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恋に堕ちてメタモルフォーゼ

ついに1人暮らしも20日を過ぎた。
話す人も居ないので脳内での会話が日々の交流の大半を占めている。と言っても、脳内にいるのも自分であるので交流とも言えない事実。ワタクシは1人称が複数ある人間ですが結局のところ自分自身は1人のみなのです。



さて、生活費を賄う為には働いて、その分を評価して貰う必要がある。自分の特技:初対面の人のみ流暢に話せる、を披露すべき素晴らしいタイミングだ。まぁ、結果は惨敗だったんですけどね。面接開始10秒で帰されたり、面接で説教されたりするなどかなりのハラハラ人生です。何が原因なのでしょう、まず顔とあと全てだな。うん、しゃあない!とりあえず特技を早急に変更する必要アリ。脳内完結会話を毎日しているとどんどん会話能力が底へと近づき、対人会話が出来ないことがわかりました。今となっては人の前で声を出すこたすら難しい状況となっております。まぁ人生そんなこともありますよね。



そんなこんなでも1つだけバイトに受かりまして。交通費が規定を越えている以外は有難い職です。これで少しは罪悪感がない生活を送れます、という訳だ。勿論、雑談にも入れず会話をひたすら聞きながら作業している。その中でも今のところ1番印象深い会話が「推しは繋がってナンボ!はいはいDM!DM! 」だ。「私のつながった推しなんて、もう高いところまでのぼっちゃったよ〜」とも言っていた。あとなんか言ってたけど書かないことにします。想像必須。その部分に完全なる恋愛童貞の自分には頭に大きな❓が産まれる。

好きって下心も含まれるの?

恋愛のプロの皆様なら鼻で笑っているのかもしれない。笑ってないかもしれない。それすら自分にはわからないのだ。まぁどんな会話が飛び交っても問題ないなんて、なんてオープンなことでしょう。恐ろしい。


わかんねぇ、こんな色々書くべきところにわかんねぇで済ますのもどうかとは思うがわからねぇ。
世の中は見えていないことが多すぎる、そのせいでよくわからないことに頭を使っている。いや本当にわかんない。そして相変わらず「好き」に対しての考えもないのである。

「好き」感情が欠如している間=年齢なもんで、
約20年もわからなければこれからもわからんのやろうとも思う。20年生きてしまったら人間変わんないだろう。

よく「幸せになりたい=結婚」みたいな話を聞く。多分この説は大分廃れてきているのは確かだろうが。結婚って幸せなのかぁ〜と雑な考えをすると「じゃあ適当に無理やり結婚すればいいじゃん」という過去の自分なら気軽に実験するだろう。まぁ許されないでしょうけどね。
幸せになりたい、なんてこんなワタクシも思うようになりまして。でも、それは「幸せ〜!!!」と思えればいいだけである。本当に簡単なことだ。最近に至ってはコンビニで食べたい物見るだけで幸せと思ってしまい泣きそうになる、そんな限界生活です。いつか素直に買える生活になるといいですね。さて、幸せとはなんなのか、好きとはなんなのか、色々考えに幅を持たせつつ本日も悩みます。




シャ乱Q「ズルい女」を聞きながら。
父親とのカラオケで、小さい時からこの曲を聞かされていた。どんな教育とやら。

↑こちらは当記事の類似記事。好きがわからない人間の葛藤(?)やらなんとやら。どうにでもなれ。


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