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心の声を無視し続けると〝好き〟がわからなくなる


目、というのはおもしろい器官です。
見ているようでいて、あまり見ていない。

自分に必要な情報だけを取り入れて、要らないと思っているものは見ていないんですよね、目って。
脳が情報を正確に取り込んでいない、というほうが正しいかな?

だから同じ景色を見ても、見方によって、見る人によって認識するものが全然違います。

「何度も見たことがあるはずの、あの景色を絵に描いてみて」と言っても、細かいところまで正確に思い出すことって、なかなかできませんよね。

また、

「いまのあれ、見た?」
「え? 見えなかった。なにがあったの?」

なんていう会話も、よくあることではないかと思います。どうでしょう?

これと同じように心にも目があって、自分が見たいものは、しっかりばっちり鮮明に見ます。

でも、見たくないものは見ない。

体の目の場合、見たくないものを見なかったとしてもそれほど不都合はありませんが、この、心の目が〝見たくないものは見ない〟をしてしまうと不都合が起きてしまいます。すごく大きな不都合が。

〝見ない〟という選択が向かう先は〝やりたいことがわからない〟


どんな不都合かというと、たとえば。

夜、深く眠れない
日中でも眠くて眠くて仕方ない
呼吸が浅い
手足がすごく冷える
胃の調子が悪くなる
よくないことばかり考えてしまう
気力がわかない
やりたいことがわからない
幸せを感じられない

こうなると、とってもつらいですよね。

これらの症状のおもな原因は、医学的に見れば、自律神経のバランスの崩れです。

交感神経と副交感神経がバランスよく働くことで、わたしたちの体は快適な状態を保っているのですが、このバランスが崩れて片方が優位になりすぎると不具合が起きてしまうのですね。

外側からの何かが原因でバランスを崩してしまうことももちろんあります。

でも、心の目が、大切なことから目を背けていることが原因になっているケースも実はとっても多いんです。

心の声と思考の声。どちらを選ぶ?


セッションを受けにきてくださる方のなかに、結構な割合で無気力感を訴える方がいらっしゃいます。

仕事もまぁこなせるし、日常生活も送ることはできているけれど、ただ時間が過ぎていくだけで満足感も感じられないし、ましてや「何かをやりたい!」なんていう気力はまったく起きない。

「何かが噛み合っていない」「自分は何をしているんだろう」「何をすればいいんだろう」と、薄霧のなかを歩いているような感覚なのだと。

そうした状態でも、がんばって笑顔をつくりながらご自身の状況を説明してくださる様子に、いつも胸が熱くなってしまいます。

結論を言うと、やる気がなくなって無気力感にさいなまれてしまうのは、多くの場合、

自分の心の声を無視し続けている
自分の心に我慢をさせ続けている

そんな時です。

ある方は、心から満足できない仕事を「何か違う」と感じながら続けていることが、大きな要因でした。

心は、

「ここは違う。自分の居場所じゃない」
「もっと違うことがしたい」

と、ずっと訴え続けているのに、思考がその声をかき消すのです。

「せっかく勤めているんだから」
「この仕事は、私が〝やりたいこと〟ではないけれど、〝できること〟だから」
「一度勤めたのだから、勤め上げなければ」
「辞めてしまったら経済的に食べていけないよ?」
「やりたいと思っていることがあるけれど、わたしにはできっこないから」「辞めたら親が悲しむから」

無限に出てくる「〜すべき」「〜ねば」「〜だから」は、もっともらしく感じてしまうんですよね。
だから、心の声よりも思考が言ってくる方を選んでしまう。

またある方は、いま住んでいる家が義母・義父と同居でとても居心地が悪く、「本当は違うところに住みたい」、そうでなければ「いまの家をもっと快適になるように改善したい」という心の声を我慢させ続けてきたことが原因でした。

「自分たちの家でもないからお金をかけてリフォームしても無駄」
「そもそも同居だから、自分好みの大きなリフォームはできないんじゃないか」
「違うところに引っ越すのはいろいろとややこしくて大変だよ?!」
「義母・義父が何と言うか」
「同居なのだから、自分の好きなインテリアにするなんてワガママすぎる」

そうやって話しかけてくる思考のほうを選択して、心に我慢をさせ続けた結果、ちょっとした出来事がきっかけになって体が動かなくなり、やる気もすっかり消えてしまっていたのです。

このお二人の場合、実際に仕事を辞める、とか、家を引っ越す(またはリフォームする)という行動に移さずとも、我慢させ続けてきた心の声に気がついてあげるだけで状況は大きく変わります。

実際、お話をしている間にもどんどん「!」と気づきが起きて、曇りがちだった表情も明るく軽やかになっていきました。

もちろん、フラワーエッセンスのチカラも借ります。

無気力でやる気が出ない、なかばあきらめてしまっているような時には、「ゴース」や「ワイルドローズ」のエッセンスもいいですね。

実際に行動を起こす後押しをしてくれる「ラーチ」や「ゲンチアナ」、自分を縛ってしまう観念を取り除いて自由になる「ロックウォーター」なども効果があると思います。

フラワーエッセンスは、お話を通して得た気づきや、気づきによる安堵感を、なるべく長く保って定着させたり、不安のバイブレーションに再び戻ってしまった時に引き戻す働きをしてくれます。

本当に、頼もしい存在です。

思考は笑っちゃうくらい巧妙です


長くなりましたが、最後に大事なことを。

心の目が見ないように避けてしまったのは、大切な大切な自分の心の声だったとわかったとして、では、なぜわたしたちは、そんなにも大切な心の声から目を背けてしまうのでしょう。

実はここにもう一つ、思考のささやき、自我のトリックが隠れているんですよ。

自我や思考ってどれだけ賢くてしつこいんでしょうか。笑

そのトリックとは。

心の声が湧き上がってくること自体を、

「そんなこと思っちゃダメ!」
「そんなことを思うなんて、非常識だよ?!」
「そんなこと思う自分は罪深いよ!」

と、とにかく否定し責めてきます。

自己否定、罪悪感の嵐です。(←ピッタリのエッセンスがありますね)
だから、見ないようにする。はじめからなかったことにする。
そうやって、心の目は、心の声から目を背けてしまうんですね。

とにかく、心の声を見る。穴が開くほどじっくり見る。
なんなら、見ながらなでなでして、いつでも愛でられるよう特等席に座らせちゃってください。そうするだけで、心はとっても喜んで、軽くなって、あったかくなりますから。

さてさて。

今回の、心の声についてのお話。
こうやって紐解いていくと、「わかったような気もする」。
けれど、「やっぱり難しくてわからない!」って思いますよね。

そうなんですよ。
考えると難しくなる。だから考えない。

そして、自分の心に聞く。ただそれだけ。
本来、とってもシンプルなんです。

でも、心の声そのものがわからない!という方もとっても多いんですよね。わたしもかつてはそうでした。

「心の声だ!」と思い込んでいたものが、後から思えば、実はしっかり「思考の語りかけだった!」というエピソードも山盛りあります。

ですので近いうちに、「心の声がわからない!」についても書いてみようかなと思います。

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