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ダブル・バインドという「心の牢屋の再生産」

ダブル・バインド(二重拘束)とは、人類学者のグレゴリー・ベイトソンの造語だが、わたしが最初にその言葉を知ったのは、催眠療法を学んでいる時に、稀代の天才催眠士、ミルトン・エリクソンがそれを応用した ポジティブ・ダブル・バインド(治療的二重拘束)としてだった。

本来ベイトソンが言い始めたダブル・バインドは、はっきりとネガティブな意味で、強者から弱者への(主に親から子供に対しての)、矛盾をはらんだコミュニケーション・スタイルを称したものである。その定義とは;

2人以上の人間の間で繰り返し経験され、最初に否定的な命令(メッセージ)が出され、次にそれと矛盾する第二の否定的な命令(メタ・メッセージ)が異なる水準で(例えば第一が言語なら、第二が態度や表情や行動などで)出される。そして、第三の命令は「その矛盾する事態から逃げ出してはならない」というものであり、受信する側は混乱して、やがて世界全体を、このような矛盾した形で成立しているものとみるようになる。

いるよね、多かれ少なかれそういうことをやる人。

「凄いですよね」と、明らかに評価したくなさそう~なくせに、表面的に褒める人。嫌いなら黙っていればいいのに。

「先に帰っていいよ」とか「あなたの好きにしたら」と、不機嫌な顔で促す人。いてほしいならそう言えばいいのに。

素晴らしい格言を掲げるくせに行動が不正な上司なども、その部類かも。

本人も苦しく逃げ場のない心理状態にあるからそうなっているのかもしれないが、敢えて言おう、あなたたち、性格悪いよ。歪んでるよ。まあ自覚ないからそうやって露出してるんだろうけど、受け取る側にはそのナマの部分、結構伝わっちゃってますよ。

しかし、場合によっては受け取る側が距離をとるすべのない弱者であるということもあるというのが問題だ。特に、親子間に発生するダブルバインドで、子供は完全な被害者である。それが言語的に未成熟な小さい子供の場合、メタ・メッセージ(言語外の態度から受け取る命令)の衝撃をまともに食らうし、読書や第三者との対話で別の視点を得るというような逃げ場を見つけるにも時間がかかる。

「おいで」といってつきはなすとか、苦々しげに「いいわよ」と言うとか。

子供はその体験を(多くの場合、無意識的に)強烈に歪んだ親テープとして内在させながら長い人生を生きて行くことにも、なりかねない。

親としてはそこまでの悪意がなく、ただストレスのはけ口にしてしまっているだけであっても、それは心の牢屋の再生産なんだ。

大人は自制しなければならない。

自分はやってしまっているかもしれないと少しでも思い当たる人は、一度自分でなんでそうしてしまうのか考えてみるといい、この苛立ちは自分に対してなのかと気づけたら買われるかもしれない。分かっても自分だけでは行動を変えられないと思う時は、認知行動療法に頼ってみるのも、ひとつです。

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