クソジジイとクソババア

クソジジイとクソババアって、たぶん世の中でバカとかアホとかの次に多用されている悪口な気がする。

このクソジジイとクソババアですが、私は自分の親には言ったことがほとんどない(母親にクソババアは一回だけ言ったことがある)。

冷静に考えてみたら、酷い言葉であるからだ。

その文字列の意味を深掘りすると、「糞便レベルの悪臭と不要な、視界にすら入れたくない、存在価値ゼロの有害な年寄り」みたいな意味合いを持っているからだ。

そう考えたときに、簡単に放つ言葉としては相手にかかる呪いが重すぎるし、ましては自分を大切に生み育ててくれた尊い両親に対して、例えば両親と喧嘩をしたとして、どんなに我を忘れるくらいに怒り狂ったとしても、投げ放たれるべき言葉ではない。

そういう思いが心の奥底には常にあったので、私はどんなに親に対して腹が立っても、「クソジジイ」「クソババア」だけは、喉元まで上がってきても、言わないように呑み込んできた。

以前付き合っていた彼女が、クソジジイ•クソババアを乱用していた

彼女は比較的明るく、面白い性格だったし、基本的には優しかったのだが、少々口が悪い面があり、会話の中で両親の話になったときに、自分の両親に対しては必ず「クソジジイ」「クソババア」という言い方をしていた。

このことには私も、違和感というか、聞いていて気分が良いものではなかった。一応女子なんだし、自分の親を露骨にクソ扱いはやめとけよ…などと思った。

もちろん、両親をこのように言ってしまうのは、ジョークのニュアンスが大半であり、実際の親子仲は悪くはなかった(彼女の両親は、彼女が高校1年生のときに離婚をしていた)。しかし、それでも、親に対する蔑視的な視線は含まれていたのだろうと思う。

彼女以外にも、世の中では自分の両親のことを「クソジジイ」「クソババア」呼ばわりしている人たちは、きっとめちゃくちゃ沢山いるのだろう。しかし、彼女ほど、自分の両親をあまりにも頻繁に「クソジジイ」「クソババア」と言う人は他にあまりみたことがなかったので、当時は戸惑いを隠せなかった。

上述したように、私は両親に「クソジジイ」「クソババア」と言い放ったことは、人生においてほとんどない。

しかしそれは、比較的経済的にも不自由なく、家庭内の空気感も比較的平和であり、親戚同士の仲も普通によく、両親ともに基本的には真面目で穏やかで、何かを無理強いされたり、抑圧されたり、暴力を振るわれたり、罵声を浴びせられたりと言ったことも特になく、病弱でもあった私の面倒を何ひとつ文句も言わずに辛抱強くみつづけながらも、私立高校から1浪を経て私立大学にまで進学させてもらい、両親には感謝をしているからであるし、ひとえに家庭環境に恵まれていたからに他ならない。

しかし、もし私の両親が毒親だったら、親を憎み、「クソジジイ」「クソババア」を多用しまくる人生だった可能性は大いにあるし、一概に自分の両親に対して「クソジジイ」「クソババア」と簡単に言い放つ人々を哀れだと決めつけるようなことはしない。

現在の恵まれた両親をもつ私の立場から、主観的にみて自分の価値観を周りに押し付けてしまうからこそ、元カノの言動に強烈な違和感を覚えてしまうのだと思う。

クソジジイ・クソババアの面白さと愛嬌

元カノは、自分の両親を、クソジジイ・クソババアと呼んでいたが、とはいえ、それは完全に憎しみや侮蔑の意味を全力で込めたものではなかった。東北地方では、クソジジイ・クソババアは、悪口などではなく、普通にそう呼ぶと彼女は言っていた(本当かどうかは知らんが)。まあ、普通にそう呼ぶか否かは別として、親しみの意味がこもったクソジジイ・クソババアだったようなニュアンスもあった。「あいつは、ほんとにもうしょうがねぇクソジジイなんだよ…(苦笑)」というようなノリで、なんだかんだ言って相手を認めちゃってる的な。

クソジジイ・クソババア、という言葉は、そもそもそれ単体で面白いというのがある。

割と、誰もがこの単語を発した瞬間に、高確率で笑いが取れたりするのだ。

真面目に意味を捉えてしまうと、悲惨な悪口・相手に精神的ダメージを与えてしまう猛毒になるが、無思考で言い合うぶんには、なんかおもろかったりしてしまう。

自分の両親にそれを言わなくとも、「自分を不快な気持ちにさせてきた、全く見知らぬ年輩者」に対して、言葉に出すまではなくとも「このクソジジイ!」「このクソババア!」と念じたことがある日本人は、8500万人くらいはいるのではなかろうか?

なので、クソジジイ・クソババアは、つい気軽に言い放ってしまえて、それでいて誰もが笑いを誘いやすいパワーワードなのだ。

特に、真面目でいい人そうな、一見人の悪口なんか言わなそうな人が、不意にぼそっと「クソジジイ(クソババア)ですね…」なんて言い放つと、そのギャップから面白さが際立ったりしてしまう(あるいは何らかの強烈なインパクトを相手に与える)。

また、言葉そのものがもつニュアンスもそうだが、実際に「クソジジイ・クソババア」というのが愛嬌のあるキャラとして受け止められることも多い。

志村けんの「変なおじさん」とか、一時期流行語にもなった「オバタリアン」とかも、その類であろう。

まあ、これらよりはディスりが酷めな気はするけどw

一般的には、深く考えずに思わず脳から口に直結して無思考で出てくる「クソジジイ・クソババア」が大半であり、またそれを言われる側も「フン!うるせぇ」「どうせあたしゃクソババアだよ!」的に受け流したり、自認してキャラを立てたりといったことが大半である。

通常「クソジジイ」「クソババア」は、この言葉を発した人間の、年輩者に対する単なる一瞬の自分自身の感情表現であり、要するに深い意味はない。


まとめ

クソジジイ、クソババアについて、少し深掘りして考察してみた結果、以下のような結論に達した。

・「クソジジイ」「クソババア」って、冷静に分析したら残酷な言葉だなと思われる。また、冷静に分析した上で感情的になると、心的ダメージが深くなる(受け止める側からしたら深く傷つく可能性もある)。
・元カノが自分の両親を「クソジジイ」「クソババア」呼ばわりするのは、毒親に対して親しみを込めた愛情表現。自分の価値観に当て嵌めて受け取るべきではない。
・「クソジジイ」「クソババア」は、誰もが簡単に笑いを取ることができるパワーワードである。
・世の中で使用される「クソジジイ」「クソババア」の大半に深い意味はない。

なので、「クソジジイ」「クソババア」は、不用意に使うべきではないとも言えるが、気にしすぎてもいけない。

とはいえ、日本は言論の自由が認められているわけなので、「クソジジイ」「クソババア」と言う人をゼロにはできないし、言わないことも無理である。

もちろん基本悪口なので、多用すると、聞いていて胸糞が悪くなるばかりか、その人の品格も疑われてしまうし、できるだけ使用は控えておくほうが賢明ではある。

とはいえ、人間である以上、ついつい口をついて出てしまうこともあろう。

適材適所で「クソジジイ」「クソババア」を使いこなしつつ、また言われた側も不用意に傷つく必要はないのである。

ふわっとした結論となり、なんか歯痒い。まあいいか…




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