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貧困の定義って、何なん?

よく、富裕層だとか貧困層だとか、話題になっている。日本国民の平均年収は、大体400万円強ということらしい。最初に言っておくと、現時点で零細企業でサラリーマンしている私の年収は、大体平均値くらい。年齢は42歳。なお、都心勤務で物価は高めなので、生活水準としては、平均より僅か程度には下がるのかもしれない。

そんな私ですが、別に自分を貧乏だなと思ったことは特にはない。自分が欲しいと思ったものを、欲しいと思ったときには大体買えるし、買えなかったとしても我慢をすることに対する精神的苦痛は、全くもって余裕で耐えられる範囲内にある。

国民年収平均値である私の、衣食住の満足度

自分が生活するにあたり、最低限度の「衣食住」について考えてみる。

まず「衣」。元来、服装やファッションセンスには、長けているほうではない。とはいえ、自分好みの服には、実はかなりこだわりはある(色、柄、デザイン、質感、素材、機能性など)。世間一般でいう「オシャレ」とか、いわゆる「ブランド品」には全く興味がない。なるべくならば、安くていいものを求めるし、なんなら安ければ安いほうが優先される。とはいえ、ほつれたり壊れたりするまでは買い替えないし、なんなら壊れても買い替えない。なぜなら面倒くさいから。というか、必要以上に衣服は買わないことにしている。肌着とかTシャツ以外では、そんなに沢山の数は必要がない。洋服が好きで、趣味でコレクトするというならば、話は別だし、そのことは全く否定する気は無いけれど、私自身は洋服が特別好きだったりコレクトするほどの趣味や熱量は持ち合わせていないので、必要以上数量の洋服は持ち合わせていない。別に普段は欲しいとも思わない。たまたまオシャレな洋服を街で見かけたら、「あ、これいいな。買いたいな」と思うことはしばしばあるが、衝動買いすることは、安いTシャツや靴下以外には基本的にはない。しかし、ジャケットやパンツ等のアウター類は、長く大切に使うことを前提に、自分なりの好みやこだわりを持って、金銭的妥協はあまりせず、そこそこ高価なものでも買うことはある。そして、一度買えば、何年も大切に使うようにする。そして、何着も買わない。例えば、今手持ちの冬用カジュアルジャケットは、一枚だけしか持ってない。しかしそれで必要十分なのである。

つぎに「食」。基本的に面倒くさがりなので、外食が中心である。しかし、味に対するこだわりはあまりなく、昼食はワンコイン前後くらい。あまり食にカネをかけたくないなと思うタイミングもしばしばあり、たまには「かけうどん」一杯だけのこともある。夜は、外食・自炊と半々くらい。外食の場合は、わりと食べたいものを自由に食べることも多い。エスニック料理が好きなので、たまに開拓をして、一食1500〜2000円のものを頂く場合も少なくない。一方で自炊のときは、「ほっけなどの魚を焼いて納豆ご飯と味噌汁」とか、焼きそばとか、鍋とか。自炊とは言えないレベルでは、インスタントカレーや焼きそば、単なるスーパーの弁当であることも多々。面倒くさがりだから、基本手間暇かかるやつはしないw ごくまれに、休みの日などだと昼飯を抜いたり、晩飯を食べ忘れたりすることがあるが、私は食欲はそんなにあるほうではないので、あまり気にならない。間食(おやつ)は好きなので、ポテチ、チョコレート、アイスなど、食べたいときには普通に買って食べてるが、毎日ではない。缶チューハイは毎日飲んでる。ただしこれは辞めたい。辞めたいけど辞められないので悩み中。

最後に「住」。都心近郊の家賃6万の賃貸アパートに住んでいる。入居の段階で新築。2部屋、30平米くらいあり、1人で住むには十分な広さである。バストイレは別々。風呂はシャワーヘッドがなかなか立派なやつで、トイレは便座が暖かくウォシュレットも完備。駅からは15分と若干遠いけど十分許容範囲内。近所にコンビニやスーパーは何軒もあるし、買い物に不自由も全くない。車は所有してないけど、うちのアパートは一月6000円の駐車場付きで、都心近郊にしては安く、車を購入して維持するにしてもさほど負担にはならない(でも車は今は不要なので持っていない。必要なときとか乗りたいときは、カーシェアリングで十分)。ちなみに以前には車を4年ほど所持していたことはある。まあ、都内とかなら、駐車場代がかなり高いから、都内住みなら私の給料では車所有は厳しい。

とはまあ、上記の具合であり、たしかに贅沢はできないけど、とりわけ不自由もしていない。なんなら私は登山や旅行が趣味なので、わりと頻繁に宿泊を伴う遠出もしている。海外旅行にも数回行ったことある(ヨーロッパ2回、アジア1回)。ちなみに最近も、韓国や台湾に行く予定だったけど、これはコロナでポシャってしまったけど…。まあ全然無理なく行ける。

自分を貧困層だと思っているか?

上述したように、別に先進国基準の生活を普通に送れているわけなので、「あー、貧しいよー、生きるの大変だよー」と嘆いて生きている感じではない。

日本の平均値である私がこんな感じなのだから、平均値周辺に集まる多くの日本人もこんな感じなはずである(変に贅沢してなければ)。

でも、こうした話題になるとき、世の中のニュースに使用されるデータとかみると、私の年収あたりだと「やや貧困層」扱いにされている場合が多い。

こうした情報が目に入ってしまうと、無意味に自分がなんか惨めに思えてきてしまう。

2人に1人くらいは、私よりも経済状況がシビアであるのに対し、2人に1人くらいは、私より経済状況にゆとりがある。

一応、偏差値60くらいの有名私立大学を卒業し、自分的には人よりも真面目であり向上心も強めであることを考えると、ちょっと報われ度が足りてないんじゃあないか?なんて思ったりもしてしまう。

結婚、子育てだと、厳しそう

1人暮らしなら、まだいい。しかし、結婚・子育てをするとなると、話はだいぶ変わってくる。

そもそも、パートナーの価値観との擦り合わせが大前提にはなってくるけれど、一般論として考えを進めると、結婚資金・マイホームの購入・収入面の全面的な負荷(もしくは7割以上の負荷)などの多大な出費があり、今後数十年にわたり、家族全員を養う為の持続的な生活費・教育費が必要となる。

個人的には、今後もし結婚をする以上は、奥さんや子供に経済的なストレスを与えたくはないと思っているので(元カノの、金に対する価値観や執着心による影響を強く受けたため)、世の中の平均的な収入だと、家内に不自由をさせてしまう可能性が高く、辛い思いをすることが予想されてしまう。よって、結婚・子育てを想像してしまうと、現在の収入でははっきり言って不安だ。ましてや、現在の仕事において、仕事内容や人間関係や経営者に対する忠誠度や社内の雰囲気等には不満が強く、永続的に現在のポジションを維持しよう、維持したいとはとても思えない。

仮に転職するとなったら、収入は激減するかもしれないし、そんな心持ちで、結婚・子育てなどにはとてもじゃないが踏み切れない。

昔の高度経済成長期に生きていたら、色々不満はあれど、「終身雇用神話」やら「順当に昇給することを信じてやまない好景気」やら「疑いようのない周りの価値観」やらに流されて、「周りもそうしてるし」と、自分もなんとなく結婚し、なんとなくマイホームを購入し、なんとなく子供をつくり、家庭を育んでいたのであろう。

しかし、現在は、ネットの普及などもあり、情報収集源が多様化し、伴って価値観も多様化し、高度経済成長期ははるか昔に終局を迎え、中国やアジア諸国には経済的にも追いつかれ(または追い抜かれ)、国民は政府の財源枯渇やリーダーシップ不足のため将来の不安に苛まれ、ましてや昨今のコロナパンデミック騒動で、一寸先が全く見えてこない世の中である。

そして、結婚や子育てそのものやその在り方に対する考え方なども多様化している。

結婚はそもそも義務ではない。

自分にとって生涯共に過ごしたいと思える相手が見つかったならば、結婚をしたらいい。

しかし、そうでないならば、しなくてもいいし、そもそも結婚ができない。

結婚に対する重要度が下がるとともに、個人がやりたいことや熱中したいことのジャンルや幅は広がる一方であり、結婚以外のことに対して夢中になり時間を費やす人々が増えるのである。

少子化を懸念する世の中であるけれど、こうした文明社会が成熟しきった中での複雑多様化した世の中において、生涯結婚率が下がってゆくのは、自然なことであり、また争いようのない人類の宿命であるとも言える。

これからは、結婚に対する考え方や在り方というものが、根底からひっくり返される世の中になるものと思われてならないのである。


…ん?途中から、話の本題から逸れてきた気がする。


あれか、自分が貧困か否かという話であった。

しかし、仮に自分が貧困よりであったとしても、自分がやりたいことに空想を膨らませ、爆発させたり、実際に行動に移したり、と言ったことができる世の中なので、まあ平均的な日本人なら、貧困寄りであっても、それなりに選択権もあって、自由に生きることができるんじゃなかろうか?

という意味において、やはり日本人は大体恵まれているなあと感じるのである。

年収350万くらいなら、自分を不必要に責める必要はないですよ。

もし今の自分が食うに困っていないのならば、あんまり他人と比較をしないことが、幸せに生きるコツなんだと思います。終わり。

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