確実性の問題 〜私は次に何をするのか〜




自然科学的には、私の人生の初期値が決定されていたとしても、生まれる前、すなわち胎児の頃から私の未来に関与する変数が大量に介在してくる。また、そのほとんどが確率的現象のために、遠い未来(*1)の自分そのものが一定程度に収斂するなどは起こり得ず、遠い未来はいわばカオスとなる。カオスの中から、遠い未来が収斂するときは、その未来が現在になった時に限る。

多くの変数が介在する遠い未来の予測ではなく、一定程度の有限の変数が介在する、短い期間の予測や、パターン化された広い事象に対する大まかな予測などであれば可能かもしれない。しかし、活動のエントロピーが高い、先進国の人間の長期間の活動は、概ね多くの変数が長時間にわたって介在する。

そのような人間の人生において、定常状態、すなわち"過去と未来において変化しない状態"は、過去に存在する自分と未来に存在する自分が何ら変わらないことを意味する。時間に紐付いたさまざまな事象が確率的に人間に影響を与えやすい文化においては、その"定常状態"が極めて広い意味を対象にしなければあり得ないような気もする。もしも遠い過去に、とても具体的な事象である"私そのものの人生"の遠い未来、すなわち"現在の私の人生"を予測した場合、その確率は0に等しいのである。たいてい、人生において何か宿命的なものを感じた時、その宿命が対象とする事象は過去の事象である。過去は決定されている。逆に、経験できない未来の事象はもはや宿命たり得ないのである。宿命だと信じた過去はただのラベリングされた過去であり、"そうあるはずだった未来"に対してそれらとは異なる事象が発生してしまった場合に、自己を正当化するための命題の1つに過ぎないのである。



*1 ここでいう、『遠い未来』は、それぞれの現象がその振る舞いを時系列に依存せず保存することが可能な期間を上回る時間に紐付いた状態のことである。

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