うわめづかい

僕しか知らない世界には、動かない夕暮れの太陽、ありったけの野原には美しい赤や青や黄や紫や桃の花が咲き誇り、大きな樹が一つ。素晴らしいそよ風が流れ、エメラルドの川には魚がヒラヒラと踊り、穏やかな時間が流れる。

そこには、小さな家があった。

僕はその家に住んでいる。ここは僕の秘密基地。誰も知らない僕だけの居場所。

起きたらもう夕方だった。橙の色したあったかい日の光が差し込む部屋には、ふかふかのベッドと、丸い形をした机、植物や宇宙の図鑑がこれでもかというほどある小さな本棚、そしてメスシリンダーの中に生けた一本のひまわり。

時計は午后16時を示している。

僕はベッドから起き上がって急いでひまわりの水替えをした。ごめんね、もっと早くに変えてあげられたらよかったのに。僕はそう思いながら部屋から出て、重たくも安心した瞼を擦りながら、とたとたと、洗面台へ歩いて向かった。

洗面台の電気をつけると、友達のカメが『今日は遅くに起きたから、おそようだな』と笑いながら声をかけてきた。僕はへへ、と笑うしかなかった。だってその通りだから。メスシリンダーの中の水をざっと流し、新しい新鮮な水を淹れる。ひまわりがより綺麗に見えた。心なしか、どこか嬉しそうな顔をしているように見える。『ひまわりさん、とっても綺麗だね』と声をかけた。

友達のカメは濃い群青色した五角形の甲羅に薄橙の三菱模様がついたおしゃべりな子。とても大切な友達だ。名前はつけてない。名前をつけたら、思い出したときに涙がこぼれてしまうかもしれないから。いなくなってしまったら、その事実を僕は受け止めきれないと思うから。
僕は臆病なんだ。きっと、臆病だから友達さえ名前で呼ぶことができない。でもカメは、そんな僕のことを受け入れてくれた。なんとなく、わかってくれたのかもしれない。優しい子なんだ。その優しさに、僕はずっと甘えてしまっているわけだけど。

ひまわりの水換えが終わった。外は時間こそ進むが、もう夜である。動かない太陽の残念なところは、時間がこんがらがることだ。もう何度同じ間違いをしたろう。朝起きておはようなのに、こんばんはと言われれば、多少寝ぼけていても驚きはする。けれど僕はもう慣れてしまった。それだけ長い時間をここで過ごしているから。
外に出たくはないな。ずっとこのままの時間でいてほしい。太陽の位置は西の地平線近く。もうすぐ夜を迎える時刻。逢魔時、黄昏時、空が最も鮮やかに、いろいろな色が交錯する時間。
この時間が好きだから、太陽には悪いけど、そこにいて、とお願いしてる。

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