本当のダイバーシティが初めて分かったような気がした話


”ダイバーシティ”とよく言われるけれど、僕は今までちゃんと実感できたことがあまりなかったように思う。ちなみに、定義はこんなかんじらしい。

それぞれの個が持つ多様な価値観を尊重し、組織が一体となれるようにお互いを認め合い、受け入れること

うーん

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でも最近、ダイバーシティをちゃんと実感できたことがあった。しかも、そのダイバーシティによってすごくいい結果になったことがあった。

それは、あるプロジェクト(東日本大震災の被災地の地方創生プランを考えるもの)で組んでいたチームの中に、初めて会うようなタイプの人がいたときのこと。僕とタイプのすごく異なる、いわゆる右脳系?ゴリゴリのクリエイティブ人材な人だ。

彼はふと変なことを言う。大きな壁を見て「あそこに進撃の巨人の絵を描きたいよね」とか、「満員電車って地球から見ても痛いしイヤだよね(おそらく重力的に?)」とか。僕にとっては変で、「ん?」と聞きなおしたりするわけなのだが、本人はいたって真面目に言っている。プロジェクトのプランを考えないといけないのに、僕にとっては"非ロジカル"に聞こえたり、"経済的でなく"聞こえたりするアイデアばかりだった。

でも、なんだか心が動くアイデアだなぁと感じた。チームメンバーのおかげもあって、僕たちのチームは彼のアイデアを認めて、良さを伸ばそうとした。彼のアイデアをどうしたら実現可能にできるか、そこに注力して半年間ひたすら協力し合った。

すると結果的に、そのアイデアを用いたプランが、コンテストのようなもので優勝した。40チームくらいの中での1位。僕は人生で初めてトロフィーをもらった。

彼を含めたこのチームでプランを作った半年間の経験が、自分にとって”ダイバーシティとは何か”、”ダイバーシティによって得られるメリット”を実感できた初めての経験だったように思える。

~~閑話休題~~

一方で最近、"カルチャーフィット"という言葉をベンチャー界隈でよく聞く。自分達の思想に合っているか、主に採用基準の1つとしてよく用いられている。

ここからは個人の感想だが、”カルチャーフィット”は"ダイバーシティー"の概念とは相反するように思える。そして、僕はカルチャーフィットした人を採用しようとする会社はどうも苦手だ。

カルチャーフィットを”組織的思想の方向性があっている”という意味で使っているのであればいいが、大抵の場合、それは"ノリが合うか"ぐらいの意味で使われている事が多いように感じるからだ。

そうすると、いざノリが合わなかった時には、それこそ軽いノリで「あいつ、カルチャーフィットしなくなったよな」なんて言われてしまう。

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話が脱線した。

僕は普段、会社の中でたくさんの外国人と一緒に働いている。一日中英語ばかり話す日もある。飲み会も英語が多い。たまに中国語でも会話をする。

ただ、そんな環境にいてもダイバーシティを実感出来ているわけではなかった。いくら様々な国の人が集まっていても、社内だと結局考え方が似ている。同じ1つの会社の中だと、仕事へのプロセスや判断軸はどうしても似てしまうのかもしれない。ちょっとだけ文化が異なり、ちょっとだけ議論の仕方が異なる人と働いているような感覚が近い気がする。そしてその中だと、結果としてダイバーシティの恩恵を受けれるかというと、そうではない。

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結論、ダイバーシティとは、日本人だろうが外国人だろうが関係なく、”自分と全く異なる脳みそを持った人”と一緒にプロジェクトを回して、そこから自分では到底考えもしないアイデアを得れた事で実感できる"経験知"のようなものなのかと思った。

そして、僕がこんなダイバーシティをこれからも得るためには、自分と全く異なる人を意識して探したり、近くにいてもらったりすることが必要なのだと思った。

僕はカルチャーフィットを重んじる組織ではなく、ダイバーシティを重んじる組織の中でこれからも仕事をしていきたい。

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ダイバーシティーとは何か?を対談形式で語ってみてます。もし良ければこちらもどうぞ。


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