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小学校受験の総括(試験を振り返って思う事)

お父さんです。

このブログは地元の公立中高で学び、地方大学を卒業した庶民派お父さんがひょんなことから子供二人の都内私立小学校受験を経て、またまたひょんなことで子供たちがイギリスのボーディングスクールに合格するまでの道のりを綴っています。

今回の記事について                                      
今回の記事は、小学校受験に関する最後の記事になります。
自分なりにすべてを振り返ってみて、考えてみたことをまとめ(総括)させて頂きます。
皆さんの受験に向けた参考になれば嬉しいです。


今まで長々と小学校受験について書いてきましたが、
「いったい何のために小学校受験をするのか」について自分なりの考えを書きたいと思います。

一言で言うと「より良いと思われる環境を子供に提供するため」です。

これ以外に親にできる事はあまり無いような気がします。

正直、受験の準備を始めた最初の頃は、「中学校受験を避けたい」「できれば良い進学実績を持った学校に行って少しでも有利な条件で大学受験をして欲しい」といった事が目的でした。
そのためエスカレーターで小学生からそのまま行ける高校(大体どの小学校も高校まではエスカレーター式に行ける)の大学進学実績などをチェックしたりしていました。また慶応の場合は、よほどの事が無い限り慶應大学という日本の私立トップクラスの大学に行けるため、良いなと思っていました。

これは元々私が子供たちに対して思っていた「小さな頃(小学生まで)は家の外で友達と思い切り遊んで社会性や協調性を身に付け、また子供のころにしかできない事を体験して欲しい」という思いとは正反対で、今思うと本当に打算的というかイマイチな理由で小学校受験に臨んでいたなと思います。 

今、小学校受験を終えて改めて感じる事は
①希望の学校に行けたらそれに越したことは無いが、仮に縁が無くて不合格になったとしても全く問題ない。次の目標を設定して(ムリに設定しなくても良い)それに向かって進めば良いだけ。

②小学校受験に向けた準備のプロセス自体に意味がある
(家族の団結や、子供との濃い時間)

③希望の小学校に入れたとして、それがゴールでも無い。入学前に良いと思って運良く入学できたとしても、本当に子供にとって良いかどうかは入ってみないと分からない。

です。
皆さんから見ると少し綺麗すぎる感想かもしれませんが、結構本心です。
これは私自身の経験から来ているかもしれません。私自身は小学校から高校までいわゆる地方都市にある公立校に通いました。中学受験もせず(当時は中学受験をする方が珍しかったです)高校受験も地元の普通の公立高校に入り、大学受験で初めてそれなりに頑張って地元の国立大学に入りました。それから最終的に東京にある、難関とされている某国立大学の大学院に進んだ
という経歴です。私自身は今普通のサラリーマンとして会社勤めをしていますが、同僚には東大などの有名な大学出身者もいます。

また小学校受験との流れで言うと慶應大出身者もいますし、慶應出身者の中には幼稚舎から大学にそのまま進学した同僚もいます。その人たちとは友人でもありますが、一人一人の昔の話を飲み会などで聞いてみると、有名な小学校や中学校を卒業している友人達が、公立小中高を卒業したザ・一般庶民の私と違う能力を持っているとは思えません。

一方で共通しているのは、必ずしも小学校や中学校でのお受験がゴールではないという意識や感覚を当たり前に持っている事です。有名小学校(慶應幼稚舎)や有名中学校(灘や開成)を卒業した友人達曰く「その学校で何をするか」の方が重要で「入ること自体」は大変だけど、別にそれが重要というか全てでは一ミリも無いとみんな口をそろえて言います。正直これは謙遜や外向きのコメントという面も一部はあると思いますが、例えば開成を出て同じ会社に勤めているA君は、私と同じ中間管理職をハッピーそうに謳歌していますし、特別出世コースに乗っている訳ではありません。慶應幼稚舎を卒業して慶應大学を卒業して同じ会社で働いているB君は、仕事は普通&だけど飲みに行くとタダのおっさんで、私的にはものすごく親しみが持てます。

何が言いたいかというと、別に何をしてもどこに行っても良いと思うのですが、1つの事に一生懸命に取り組んで、それを磨くことで、結果として人間としての成長があるのだと思います。有名小学校に入学した事はとても喜ばしい事ですが、それで満足してしまうと入学後に何をするかまで気が回らず、入学後の伸びしろが無くなってしまう事があると思うからです。

もう一つ例を出させていただきます。

昔(小学校時代)の友人で、当時珍しかった中学校受験をして地元の有名な私立中学に入学した友人がいました。彼はどちらかというと自分が常に優位な立場にいたいという気持ちが強い性格で、その中学に合格した事を自慢げに会うたびに話したい感じでした。中学以来、彼とは疎遠になりましたが、私が社会人になった頃に実家に帰った時に聞いた話では、彼は大学に進学
はせず無職のままでブラブラしているという話でした。別に無職であることが悪いわけでは無いですが、それが彼が当時地元の有名中学に入学した際になりたかった姿なのかを考えると色々と考えてしまいます。

少し話が逸れましたが、小学校受験はとても大切で大変なプロセスですが、その結果だけで一喜一憂するのは少し違うのかなと思います。またまた少し話が逸れますが、私の好きな本に、丸山真男の評論文である「日本の思想」の中にある一節の『「である」ことと「する」こと』があります。高校の現代文の教科書に出てくる有名な一節なのでご存じの方も多いと思います
が、私はこれが好きで、座右の銘の1つです。

「である事」はその名の通り「○○である」状態に満足してしまって、それ以上の努力や発展がしにくい状態。既にある意味で思考停止状態に陥っています。一方で「する事」は現状がどういう状態であれ、常に何かに向かって行動している状況です。この考え方が私は好きで、例えば「俺は東京大学卒で」とか、「私は外資系金融機関に勤めていて」のような典型的な「である」状態を自慢気に話す人があまり好きではありません。

それ自体はすごい事なのだと思いますが、自慢する事でも無いように思います。話を戻すと、この考え方を前提として「何をするか」が重要であるという丸山真男の考え方が小学校受験にも当てはまるのではないかと考えています。つまり小学校受験に向けて頑張って家族全員で団結して努力するプロセス自体に価値があるのではないかということです。少々小難しい話になってすいません。が、そうする事で小学生受験の意味合いが自分たち家族の中
で上手く整理できるかなと思っています。

今回で、小学校受験に関する記事は終わりとさせていただきたいと思いま
す。これまでお付き合いをいただき、ありがとうございました。

ここまでの小学校受験のプロセスだけでも、自分的にはそれなりに大きな山を越えた感じなのですが、この後から更に大きな流れが我が家に来て、新たなる第二章が始まるます。

次回からは、我が家に起こった小学校入学直後のできごとから書かせて頂きたいと思います。こんなに苦労した小学校受験で、少し家族としてもリラックスできるかなと思っていた矢先に、会社の上司から海外赴任を告げられるという青天の霹靂なできごとが起こります。

次回のお話はそこからスタートさせて頂きたいと思います。


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