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こたえは自分の中にある

閉店時間近くに。「今あるもんしか出せませんねけど(笑)」 
そんな居酒屋さんも日本にはたくさんあると思います。
「もちろん!そのあるもんをいただきます!」なんて返しもしたこともあったことを思い出しました。

あれ、でもそれって、書くことにも通ずるんじゃないだろうか。ほなちょっと今日はその方向で書いてみましょうかね。



と、書き始めたものの、タイトルで伝えたいことを言ってしまった感。。まぁ、何をどう書いて伝えようかとつぶやくように書いてみますか!

インプットアウトプットとか今の世間ではよく聞きますけれども、悲しいことに自分の中にないものは、やっぱり出せませんよねぇ。出せない時は「アワワ、アワワ」となって、借りてきた言葉をあてはめたりするんですが、けっきょくそれってアウトプットってやつと呼べるのだろうか?という仮説。

自分が今まで見てきた景色、情景、経験、感受したこと、感受したことから思ったことと考えたこと、考えたことを思い出すこと、このようなことをインプットと認識してよいとぼくは思っています。


そのようなことを伝えるためには?となったとき、話したり、書いたり、描いたりという手段を取ることが多い。アイコンタクトでは伝わらないですからね。

ここはnoteですから、ぼくなんかは、さあ!ってなって書きます。でもまぁ、さみしさとか集中が続かないと「自分の外」に意識が行ってしまいますね。書こか、言うてんのに、関係のない本を手に取ったりとか、現実逃避。

まぁねぇ、それも人生というか、自分の性質なので、それをおもしろがって書いていくわけですが、あまりにも効率?がわるい気がしているここ最近。

ギュッと。そう、ギュッと集中してドバーっと書いてみたい。今は外じゃない、内からつくるんだ、と。


自分の中にしかないものしか書けないのならば、付け焼刃でいま本をパラパラしても、そら書けへんで。そうじゃなくて、意識を内に向けて。

無意識を意識する感じでもいいと思うんですよ。想起とか思い起こしたり、経験してきたことをきっかけに、もう一度考えるというか。

「自分は大して何も見てきていない。」いやいやいや、そんなことないじゃないですか、うかいさん。生きてきたこの48年間、目に心に写してきたものがあるじゃないですか。言語化できていないのなら、今から言語化に向けて書き始めればいいじゃないですか。


これからも本も読みますし、映画も見ていきます。でもそれ以上に、時間的にも割合的にも脳内的にも、アウトプットを中心に生きて暮らす人生後半戦にしたい。肩書きなんてなんでもいいです。ぼくは、うかいよしじでいい。

そうすることが難しくても、続けていたらすーーと出せるハズ。向いていないとか他者の評価はけっこう無視。だって答えはぼくの中にあるんやから。そう、我が道を往く。

まぁ、絵本とコピーのうかいよしじ。
その合わせ技を目的地、向いてるところ、ゴールとしてつくっていきまっさ!


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