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哲学的な

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記事一覧

人間らしくあること

すでに個人におけるpreferenceの多くがアルゴリズムによってもたらされている現実について考える必要がある。

このことは、"人間らしくあること"そのものがアルゴリズムによってもたらされうることを意味している。

近い将来、人間を雇ったほうが安いか、ロボットを導入したほうが安いかを汎用レベルの作業で判断する時代が訪れる。

そのとき、"人間らしくあること"の性質について考える機会があるだろう。

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過去と現在の狭間

1. インターネットが発達した現代の先進国において、各人は膨大なデータへアクセスすることができる。特に、SNSに代表されるサービスは、多くがその当時性を重視する。いわば、リアルタイムなデータほどデータ表示優先度に関連する重みが増す。この現象は、リアルタイム情報過多を招き、リアルタイム情報バイアスを生じさせる可能性がある。このバイアスによって、過去の情報が過小評価されて現在と切り離され、いわば離散化

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"サイコロ"を振ることができない人間

1. 「神はサイコロを振らない。」かつてアインシュタインが言ったとされる言葉だ。彼は量子力学においてその量子の観測が確率的に決定される、つまり観測前までは不確定であることに対して、懐疑的であった。彼の思想の中心には、この世界は確定的に動いている、またはそういった原理が必ず存在するという考え方があったのかもしれない。この"サイコロ"という表現はいわば確率的概念を象徴しているといって良いだろう。

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AIの限界(2)

1. 私たちが捉えることができる空間はたかだか可算だろうか。いかなるセンサーにおいてもその誤差範囲があるのと同様、私たちが捉える空間も誤差範囲が存在するだろうか。私たちが捉えたはずのたかだか可算の空間を構成するニューロンの閾値に誤差範囲は存在するだろうか。

2. もし私たちの認識を構成するニューロンが超越数的な閾値を有していた場合、もはや有限のメモリで捉えることはできないだろう。なぜなら、ニュー

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絶対と相対

1. ここで事象とは、現象の相対的発現のことを示す。

2. 私は、
「(ある事象について)絶対的である。」と解釈することができる。
「(ある事象について)相対的である。」と解釈することもできる。

そして、私はこれを他の人に伝えることができる。伝えることによって伝わる可能性がある。

あなたと私において、
「絶対的である。」と解釈することができる
「相対的である。」と解釈することもできる

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AIの限界(1)

1. 鉛筆を持って、例えば下記の文字列
[jp@n'dwgbtU@tndmx.'qj)"gb]
を記し、「あいうえお」と解釈する。そのあとすぐに
[jp@n'dwgbtU@tndmx.'qj)"gb]
を「さしすせそ」と解釈する。またそのあとすぐに解釈を変える。この解釈の変更をランダム性を保って繰り返し続けると、AIは下記の文字列
[jp@n'dwgbtU@tndmx.'qj)"gb]
をどう認識

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『意味』の意味

1. 私が生きる意味は何なのだろうか。意味の追求は現状からの脱却を求める。「こうじゃないはずだ」「もっとこうしたい」「これはなぜだ」「これでは意味がない」。意味の追求は自己を拡散させる。私の意味はそもそも私にしか付与されない。よって自己が拡散した状態においては、『意味』が意味を持たない。

2. 意味とは何なのか。例えばあなたにとって意味があることは私にとって意味があるとは限らない。逆もそうだ。意

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思考のエントロピーと語彙

1. ここで「思考のエントロピー」とは、「ある内的または外的事象に関連してそこから想起されうる異なる思考パターンが生ずる可能性の大きさ」と定義する。

2. 思考のエントロピー増大とアイデンティティの構築は、ある閾値を超えるとトレードオフになる可能性がある。

3. 思考のエントロピーがあまりにも大き過ぎると、予測されうる未来が大きく拡散してしまって収斂しない。よってその事象が過去になったときに収

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仮説を提示するということ

1. たとえ真偽(*1)不明であったとしても、仮説が提示できる場合、その仮説が存在することそのものは真である。この仮説の提示というプロセスは真偽判断プロセスと同等以上に重要だ。

2. 仮説によって理論体系は構築可能だ。この理論体系の構築の基礎となる仮説が真偽不明(*2)であったとしても、その理論体系を構築する上で生じた仮説の中で真偽不明性が確認可能な命題は存在し、それらが重要な場合もありうる。

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科学と哲学の差異

科学と哲学は、ともに世界に対する現象を取り扱う。科学は一般に、人間の客観性に担保される数学的な体系、いわば、人間の普遍的道具の1つである、「可算的対象を認識かつ構築できること」を用いて世界の現象を理解する。一方で哲学は一般に、言語的な体系を用いて世界の現象に対して解釈を行う。言語的な体系は、その意味がその言語の用途に依存する。誰もが使い得ない言語的用途は私的言語ならぬ私的使用によって、世界を解釈す

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確実性の問題 〜私は次に何をするのか〜

自然科学的には、私の人生の初期値が決定されていたとしても、生まれる前、すなわち胎児の頃から私の未来に関与する変数が大量に介在してくる。また、そのほとんどが確率的現象のために、遠い未来(*1)の自分そのものが一定程度に収斂するなどは起こり得ず、遠い未来はいわばカオスとなる。カオスの中から、遠い未来が収斂するときは、その未来が現在になった時に限る。

多くの変数が介在する遠い未来の予測ではなく、一定

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可算化される「人間」

1. このまま統計や機械学習等によって人間の判断やその行動がいわば「可算化」される方向に促進され、かつそれでもなお、差異による資本主義的付加価値を生み出す「生産」が共存しなければならない場合、人間の行動は対角線論法のいうところの、"対角線"に追い詰められていく。

2. 無限の次元を有限に落とし込む方法は確率的に予測できない。

3. 現在のシステムは、統計で確率を上げる方向に発展している。例えば

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コンピュータと私的言語(1)

言語を後天的に獲得する"可能性"そのものは人間に刻まれていると言って良いだろう。この言語は人間に閉じており、人間との会話の中では閉じていない。すなわち、ある言語の意味は外界の展示会のようなもので、その無限にある特徴量を極限まで減らし、認識すなわち(1,0)まで落とし込む為に必要なラベリングであると言える。社会的なラベリングの交換のために言語は存在しているのだろうか。そうなると一つの疑問が生まれる。

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真偽不明なアイデンティティ

真偽不明な自然言語によって構築された論理体系は常にその体系内に偽が内在的に含まれており、それらを否定するためのインセンティブが新たな体系に生まれ続ける。

曖昧な自然言語における論理体系に基づく命題が真偽不明であるとすると、その真偽不明性こそがある共同体または個人に検討されるに値すべき「命題」を発揮させる。これがアイデンティティを生む。

「これは真である」という命題が他者から真であると認められ続

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