癒えない
私はこの三十余年の人生で、
片手に収まるほどしか身近な人の死に直面していない。
最も最近で、尚且つ最も辛かったのは、
大好きだった母方の祖母の死だった。
祖母はとにかく優しくて、世話焼きで、
心配性で、愛情深い人だった。
そんな祖母は、ひ孫の誕生を本当に心待ちににしてくれていて、
少し遠いところに住んでいた私にしょっちゅう電話をくれた。
そして、私が無事出産した時、それはそれは喜んでくれた。
里帰り出産はしなかったので、
1ヶ月検診とお宮参りが終わったら地元に帰って祖母にも会おうと思っていた。
産後もしょっちゅう電話をくれたが、
新生児のお世話でてんてこ舞いだった私は、電話に出られないことも増えた。
祖母は体調があまり良くなく、
電話で話せた時にはよく、
「おばあちゃんは息が苦しくて」
と言っていた。
お宮参り直前、祖母は入院した。
それでも病院から電話をかけてくれた。
入院はしたものの、命の危機が迫っているとは身内の誰もが思っていなかった。
今思えば、思いたくなかっただけかもしれない。
病院では、生まれたばかりのひ孫の写真を見て、
喜んでくれていたようだ。
私は早く会って抱っこしてもらいたかった。
でも、祖母の病院に赤ちゃんは連れて行けなかったので、
祖母の回復を待つしかなかった。
2017/5/4 お宮参りをした。
2017/5/5 子どもを連れて実家に帰った。
2017/5/7 午前中に母方の祖父のところへ。
祖父もひ孫の誕生をとても喜んでくれていて、
赤ちゃん大好きな祖父はすぐに抱っこしてくれた。
90歳という年齢もあって少々ボケてはいるものの、
ひ孫だということはわかってくれた。
ニコニコの祖父との写真が撮れて嬉しかった。
午後、母が祖母のお見舞いに行った。
が、帰ってこない。
父から、祖母の危篤を知らされた。
ただ祈るしかなかった。
そんな時でも容赦なく子どもは泣く。
授乳をしたり、オムツを替えたりして過ごしたが、
夕方、祖母は帰らぬ人となった。
私はとにかく泣いた。
泣いて泣いて泣いて、
間に合わなかった、と思った。
あと少し、出産が早かったら、もっと早く妊娠できていたら、と。
そして後悔した。
祖母からの最期の電話に出なかったことを。
出ようと思えば、出られた電話だった。
まさか、こんなことになるなんて。
帰ってきて、たった2日で亡くなってしまうなんて。
娘が生まれて、1ヶ月ちょっとで亡くなるなんて。
私はどうしても祖母のいる病院に行きたくて、
父にお願いして連れて行ってもらった。
もちろん、子どもを連れて入ることはできない。
子どもを連れて行けるギリギリのところで、泣いている母に子どもを託し、
私は病室に向かった。
病室に入ったら、傍らで祖父が泣いていた。
そして一言、
「もう喧嘩できねぇ」
と言った。
その時の祖父の顔や声が、今も忘れられない。
70年近く連れ添った人がいなくなってしまった日。
祖父と祖母のくだらない喧嘩を、私ももう見ることは出来ない。
はじめてのひ孫に会ってほしかった。
名前を呼んでほしかった。
抱っこしてほしかった。
幸せの絶頂と、悲しみのどん底を一気に味わった1ヶ月。
約2年半経った今も、時々思い出しては泣いてしまう。
今もなお、後悔が続いている。
もう一度、一度だけでいい。
子どもと共に、
優しくてにこやかな祖母に会いたい。
現在、祖父は92歳。
多少の病気やボケはあるものの、今のところ元気に暮らしている。
私は現在、南米在住。
一時帰国の予定もない。
本帰国するまであと約1年半。
絶対に元気でいてほしい。いてくれなきゃ困る。
南米生活はそれなりに楽しいけれど、
やっぱり日本が遠すぎるなぁ。
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