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優しさについて

企業で長く生き残る女性に「女を武器に」っていうタイプは、実は、あまりいない。見た目のきれいを心がけることはもちろん大事だが、内面的には男の甘言をスルーすることができる自尊心のポジション高めの、いわゆる強いタイプが多いと思う。

当然、上司に可愛がられることも大事だが、実力を伴っていなければ、引き立ててくれる人が失速したりいなくなったりしたらそこにいられなくなるというのは、性別を問わない人間組織の定理。そこで出世に女カード切ろうもんなら、周囲からは普通以上に激しく嫌悪される。良い作戦ではない。

そのような媚びない自尊心というのは、社会的関係性の中で育まれるものなので、どっちが原因でどっちが結果か、外資のハイキャリア女性には帰国子女や外国人の旦那さんがいる人の率が高い。日本企業のことは知らない。

外資系の世界では、別の因果律として「英語力」も大いに関係しているとは思う。

娘の名付けにあたって、旦那は「優(ゆう)」という字を使いたがった。優しい人に育ってほしいのだと。

一方わたしは、めんこい女子ほど、誰彼なくやさしくしてたら人生を渡っていけない、「優しくない」は誉め言葉くらいに思っていたのに。むしろ、恋人でもない男に「優しい」なんて言われたら警報発令だという知恵を、むすめには早めに教えたいと思っているというのに、だ。

色々考えるなかで、結局その文字は使わなかったけれど。

しかし最近、心のことを勉強しているからか、「優しさ」は、本来のそれは純粋に素晴らしいものだと思えることが増えてきた。

一生懸命サラリーマンしてると感受性が擦れちゃう部分ってやはりあると思うのだけど、わたし拗ねすぎていたのかもしれない。特殊に考えすぎだったのかもしれない。

ま、それでも、基本として受容的である優しさなんていうものは、男が女に求めるそれは、パワフルであるからこそ、その発動は数十年に一度のココイチの時にとっとくべきとは思っている。あるいは頻度ではないのかもしれないが。基本優しくないわたし、まだ模索中である。

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