは、幸せになろうと頑張るというか、もがくことを止めないことなのかなと思っている。

「幸せ」という物はとても水面に漂うようにとても流動的なものだとおもう。水面のゆらぎに呼吸を合わせさっと掬わないといけないし、掬い上げた瞬間に指の合間から流れ落ちていってしまう。掴みとることも、その場に留めておくこともできないものなのではないだろうか。そう思うからこそ、僕は幸せになるために、幸せな生活を送るために毎日を頑張るしもがき続けているのだろうかなと思っている。

先週、夫の仕事の都合で遠方に立つ友人と飲んだ時にした話を最後に書きたい。多くの人は結婚をすると、仕事(パブリック)と家庭(プライベート)の2つの世界に別れると思っているけども実はそれは違う。実際には仕事と家庭と個人の3つの世界に別れる。黙っていても家庭が円満に回るのかと思うとそれは違っていて、パブリックな世界と同じように家庭も自ら正しく回るように運営していかなければならない。結婚をすればおのずと幸せな家庭になるのではなく、自分たちの手で毎日の生活を営んでいかなければならないのだ。

そう思うと、他人と生きるというのはなんと面倒なことなのかと辟易してしまうが、苦労が多いぶん幸せを感じることもそれなりにあるわけで、立ち止まって幸せについてアレコレ考えることも大切ではあるけども、一つ一つ毎日を丁寧に暮らすことが重要なのかなと最近は思うようになってきたのです。

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竹内 裕和

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