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項大雨さん - フローティング・アイデンティティの人


Kudanの無国籍経営

私は、Kudanというスタートアップの経営をしています。創業者の大野は日本人ですが、イギリスのブリストルで研究開発を始めました。

2016年に出会った時には主にAR(=Argumented Reality、拡張現実)に注力しており、その技術がすごいと思って入社しました。しかし直後にApple
やGoogleなどがその分野に乗り出してきたため、小さな会社としてはいかに非連続的成長を遂げるかを考え、軸足をSLAM(=Simultaneous localization and mapping、センサーを搭載した移動体が走行を行いながら周囲の環境を把握し、二次元・三次元の環境地図作成と事故位置測定を同時に行う技術)にピポットしてきました。

ここ3年ほどは経営を任されていますが、極力、どの国の色もつけないことを意識しています。「無国籍な企業を目指す」というのは、実は大野も最初から言っていたことです。

そもそも、新技術の事業化によってなんらかの社会課題を解決しようとする DeepTech の場合、その技術がシッカリしていれば「どこの国の」という話にはならず、地球規模で仕事ができる面白さがあります。むしろ、深い技術を大きな国たちは争うので、色をつけたとたんに誰かが敵に回るようなことも起こり得るのです。例えば最近では、ロシアとウクライナとか、米国で何かしようとすると中国との関係を問われたりとかですね。

Kudanは、海の深層に棲む深海魚のように誰にも邪魔されずに、良い技術をグローバル・ディストリビューションしたいのです。

「なぜイギリスで?」と聞かれることも多いですが、それはグローバルな採用と運営がしやすいからです。ミュンヘンのサテライトオフィスと一つのチームを構成していたり、アフリカも含む各大陸からリモート参画するメンバーがいたり。現在の社員数は40人ほどですが、それを全員の国籍数で割ったら、1.5に届きません。

フローティング・アイデンティティ

当社の無国籍な性質は、私個人のアイデンティティとも親和性の高いものです。私は中国生まれです。両親は、文革*の影響を受けた世代で、日本に留学してそのまま仕事を見つけました。私もその後を追って、小学3年生の時に日本に移住しました。

*文革= 無産階級文化大革命(1966年〜1976年、1977年 終結宣言)中国共産党中央委員会主席毛沢東による政治闘争。多くの知識人が迫害を受けた。

国をまたいで育つ子供は「自分のアイデンティテイは何だろう」と悩むものですが、私も例に漏れず、悶々とする時期がありました。自分は社会的には日本人に見えるかもしれないけれど、幼少期は中国で育っているので、湯船に浸かったことがなかったり、正月のおせちを食べたことがなかったり、日本人なら誰でも知るはずの文化を知らない側面があります。かといって、自分を中国人とも思えなかったのです。

が、大学生の時に、同じく移民としてカナダで暮らす同世代のいとこと話をしていて「自分のアイデンティティは、移民でいいのだ」と、ふっと腹落ちしました。フローティングしていてもいいじゃないかと。オリンピックはどうも好きになれません。スポーツ自体は素晴らしいのに、なぜその頂点が国対国のストラクチャーから抜け出せないのか。どっちを応援とかって話じゃないじゃないか、と思ってしまいます。

イギリスの大学院で移民学を勉強した私の妻にその話をすると「でも、それってロンドンでは普通だから」と言われました。確かに今、仕事でイギリスと日本とを行ったり来たりしていますが、面白いのは、イギリスにいるとより自然体でいられるのです。特にロンドンはもっと複雑な奴がうじゃうじゃいる街なので。マジョリティになってしまうと、取り立てて「アイデンティティとは?」を考える必要がなくなるんですね。

国への恩返しを考えて就職

ただ、私が大学院を卒業してすぐに就職したのは、日本企業のトヨタ自動車でした。機械工学の研究室で師事した、故・笠木伸英先生の影響が大きいです。先生は人格者で、常に「あなたたちは税金のおかげで研究ができている。自己実現を目指すのも良いが、社会に還元すること、社会のリーダーになることも考え続けよ」とおっしゃっていました。

当初、私も研究者になろうと思っていましたが、我慢強くて賢い先輩たちを見ていると、飽きっぽい自分はとてもかなわないと感じました。それで就職活動を始めた時に、世界的にプレゼンスのある日本の企業で自分の専門性を生かせたら良いのではと思ったのです。

当時24歳でしたが、漠然と「6年くらい勤めたら中・高・大と国立で学んだご恩を返せるかな」と考えていました。が、入って3ヶ月くらいから早速キョロキョロし始めました。

動力源のエンジンの生産技術や設計などを担当する本業のかたわらで、他のこともやってみたくなり、副業というほどでもないけれど手弁当で面白そうなベンチャーを手伝いに行ったり、Uberが出始めの頃にこれは日本でもできると思って、自分でライドサービスを始めてその広告ビラを社員寮で配ったりしていました。その件で中日新聞のインタビューを受けるかという話があがった時、上司に相談したら、偉い人からめっちゃ叱られました。自分ではイケてると思っていたのですが…グレーゾーンだったようです。

それから、ずっと海外に行きたかったのですが、その機会はなかなか到来しませんでした。痺れを切らして休暇中にインドに行き、現地法人に直談判。2年間の出向の合意を取り付けたもの、中国国籍ゆえにビザが降りず断念しました。上司は、何かというと「これができなかったら辞めます」と言う私に対して「項くんね、辞めますって言葉は強すぎるから。それはちょっと」と。若気の至りでいろいろ迷惑をかけましたが、今思えば、はちゃめちゃなことも許してくれた、度量の大きい組織だったと感謝しています。

Journey is the Life

ただ、今の若い人たちに伝えたいことは、いつか海外に出ることを考えているなら、やはり早ければ早い方がいいということです。

今、世界の才能を見ていると、欧米では20代半ばのPHD卒が非常に高く評価されています。同じ能力を持つ若い人が国内では10分の1の値段で買い叩かれ、エキサイティングじゃない仕事しか回って来ないというのは、あまりにつまらないじゃないですか。

自分も機会があればもっと早く海外に出たかったと思います。今でも、英語環境でガチで働く自分のパフォーマンスは、日本人だけの環境でいる時の半分くらいに落ちる気がしてしまいます。エンジニアとして図面を引くというような非言語だけの話なら9割いけるかもしれませんが、コミュニケーション・ヘビーな分野である経営・マネジメントで突き抜けようとすると、言語の問題だけでなくどこまでいっても差が埋まらない歯痒はがゆさがあります。

東京大学は、ローカル・チャンピオンだから一定の予算は降りてきますし、ステッピング・ストーンとして学ぶには良い大学です。でも、一旦、新卒一括採用の流れに乗ってしまうと、そこから抜け難くなるのが日本の労働市場です。

私は「Journey is the Life(旅こそ人生である)」と感じています。30歳目前でトヨタをやめてコンサルに行く前に世界一周旅行をした時、最初は大荷物で出発しましたが、身動きが取りづらくなって、最終的には20リットルのバックパック一つになりました。

世界一周旅行の途上、オマーンにて(2014年)

楽しいことに専念するためには、身軽でいること。フットワークを軽くすることが時間のクオリティをあげます。旅での気づきは実際の人生にも生かされます。

この時代、ドメスティックで閉じているマーケットなど存在しません。篭っていたらいずれ黒船にやられるだけ。だから、面白いことがしたいなら、早いうちに一度「日本」という枠を外して思考することをお勧めします。


⚫︎関連記事(2017年 another life.)