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ギュッと力んで頑張ってても、それに自分で気づいていたらきっと大丈夫。

「考えること」
「学ぶこと」
「頑張ること」

これまで
「そうしなければ」と
頑なに思ってきたことが
ナチュラルに
素で
できなくなってきました。

今日のワークショップの最中に
あらためて
それを実感しました。

「ハーブの成分を
 説明したほうがいいかもしれない」

「理論立てて科学的なアプローチからも
 伝えたほうがわかりやすいかもしれない」

そう訴えてくる自分がいる一方で

「ごめんなさい。
 テレパシーでなんとなく受け取ってください」

的な感覚で
それこそ波動で
言わんとしていることが
伝わったらいいなと
感じている自分がいたりしたのです。

それで結局
以前の私だったら
もっと説明していただろうこともやめて
シンプルに
「今伝えたい」と感じることだけを
肌感覚でお伝えして
一緒に考えて。

結果
私としてはとても力が抜けて
心地よいワークショップとなりました。

すべては〝不足感〟から来ていたこと


「考えること」

これ、大好きでした。

スケジュール帳もいつもいっぱい。
メモのスペースも
アイデアや覚え書きや
計画なんかでいっぱい。
いっぱいだとホッとしていたような気がします。

「私はよくやっている」
「自分は価値ある人間」

そんな安心感があったのかもしれません。

「学ぶこと」

これも好きだったし

価値ある自分になるためには
もっと学ばないといけなかった。

知らないことがあってはいけない。
知らないことを
少しでも減らさなければ。

どこかでそう思っていた節もあります。

「頑張ること」

当たり前だと思っていました。

みんなみんな頑張っている。
だから私も頑張らないと。

頑張っている人は素敵。
頑張っている人は偉い。
誰かのために頑張ることは尊い。

自分もそんな人になるんだ。
みんなから愛されるために。

追い求めてもゴールには永遠にたどり着けない


でもある時
こうしたこと全部が
終わりのない底なし沼だってことに
どこかで気づいてしまったんですよね。

そして

「あぁ、これって自分を追い込み続けるだけだ」
「何をやっているんだろう」

そう感じてしまってからは

まずは頭での理解レベルで

「考えない」
「学ばない」
「頑張らない」

を癖づけていくようにしました。

ついつい考えてしまっている自分に気づいたら

「考えても仕方ないんだからや〜めた」

学んで新しい知識を吸収しなければ!と
力が入っている自分に気づいたら

「必要な知識や経験は
必要な時に
必要なだけやってくるんだから
流れに任せておこう」

ついつい頑張ってしまう自分を見つけたら

「頑張りたかったら頑張ったらいいけど
やめてもいいんだよ」

そんなふうに自分の前に選択肢を置いて。

癖づけを続けていたら本当に
素で(二度目。笑)
考えられなくて
学べなくて
頑張れない自分になっていて
素で(三度目。笑)
驚いています。

同時に
すごく心地よい
ってことにも気づいてしまった。

この感覚はなんでしょうかね。

体のなかが空洞な感じ。
隙間がいっぱいあって
風通しがいい感じ。
軽くてちょっぴりあたたかで。

陽気のせいもあるのかな。
うん。陽気のせいかも。

こんなたわいもない話を
ずっとしていたいな。
編み物でもしながら。

頑張れない人になったのに
頑張ってセーター編んでます。
頑張って今月は
セーター編んで
確定申告して
スパイス商品仕込んで
オンライン教室の準備を仕上げるという
計画も立てています。
もう半月過ぎちゃったのに
1つもクリアしていません。
うん。なるようになる。




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