見出し画像

かたくなにかたくなったやわらかかったものをやわらかくもどす

    読みにくいタイトルですね。早口言葉みたい。区切って今一度書いてみます。

かたくなに
かたくなった
やわらかかったものを
やわらかく
もどす

もどす / もどる

    何を連想しますか?干し椎茸などの乾物を想起させますかね。お湯や水に浸けて、ふやかす。高野豆腐やお麩もそうですね。ふたたびやわらかくすることを、わたしたちは「戻す」と表現します。チネイザンを通して、色々なひとのお腹に触れながら、日々「もどす /  もどる」に想いを馳せます。「おなかさん」なる存在を感じ、話しかけます。「あなたの元通りに、お戻りになってはいかが?」

    昨日は、同年代の女性のお客さんにチネイザンを受けてもらいました。月一くらいのペースで受けていて、90分以上のちゃんと時間をかけたチネイザンは昨日で4回目です。一番最初に受けてもらったのは、もはやなつかしい今年5月。代官山で開催されたsugar meちゃんプレゼンツのIN MY ROOMというイベント出店の折りでした。30分のお試しコースでしたが、翌日寝坊したほどによく眠れたと言っていました。(そういえば、怪談話を聞いたりホラー映画を観ると、夜眠れなくなったりしますよね。不安で、緊張して、眠れない。あなたが怖がっているそのとき、あなたのお腹は強ばっているかもしれません。)

    この初回は、予想通りになかなかお腹もカチカチで、、、あっ「予想通り」というのも、実はこのお客さん、知り合ってから10年近く経つ、古い友人なんです。会ったのはひさしぶりでしたが、彼女の性格も割とわかっているので、チネイザンがすごくいいなと思って、オススメしました。30分という短い時間でしたが、眠っていた/蓋をしてきた「恐れ」や「不安」が溢れてくるのが、伝わってきました。その後、2回目、3回目、と受けてきて、昨日、4回目を終えての彼女の感想は

痛い時間が減ったせいか
おなかをやってる時間が短く感じた

でした。ぼくの感想はというと「おっ、だいぶやわらかくなってきたな、あっ、ここはまだ少しかたさが残ってるか、いや、それでもかなり変わってきたな、いいぞいいぞ」って感じでした。

本質とは
解決とは

    こじらせてしまった感情の解放とはなんなのか、そもそも本質的な、オリジナルな、本来の自分とはいったいどういうもので、現実的に存在しうるのか、机上の空論ならぬ空概念なのか、結局そういったものの解決とはどういうことなのか、こんな表現ではなかった気がしますが、そんなような話をしました。

    ぼくは元来おしゃべりな人間なので、施術前、施術中、施術後、そのときそのときわき起こるままに、いたって自然に、会話をします。もちろん寝ているお客さんをわざわざ起こして話を強制、なんてことはしませんし、往々にしてあちらから話がはじまります。

    どこまでが生まれ持った個性で、どこからが後天的に植えつけられたものなのか、そしてその「植えつけられた」とされるものは必ずしも個性と相反する、または個性を阻害したり、矯正したりしてしまうのか、そんなことも話しました。哲学的命題となって、頭を悩ませる前に、やはり原点に、肉体に、戻りたい。

    昨日の時点での結論として、ぼくが思ったのは「素直に受け止める」ということでした。生まれ持った個性を土台に、意識的/無意識的にありとあらゆる取捨選択しながら、自分の選択しようのない宇宙規模の流れや時代のうねりやお国柄に翻弄されながら、日々、毎瞬毎瞬、ぼくたちはきっとなにかしらの感情を抱いています。そのひとつひとつの感情を、素直に受け止めるときもあれば、抗うときもあります。素直に受け止められた感情は上流から下流へ流れる川の水のように、過ぎ去っていくけれど、抗って拒絶/否定された感情は、川の形状の妙に踊らされて掴まった流木さながら、そこに留まっていく。なにか、なんだか、引っかかる。怒っている自分を怒っていると認めたくない。怖くて、不安いっぱいの自分を偽って、平静を装いたい。ピノキオは鼻が伸びるだけでいいかもしれませんが、ぼくたちは腹に据えかねていくようなので、タチが悪い。

    チネイザンは、泥と透き通った水に完全に分かれてしまった湖を揺るがして、底に溜まった泥をふたたび舞い上がらせるが如く、忘れ去られた未解決事項を、放っておかれた感情を思い出させてくれます。思い出したのなら、ただただ素直に「あぁ、怒ってたんだなぁわたし」と認めてあげれば、それだけで救われるような気がします。

    川底で泥と一緒に眠っていた小さな石を、どういう訳だけ掬い上げることがあります。裸足で川を渡っていて、足の裏に違和感を感じたからかもしれません。そういった偶然をいちいち必然に感じて、立ち止まるのがそれこそ、自然、なのかもしれません。

違和感という予感

    チネイザンを受けていると、いろいろな感覚を覚えます。痛みにも種類があります。これは深い呼吸と全身の弛緩によるものなのかなと思っていますが、不思議な悦も、ひとによっては感じます。気持ちのいいものも、悪いものも、ひっくるめて、その違和感をしっかり感じてみるといいと思います。違和感の奥には、何かしらの変化の予感がある、そんな気がします。

    

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?